セミが哀れな生き物だという傲慢な生命観
セミは7年「幼虫」として土の中にいて、成虫となって一週間で死ぬ哀れな生き物だという。本当に生命学者は馬鹿だ。
とは言っても、小さい頃から大勉強に一生懸命で小中高そして医学部を出て、先生先生と崇められるのだから仕方ない。可愛そうなのはそんな奴らに命を左右される私達である。
「擬人化」と言う曇った目は世界を見ることは出来ない。なぜ、土の中の幼虫が哀れなのだ。最高に素晴らしい環境であるとは考えられないのか?
庭を歩くとセミの亡骸が落ちている。小さな昆虫や粘菌類に分解され土に戻り、幼虫たちの身体に入り込んで輪廻して転生する。生命学者は、この当たり前の生命の潮流も見ることはない。
少し庭仕事をした。
ちょっと粗めの目の網でサギから鯉を守れるかと思ったのだが、どうもそこかにスキがあるようだった。
少し前から飛んできては鯉が減っていったのだ。サギも、子供がいて生きるに必死である。
サギの身体の一部になって空を飛べるとは幸せなことだとは言っても、余り嬉しいことではない。
そこで、池の網をかけ直したのだ。
暑くて大汗を書いた。
ヒトにとっての最高の場所は「母の子宮の内である」と論ずるヒトは多い。僕も帰れるならば帰りたいものでは有るが、そこはもうない。
あそこは暖かくて、出てきたくはなかった。河童のように、出てくるかどうか聞いてくれればよかったのに。
まあ、仕方ないから少し生きていることにはしたが、こんな嫌なところはない。もしかしたら夢の中かもしれない。古今の説話にはそう語るものも多い。
夏は生命にあふれる時期だ。少し歩くだけで、蚊に刺されてボコボコになる。妻はそんなにひどくないという。蚊も美味い不味いがわかると見える。そう言ったら、蚊は神様の使いで罰を与えているのだという。
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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。