見出し画像

『ヘディングはおもに頭で』

フットサルと読書会。Amazonの内容紹介で見たフレーズが、この本を手に取るきっかけだった。

二十数年前、書店で働き始めたばかりの私は、アルバイトスタッフの子たちとフットサルのチームを立ち上げ、仕事が終わった後や休みの日にプレーをしていた。

スタッフの一人がデビッド・ベッカムに憧れていて、チームユニフォームはUmbroのマンチェスター・ユナイテッドっぽいデザインが選ばれた。当時は専用のコートが少なく、終業後に横浜市営地下鉄のセンター北駅まで30分かけて移動しなければならなかった。

メンバーは初心者が多く、サッカー経験があるのは私を含め数名だった。チームとして練習することはほとんどなく、適当に対戦相手をみつけては試合に興じていた。

プレーをするのは主に男性で、女性のプレーヤーはほとんどいなかったと思う。時々メンバーの子の彼女や女性スタッフが遊びに来た時は、一緒にボールを蹴ることがあった。


『ヘディングはおもに頭で』の主人公・松永おんは高校時代の友人に誘われ、フットサルを始める。運動へのコンプレックスが強かったおんだが、少しずつ人とボールの流れを肌で感じ、今までにない感覚を覚えるようになる。


「これはなんだ。もしかしてこれは楽しいのか」


5人でプレーするフットサルは、ボールに関わる時間が長い。そして展開が速い。おんにとって、体育の授業で経験があったサッカーとは全く違う、新しい何かだった。

名も知れぬ人の、自分が一生かかってもできそうにないプレーにも触発され、おんは不格好でも続けてフットサルをプレーしてみようと決意する。

後に試合で捻挫をしたおん「考えるひまがないから楽しいんだな」とつぶやいた関口医院の先生の見立ては、フットサルの魅力の一端を示している。

攻守の切り替えがひんぱんに発生するので、ミスをしても落ち込んでる暇はない。夢中でボールを追いかけていると時間はあっという間に過ぎていく。

気が付けば、頭の中の小さな悩みはどこかへ行ってしまい、身体は心地よい疲れを感じているのだ。


私も高校時代のサッカー部の友人に誘われたのがフットサルを始めるきっかけだった。フェイントが苦手なのも、浮き球のボールを蹴るのが好きなのもおんと同じ。シュートよりも思い通りのパスが出せた時に楽しさを感じるのも一緒だった。

個人参加フットサルに参加する描写にも身に覚えがある。説明しがたい、何があるか分からない怖さが確かにあった。意地悪な人や自己中心的な人、関わると面倒そうな人もいた。

とはいえ振り返れば長くプレーしてきて大きなトラブルは一度もないし、優しい人の方が多かった。2019年の年末に、J2クラブのサポーターが集まって王子のキャプテン翼スタジアムでフットサルをしたのは良い思い出だ。

翌日に最終節を迎える対戦相手のサポーター同士、という組み合わせでも試合を通じてリスペクトあふれる交流ができていたと思う。あいにくの雨でびしょ濡れにはなったけれど、温かさを感じる時間だった。


おんは小説家を志す友人に誘われて、読書会にも参加するようになる。課題図書を決めて感想を述べあう場は、今までの友人たちとの交流とはまた違う、これまで会ったことがない人たちがいる場だった。

12月の会では、この一年に自分が読んで面白かった本を紹介することとなり、おんはブローティガンの本の紹介を無難に済ませる。小声でほめてくれた大田さんと言う女性は、会の後の忘年会でおんへの距離をじりじりと縮めてくる。


本を紹介する会は、実際に個人や団体の主催でそこかしこで開催されている。私は図書館が主催する会に参加したことがあった。その会では一人持ち時間5分を使って、おすすめの本を紹介していた。最後に一番読みたいと思った本を各自指でさすルールだった。

女性が3人、男性は私1人の計4人のグループだった。私はとあるサッカー本を紹介した。女性たちには聞きなれないテーマだったのが奏功したのか、私が選んだ本は2人の女性に指さされることとなった。

どんな本をどういう経緯でおすすめしたのか話を聴くのは存外楽しいものだ。その人の人間性、その人を形づくる要素のようなものが感じられることがあるからだ。大田さんがおんにおすすめした本は文中の描写にはないが、気になるところである。


『ヘディングはおもに頭で』には、おなじみのチェーン店の名称が数多く登場している。牛角、松屋、吉野家、ドン・キホーテ、サイゼリヤ等、おんが住む東京のみならず大都市圏であれば見ないことはない店舗である。

これらの店舗は、浪人生のおんでも十分に手が届く価格帯の店だ。父を亡くし決して裕福ではない家庭であっても、店に入るのにためらうことはないだろう。そもそもフットサルスクールに通えるだけの余裕があるのだから、おんはそこまで生活に困窮していないはずである。

特別恵まれた何かがあるわけではない。さりとて大きな不幸が重なるわけでもない。小さな不安や不満を抱えつつも、否応なく流れていく時間に背中を押しだされるようにおんは前に進んでいく。

自分ではどうにもならないこともあるけれど、自分で決めてアクションを起こすことができるおんには希望がある。パスを出すのか、出さずにドリブルするかあるいはシュートを打つのか。

その選択で結果が上手くいかなかったとしても、それはそれでよい。もちろん同じミスをしないに越したことはないけれど、また同じ失敗をすることもあるだろう。

私は次は上手くやりたいなと思っても、いつの間にかその意欲が消えてしまうことの方が多かった。そういう意味では、おんの方が私なんかよりよっぽど立派だと思う。

淡々と流れる時間と、ざわざわと心動かす出来事が織りなす青春の日々を描いた文章は、かつての私の記憶を刺激する。

おんと私は何となく似ているような気もするが、小説のエピソードに自分の思い出を都合よく重ね合わせているだけかもしれない。


センター北でプレーしていたフットサルチームは、私の異動もあって2年くらいで活動をやめてしまった。あれから二十数年が過ぎたが、年に一度くらいはフットサルでボールを蹴っている。今はSoccer Junkyというスポーツブランドのシャツがお気に入りだ。

そういえば2019年の王子でのフットサルでは、女性のプレーヤーも参加されていた。ボール扱いは上手だし運動量も豊富で、何より楽しそうだった。1人は私と同じ横浜FCのサポーター、もう1人は柏レイソルのサポーターの方だった。

横浜FCのサポーターの女性とは、J1昇格が決まった愛媛FC戦のキックオフ前に顔を合わすことができた。昨年は三ツ沢でお会いすることはなかったが、変わらずお元気でいらっしゃるだろうか。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?