フュージョンできる街、チェンマイ
「チェンマイのことが好きになったから、もう1年学生ビザを延長することにしたよ」と中国人の友だちから連絡をもらった。
チェンマイは、不思議な街だ。
自分は観光で訪れた時に街の雰囲気に惹かれて、それから短期滞在を繰り返すようになり、いつしか本格的にそこで居を構えるようになった。
渋谷に住んでいた20代の自分に「30代の多くの時間をタイのチェンマイという街で過ごすことになるよ」と言っても決して信じてもらないだろう。そもそもタイという国に訪れたことさえなかったのだから。
住めば都とは言い得て妙ではある。ただそれは人間がひとつの街に住めば、その環境に適応していくという意味においてであり、あるいは「知っている」と「知らなかった」の積み重ねが愛着を生むようなもので、「ここにもって住みたい」という欲望が出てくるかは別次元の話だろう。
自分はチェンマイに短期滞在をするようになってから「ここにもっといたい」という想いが火を灯したランタンのようにふわふわと上昇していき、今でも一向に落ちる気配が見えない。チェンマイという街の何が自分を、あるいはほかの人を惹き付けるのだろうか。
まず頭に浮かぶ言葉は「居心地の良さ」である。
もう一段、抽象度を下げて、その言葉を分解してみると、
・1年を通して温暖な気候
・街を囲んでいる豊かな山々
・旧市街の面影を残した街の姿
・いたるところに存在する威厳のあるお寺
・セブンイレブンの店先で寝ている野良犬
・地元のカフェやレストランにいる自由気ままな猫
・キャッチーな音楽を鳴らし、アイスクリームを路上販売しているおばさん
・タイ人の根底にあるマイペンライ精神
などが思い付く。
その1つ1つがチェンマイ独特の心地よい空気を醸成しているように思え、それが町の隅々まで浸透していき、人々に自然と影響を与える。
別の言葉に言い換えるならば、街と繋がっている、結合している感覚と言えるかもしれない。
最近、タイ人と「チェンマイの居心地の良さ」についてちょうど話した。ラムプーン出身の彼女は「sense of security」があると言っていた。自分もある種の安心感、充足感を確かに感じる。
街全体が大きなメルティングポットのような役割を果たしており、ひとたび足を踏み入れると、その中に吸収されていき、自分と街の境界線が徐々になくなっていく。ああ、確かにつながっているんだなと。コンフォートゾーンがじわりじわりと広がっていく感覚。タイ国籍を有しているか否かは関係がない。
さらに言えば、ポットの蓋は閉ざされておらず、外の世界(自然)とも繋がっている。見惚れてしまうほどの青い空、色彩豊かな花、鳥のさえずりや虫の音。街を歩いている時、バイクを運転している時、思いがけずに心がギュッと掴まれる風景に何度も出くわした。
東京に戻って数ヶ月が経つ。改めてチェンマイでの特別な時間に思いを馳せている。
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