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国体ゴルフ競技集計システムは平野屋にご用命ください。

2009年の事だった。新潟県の国体で新発田市がゴルフの開催自治体となったのである。10年関東の建築資材リース会社のシステムを開発運用していたが、一段落して仕事が切れて、会社を潰さなければならなくなった。一緒に働いてくれた女性も結婚して随分離れたところに行った(注)。

どうすればいいか分からず、途方に暮れていたところであった。中学時代の友人が新発田での開催の記録集計をしてくれないかと言ってきた。

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国体ゴルフ競技とは

国体は毎年開催県が変わる。前年のやり方を引き継ぐが、国体の記録集計は別格であった。47都道府県から男女4人(選手3人監督1人)チーム、27ブロックから少年男子(18歳未満の選手)が3つのゴルフ場で2日間の競技を行い最終日に最後の一人がホールアウトしてから1時間程度の間に記録を集計して賞状を用意して表彰式を行う。主会場(男子)では、全体の総合優勝、女子会場では全体の女子総合優勝の集計もする。

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これを、エクセルで集計して、メールで結果をやり取りして賞状まで出すのであった。18ホールのスコアを集計するのである。開催自治体はJGA(日本ゴルフ協会)さんから集計方法を聞いて、エクセルでマクロを作り参加申込みのデータを取り込み、8月に抽選会を行い組み合わせを確定する。そして10月に監督会議・練習日・試合2日を行い2日目に表彰式をして、その日のうちに選手ったちは全国に帰る。

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僕の提案

エクセルで集計するのは時代遅れだ、サーバーにデータベースを置き各ゴルフ場から入力をして、サーバー上で集計して賞状まで出そうという提案をした。問題は金額である。一回の開催県では精々60−80万円程度しか出せないという(職員を一人貼り付けて4ヶ月の人件費程度の分)。

今でも覚えている、2009年4月のよく晴れた日のことだった。先も見えず、ソフトの仕事は止めて就職先を探そうと職安に行っていた。当時僕が使っていたのは4thDimensionというパソコン上で動くRDBである。基本コストがかかるので導入運用は大変だった。

もう一度チャンスがほしいと思っていた。ソフトの開発者にとってのチャンスとはお金を頂いて、学ぶ機会なのだ。そして命がけである。

そこで一度も使ったこのとのないPerl(パール)と言うソフトを使うことを提案した。一度も使ったことがないのである。サーバーの管理もMACのOSレベルでしかしたことがなかった。無謀である(笑)。

画面を作りデータをサーバーで集計するなどということが出来るとは思えなかったが、失敗したら死ねばいいのだ。

ほぼ寝ないで半年、Perlのイロハから始まり、ゴルフのルール、国体競技の特殊性を学んだ。毎年採用されなければ採算は取れない、がその保証などない。とにかく失敗しないでやらねばならないのだ。自営業は辛い。そしてこのチャンスを逃してはならないと思った。

そうしてこの大冒険は始まった。まだ続いているのだ。

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システムは人

最初は、システムを作り、各ゴルフ場で入力してもらい、賞状を出せると簡単に考えていた。

大きな間違えだった。システムは人なのだ。人が使って初めて動くのだ。

なにせ役所の職員が集まって、チームとなるのだ。ゴルフのルールも何も知らない人たちである。全員が何が起こるのかさえもわからない。みんな不安なところに僕が飛び込むのだ。

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他の部署(式典、スコア搬送等)の職員も入れて国体の概略の説明。3種目の違いや過去の出来事などを話す。みんな徐々に理解していく。

毎日3会場を回り、少しずつ講習会をしていく。そして最後の日には皆賞状を出せるようになるのだ。

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つまりシステムの導入を毎年行うのである。システムは人と一体のものなのである。とにかくマニュアルを徹底的に作り、毎年新たな出来事や発見を入れ込んっで言った。そして、毎年繰り返すことで、記録業務に関しては一番良く分かるようになっていった。

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スコア集計においては、手張り集計(コンピュータ以前からの集計方法)とエクセルでの合計数字だけの入力を行う。マッチさせて入力が正確であるか順位計算が正確であるかをベリファイする。

