The first time in NYC. day 4.(2/2)
祖母は自らの手で何でも作る人だった。
自ら畑を耕し、種を植え、大切に育て、収穫する。
「家庭菜園」の規模ではない。
広大な土地を誰に任せることもなく一人で全て管理していた。
従って食卓は季節毎に畑で摂れる食べ物で溢れていた。
上京する迄肉や魚、調味料以外を購入したことはほぼなかった。
購入する調味料と言ってもケチャップやマヨネーズ類で、味噌も手作り。
依って私は自家製の味噌汁以外知らずに育った。
リビングでテレビを観ていたらハサミを手渡され妹と二人で畑に入ることもしばしば。
お陰で季節毎の旬の野菜を覚えていったし、水や肥料のやり方、収穫の仕方も自然と習得した。
小学生乍ら農機具(コンバイン等)の運転方法を身に付けていたのは一つの自慢だった。
また、畑とは別に山に入り(当然私有地)、筍や松茸の収穫に出かけたことも良い思い出だ。
祖母と山に入る
楽しそうに聞こえるがそれは収穫のみならず危険を予測して対応する知識も身に付ける「学びの場」だった。
食べてはいけない物や獣道の見分け方、方向感覚を失い易い深い山中での位置の測り方、急斜面の登り降りetc...
山は冒険に満ちていた。
ナタを片手に薮を切り開き道を作る祖母が頼もしかったし、時々帰り道を任せてもらえたことも嬉しかった。(間違えるとすぐ修正された)
そして妹は危ないからという理由で連れて行ってもらえなかったことも僅かな優越感を与えてくれた。(帰宅したら妹が祖父に甘やかされてお菓子に塗れていたことは許せなかったが)
畑や山の仕事では祖母にはとても敵わない。
一方、釣りに本腰を入れる様になり食事に一品添えられた時は何とも嬉しかった。
土を耕し、土の声を聞き、種を植える。
芽を迎え、慈しみ、果実を獲る。
限られた土地をどう使い、どう活かし、何を得るのか。(まるでラピュタの台詞だ)
食卓には祖母が育て上げた食材が並んだ。
デザートの柿や無花果、甘夏に至るまで自家製だった。
祖母と母が並んで調理する姿が我が家では当たり前の光景だった。
24年前、上京したての頃は東京の食べ物に馴染めず非常に苦しんだ。
祖母のお陰で舌が人工的なものに対してほぼ免疫がなく、何を食べても美味しいと感じられなかったのだ。
因みに幼少期は駄菓子も禁止。
友達が学校に持って来ていた駄菓子を分けてもらってあまりの強烈な匂いと甘さに驚愕したことを覚えている。
東京生活に悩んだ末、母に頼んで祖母の味噌や野菜を送ってもらったことがつい昨日の様だ。
人生最後の晩餐は?
そう質問されたらあなたは何と応えるだろう。
高級料理店?
閉店した名店のカレー?
○○の先代の中華?
私は迷わず「祖母と母の料理」だ。
そんな祖母の料理、残念ながら何年も口にできていない。
あなたが何年も口にしていない物は…?
This is america !!
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