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#食事療法
木蓮の取り木:愛しの南方熊楠先生、生命の「律」を見つけた精神
少し前に、庭の木蓮を切った。隣の家にでていて、秋になると沢山葉を落とすのでなんとかしなければならなかった。
庭の木蓮を切った
梅の取り木で「ネメデール(根芽出る)」という薬剤を買った。木の幹から皮を剥がして、「ネメデール」して水苔で覆うと、そこから根が出る。3ヶ月くらいしたら幹を切って時に下ろすのである。
切った木蓮にはもう芽がついていた。取り木が出来ないかやってみることにした。木蓮はただ水
干し物の研究:野菜は干すと美味しくなる
先日、素敵な方のページでキュウリや大根、レンコンと言った野菜を干すことを知った。干してから炒めたり天ぷらにしたりするといいという。
アッと思ったのだ。
いろいろな調理で干すということは多くあるのだけど、その工程を「調理」と考えていなかったのである。目から鱗が落ちるというのはこのことなのだ(昔の人は鱗をコンタクトレンズにしていた=嘘)。
「干す」というのは水分を飛ばし発酵(=腐敗)を始めるそし
コロナ向け「mRNAワクチン・ウイルスベクターワクチン」ってなんだろうか?殺人ワクチンで金儲けするインチキおじさんたち。
ワクチンというのは、長い歴史を持つ。そもそも民間療法として、患者からうつしてもらうことで軽度に済むなどという経験則があり、それを医学が盗んだのである(笑)。
実質的にこのお話の続きです。
先日、日経メディカルのワクチンについてのアンケートを読んでいたら、医療従事者が結構怖いから打たないと答えていて面白かった。
最初、コロナウイルスに対応したワクチンをつくると聞いたときは、普通のワクチンなんだ
生命であること、ともに生きるということ
鈴木農園さんの事を知ったのはすこし前。小豆島で養豚をなさっている。ブタさんたちとの毎日を綴っている。養豚場だから、「死」とも向き合う。共に生きて、喜びを感じて、最後は死に向き合う。それは当たり前のことだったのだ。そしてその言葉は素晴らしい。
私達は、この50年で見たくないものを施設や病院に隠し「不老不死」になったつもりであるだろうが、大きな間違えである。無論、私達が望み、専門家はその望みをフェイ
僕の大好きな3人の生命学者
2015年から糖尿病についての本を読みはじめて、やがて生命科学へと興味が移っていった。3人の女性の科学者を僕はいつも思う。
アカデミズムというのは利権の取り合いの世界である。そして多分にもれず差別の強烈な世界である。そんな世界で、大変な苦労をして、世界を変えた3人の方だ。
パワハラ・セクハラは日常的で、大学の研究塔屋は欲望のダンジョン。階級は明確に有るが、そこ浮遊するルールは「てっぺんの覚えが
同じ釜の飯を食い共に世界に向き合うこと:僕のマイクロバイオーム論
鈴木農園さんのブタ母さんが子豚ちゃんに乳をやっている動画を見た。母と子のつながりを「『本能』と言う何も説明していない言葉」で学者様は表現する。
僕が知りたいのは「ネグレクトやDVとどう向き合うか」だ。子供をネグレクトする母親に「本能が欠けている」などという学者は、バカである。まるでその母親を不良品のように表現する奴らが腹立たしい。
苦しんでいるのだ。どうして、世間が期待するように子供を愛せないの
糠漬けの研究:「土を食う」=マイクロバイオームを食べるということ、『輪廻転生=食物連鎖』
土を食う人がいるという(注)。「異常食欲」の例として土壁を食べる人が紹介される。しかし、そもそも「土」というのは「葉や枝」が積み重なり腐葉土となり、それを細菌が分解しながら水とともに根から吸い上げられて実となり葉となり枝となる。私達はそれを食べているのである(注)。
土とは生命の始まりの場所なのだ。最初は真菌が「リグニン」と言われる食物繊維を分解して脂質とタンパク質の高分子化合物にする。それらの
幸運な病のレシピ(2)マユのご飯も手作り、細胞レベルではヒトもイヌも一緒。共にピンコロ人生を目指す。家族の食事を作る喜びと重責
ペットフードを食べているから犬も生活習慣病になるという「高級ペットフード」の宣伝を見た。あ、と気がついた。イヌもヒトも一緒じゃん、僕は2015年以来「乾燥・濃縮・抽出」工程を通った食事が辛い人生の終わりを迎えさせると考えていた。だから、「幸運な病のレシピ」と言う試みを続けている。
ミニチュアダックスのマユも家族なのに、仲間はずれにしていた。乾燥してポリポリの炭水化物60%のドッグフードにお湯かけ