バグも多く、時に職員の人に指摘され助かったことも多い。経験は長いが、僕も一緒に育っていったのである。担当の人たちの事は忘れられない。最初は業者にやらせとけばいいというような雰囲気だったのが講習会をすぎると一転する。

最後の賞状印刷のときの彼らの晴れやかな顔は素晴らしい

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人の流れを理解する。6人で動くが、最後の30分は賞状を印刷しながら閉会式の準備に入る。

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僕はオリンピックが大嫌いだ。中止になればいいと思う。

オリンピックの金はスポンサーが自分の会社の商品を多く売るための広告宣伝費である。世界一の選手を見ることは楽しかろう。しかし、彼らに与えられる金は、企業が社員の時給を削り、その浮いた金なのだということを忘れてはならない。

1980年代からこちらオリンピックでのインフラの整備は金持ちのためのものだ。選手宿舎は億ションに変わる。前の東京オリンピッくのときの選手宿舎は一般人の集合住宅ではなかったか?

そしてメダルを取れば、様々な役職につきスポーツをしなくなっても金をせびり取るのだ。企業から金を集めて役人に分配するする単なる見世物なのだ。いくら予算オーバーしても政治家は辺り前だという。その金は時給で働いて家賃を払い、年金も足りない僕らが、スポンサーの商品を買った金だ。僕は公式スポンサーの用品を買わない。

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国体は「スポーツをすること」を愛する人が集うのだ。

何度も思い出す風景がある。女子会場で家族揃って娘さんが出るところを応援する弟の心配そうな笑顔、ボランティアでゴミ箱の整理している人と話したときの言葉、会場に向かって歩いていくおじいちゃんたちの笑顔。地元から選手たちを引率してきた老夫婦の笑顔、皆素晴らしい。

確かにゴルフは贅沢なスポーツかもしれないがそんなに馬鹿みたいな金持ちのために開かれているものではない。駐車場に高級車は並ぶが、みんな話せばいい親父やおばちゃんだ。

国体は、地元でスポーツを愛する人が集っている。ゴルフ場の人の誇らしげな顔が嬉しい。3会場のうち一つは昔からゴルフを守ってきたゴルフ場だ。支配人は古びていると謙遜するが、、そこにはスポーツに対しての愛情がある。貫禄があり素晴らしい。

施設に関しても、県民が使える施設を、オープンな施設を作ろうとする。自治体の借金だから予算オーバーなど許されない。最近は少し贅沢気味であるが、基本をわすっれずに行こう。

オリンピックと違い土建屋の金儲けのためのものではない。600万円のチケットなど販売しない。

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国体などには興味なかったが、この仕事を得て12年になる。人生の1/4である。多くを学ばせてもらった。

この何回かの大会で話題に登る。「アフターサイトウ問題」である。僕が居なくなったらどうするかという問題だ(笑)。そう言ってもらえることは嬉しいことだ。

こんな人生を生きれて幸せだった。国体の仕事のことを考えるといつも泣きそうになる。死ぬ気になって生きれば道は開ける。子供に残せる数少ない教訓である。駄目だったら死ねばいいのだ。2009年の開発の時を思い出すといつもそう思う。最後の一ヶ月はほぼ寝ていなかった。よく生き延びることが出来た。

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システムに関してはこちらからどうぞ。実際のシステムを見ることが出来ます。システムの機能説明はこちら

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毎年5月くらいには箱を作る。2020年は中止になり、作った箱はもう少し後で使うことになる。父の一周忌のあとで死のうと思っていた。まだ生きていていいようである。世の中はわからないものだ。

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昨年の記録

2回ほど東京で打ち合わせがあり、開催県に一週間詰めるのだが飲んでばっかりである。契約すると、6月に一回目の土合わせである。

東京の友人とたくさん飲むのである。

8月に抽選会というのがあるのだが、これが一番きつい。偉い方が並ぶ前で抽選会をして、たくさんのプリントを出す。しかし、食ってばかりである。

大会当日である。一週間のスケジュールで挑むのだ。何が起こっても帰れ無いと話す。父に見送ってもらった最後の大会だ。

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父が見送ってくれた最後の大会である。

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新潟大会で賞状を印刷が終わり、表彰式の歓声を遠くで聞いていたときのことは忘れない。

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