The first time in NYC. day 5(2/2)
ご存知ない方もいらっしゃるかもしれないが、私は釣りが好きだ。
水質、水温、流れ、気温、風、日光等。
様々な要因で魚の位置が変わる。
そして食性、威嚇、好奇心といった「魚に口を使わせる条件」を見つける為に恐ろしく頭を使う。
一度ボートに乗ってしまうと10時間以上ほぼ飲まず食わず。
或いはトイレに行かないなんてザラだ。
あ、好きなルアーにザラというのがあって・・・
脱線大王の称号がチラつくのでやめよう。
私が所持する道具の量は・・・うん。ちょっと文字では表現し切れない。
この夏、引っ越しの際かなり手放したが、受け取った業者が
「年内は仕入れしなくて済みます♪」
と喜んでいた。
七月段階で年内仕入れ完了と言わしめた私の釣具たち。
かなりの物量であったことは想像に難しくないだろう。
前記事でも触れたが(未読の方は無料部分なので是非)私はヒロ内藤氏プロデュースの超激レアアイテムをはじめ、二度と手に入らない物を多数所持している。
少量生産だった物や100年以上前の年代物、製作者が亡くなってしまった物、はたまた会社そのものが消えて惜しまれつつ生産終了となった物。
気付けば二度と手に入らなくなってしまっている物がなんと多いことか。
中にはネットにも出ていない「幻」と言われている物まである。
そんな物たちが何故私の手元にあるのか。
釣り歴は来年で三十五年。
せっせとお小遣いを貯めて買ったり友達と交換したり。
或いは水不足で干上がった溜め池で拾ったり。
入手経路は様々だが増えることはあっても減ることがほぼなかったのだ。
そして思い入れがある物は手放せないという性分がこの夥しい物量を現実のものとした。
因みに引っ越しの際に手放した。と記したが、私が釣具を手放したのはこれが初めてと言って良い。
そしてその手放した物は比較的入手難易度が低めの物が多かった。
それでもプレミアがついていたりマニアが涎を垂らすであろうアイテムばかりだったのだが。
では何故手放せたのか。
その答えは簡単。
思い入れが薄いからだ。
逆に量産品であっても思い入れがあれば私は絶対に手放さない。
幼馴染と初めて訪れた溜め池で大物を釣ったルアーは、同じ物が量販店で¥500-程度で売ってあったりするが、針も替えずにそのまま保管してある。
きっと売れば¥100-にもならないだろう。
でも絶対に手放さない。
年齢を重ねれば重ねるほど思い出と物が増え続けてきた。
そしてその物を手にするだけで当時の記憶が蘇るのだ。
嗚呼、これは〇〇と行ったあの湖で雨が降ってきたからそろそろ帰ろうかというタイミングで掛けたやつだ。
といった具合にその時の風景や魚の感触、仲間の声までありありと蘇ってくるのだ。
釣り仲間の中には全て記録している友人もいる。
「何月何日に何処そこでどんな環境でどの時間に何を使ってどれ程の魚を釣った」
データ化して残してあるのだ。
私はやらない。
というかできない。
機械オンチだから。
わーど?えくせる?ぱわーぽいんとぉ?
PC関連の話をされると我が脳は即刻江戸時代レベルだ。
デジタル化が進む中、アナログな遊びとされる釣り。
最近ではスマホと連動したリールという物まで出てきたが、20年以上前の道具をせっせとメンテナスして使っている私からすれば良さが全くわからない。
「投げたルアーの平均飛距離をリールが記憶してスマホに送れるんです」
ゴルフじゃないんだから飛距離なんかどうでも良い。
「ルアーの重さや糸の材質によってリールが自動制御で最適なバランスを取ってくれるんです」
貴様。
ルアーを「投げたい」のか。それともルアーを「投げさせられたい」のか。
それは「魚を釣りたい」のか「釣らされたいのか」に直結する。
全て自分で管理し、把握し、考えるから面白いのだ。
コロナ禍のアウトドアブームに則って「誰でも使える様に」と道具は一気に進化した。
しかし、コロナ禍と共にそのブームもほぼ終焉。
にわか釣り人は姿を消し、奴等が残していった超絶マナーの悪い行いのせいで古参の釣り人だけが
釣り人=マナーが悪い
のレッテルを貼られるという最悪の状況が残されてしまった。
なんでもかんでも「誰でも簡単に」。
ある程度の不自由があるから面白いのだ。
誰でもすぐできてしまったらそんなの楽しくないしそもそもありえない。
以下独り言
(そんなこと言ったら誰でも簡単にミュージカルに出れてしまうではないか!
例えばチケットをやたら売るとかSNSで人気があるとか一定の条件さえ揃えばOKなのか?
いやいや、そんなこと許される筈がない。
そんなバカな話があるか!
歌えない踊れないミュージカル俳優!?
それを舞台に上げる?
そんなこと起こる筈が・・・・)
車やバイクにしてもそうだ。
マニュアルの方が面白い。
クラッチを操作し、エンジン音を感じ、車体との会話を楽しみながら疾走するから楽しいのだ。
自動運転だぁ?
貴様。
「車を運転したい」のかそれとも「車に運ばれる荷物になりたい」のか。
私のバイクは当然マニュアル車。
車はセミオートマチックという限りなくマニュアル車に近いマニアックな車体だ。(エッヘン)
昨今多い踏み間違いの事故。
安全性を上げようとメーカーは思案を巡らせている。
提言させて頂けるならば、全てマニュアル車にすれば踏み間違いなんて起きない。
間違えたり急発進したらエンストして停まるのだから。
そもそもマニュアルで運転すれば四肢と頭を使わなければならないのだから技術の向上、飲酒運転の撲滅、スマホを操作しながらの運転防止、更にはボケ防止にだって貢献してくれるだろう。
もっと言えば余計な機能を付ける必要がないのだから車そのものの価格も抑えられる。
win-win-win-win-winじゃないか!!!
このアナログな思考はきっとこれからより簡素化されていくだろう。
弟子や若手の中には私を「ラストサムライ」と揶揄する者までいる始末だ。
でも考えてもみて欲しい。
答えがシンプルな方が頭を使うのだ。
小学生の頃「どうすれば過疎化を防げるのか」をテーマにクラスで話し合うという授業があった。
皆「テーマパークを作る」だとか「ショッピングモールを作る」だとか所謂「若年層」の獲得を軸に考えていた。
私は単に人口が増えれば良いだけなのだから、介護施設と病院の併設、加えて温泉施設の一本化を提案した。
何十年も人口が増え続けるなんてありえない。
それならば短期間でも安定した人口の増加、且つ税収の増加を考慮すれば裕福な中高年の移住が最もリスクが少ないと考えたのだった。
テーマパーク?
初年度から二年程は良いだろう。
しかしすぐ維持管理だけで破綻だ。
ショッピングモール?
そんなのはあっという間に外資に食われる。
どうなっているかはこの三十年の地方自治体を見渡せば火を見るより明らかだろう。
面白いのはこの小学五年生の提案に担任が食いついたことだ。
そこから午後の授業を吹っ飛ばし、具体的なプランの話し合いに授業内容が切り替わった。(今思えばかなり変わった先生だ)
財源は?
場所は?
運営は?
料金は?
クラス全員でこの「過疎問題」に取り組んだ。
その時社会福祉と商売の面白さを知った子どもは少なくないだろう。
目の前の小銭よりも後の大金を確実に手にする為、財源は借入。
ただし運営は行政を巻き込み、半官半民で。
民間の方は地元の企業に限定。
料金は3:3:1(運営費:諸経費:純利益)で決める。
これで借入は十年以内にpay。
香川県は溜め池や小さな山が点在しているので幹線道路近くの平地を選択するが、規模拡大の際は海側の山を開拓する。
基本的に場所は駅近よりも駐車場が確保しやすい郊外を選択。
入所金は徴収するが利用料金次第ではかなり抑えられる。
これを起業の段階で保険会社を巻き込むこととした。
31年前、香川県の最果ての田舎で地元を守る為の話し合いが行われたのだった。
そして時は経ち、私が上京している間に病院と介護と温泉が一体となった施設が誕生していた。
勿論私はその経緯を何も知らない。
誰の発案かも、どこの企業が出資したのかも、いつから始めたのかも知らない。
知らないが・・・
マージン、戴けませんか?
この施設の周りがまた面白い。
下水処理された排水が温水なのですぐ下にある溜め池は冬でも温かく、魚がよく釣れる。
更にその溜め池にはゴルフの打ちっぱなし店があり、そこも水が温かいので暖房をほぼ使用せずとも快適にプレイを楽しめるのだ。
勿論店は大繁盛。
お金が回るので無料の駐車場が整備された。
釣り人も助かっているし、施設の利用者の家族も停められる。
win-win-win
となっているのだ。
もう一度言う。
マージン、本当に戴けませんか?
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