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The first time in NYC. day 3.

水に惹かれるのは子どもの頃からだ。
海が、川が、池が自宅のすぐ近くにあった。

ランドセルに振り出し竿を忍ばせて授業が終わったら溜池に釣りに行ったり、部活帰りに海に飛び込んだり、川に罠を仕掛けて魚やエビを獲って遊んだり。

水は私を退屈させない。
ずっと眺めていられる。

それは日本だけの話ではない。
シンガポールでも、韓国でも、勿論ここ米国でも同じだ。
特に西にハドソン川、東にイースト川に挟まれたマンハッタンはとても魅力的だ。

NY滞在三日目。(実質二日目)

今日も朝から活動。
正直睡眠時間は少し足りていない。

昨夜高い化粧水をぶち込み、乳液とクリームを施し、ストレッチをしてさぁ眠ろうと思ったらテレビでスターウォーズが始まってしまった。

前の記事でも書いたが私はスターウォーズなら字幕なしで観れる。
放送されていたのはデジタルリマスターされる前のEp.Ⅳ。
ほとほと疑問なのだが、デジタルリマスター後のスターウォーズ(Ep.Ⅳ~Ⅵ)は正直言って酷い。

新たな技術で生まれ変わったスターウォーズ!

と銘打っていたが私は前の方が良かった。
画質が良くなるだけなら良かったが、妙なCGを足すことで却って安っぽくなってしまったのだ。
因みにこのCG技術も2005年に登場したエマージンテクノロジー搭載前のものだった為クオリティはそれ程高くない。
生まれ変わったスターウォーズを楽しもうと、当時劇団四季の公演で全国を回っていた私は滞在中の福岡でDVDを購入。
吉原光夫の追求を逃れて部屋でひっそりと楽しんでいたのだが、期待は見事に裏切られたのだった。
特にEp.Ⅵのラストシーンと言ったら・・・観ちゃおれん!

スターウォーズに裏切られたのはEp.Ⅰ以来二回目(Ep.Ⅱ、Ⅲはもはや期待していなかったから裏切られるまでもない)。
やはり私の中の「スターウォーズ」はデジタルリマスターされる前のEp.Ⅳ~Ⅵなのだ!!
熱くなったついでに言うと、ジェダイの騎士の武器である「ライトセーバー」。
多くの方が親しみを持ってこの名を口にしているだろう。
しかし私の中では、あれは「ライトサーベル」。
VHSを擦り切れるほど観た者としては初めてDVD化された際に「ライトセーバー」とされていた時の違和感は忘れられない。
「ライトサーベル」と口にする人が居ればその場でハイタッチだ。

しかし、多くの日本人は知らないだろう。
スターウォーズ日本初公開時は「ライトセーバー」は勿論、「ライトサーベル」でもなかった。

その名も

レーザー光線剣」!!!!

凄い名前だぁ!
カッコいい!!
昭和の匂いがぷんぷんするぜ。

因みにこの日本初版ではもう一つカッコいい名前があった。

それは「理力」

ピンと来た方、さすがです。

「理力」とは「リリキ」→「ことわりの力」→「フォース」のことなのだ!!
日本初公開の字幕では「フォース」は全て「理力」と書かれている。

「ルーク!理力を使え!」
「理力を信じろ!!」
「理力は君と共にある」 

字面で見るとなかなかカッコ良い。
しかし声に出してみると言い難い上に意味が通じ難い。
結局その後「フォース」に修正される。
ついでに「レーザー光線剣」もスタイリッシュに!と言うことで「ライトサーベル」へ変更。
何故「ライトセーバー」ではなく「ライトサーベル」なのか。
それは当時「ライトセーバー」という響きが視聴者には馴染めないと判断してのことだろう。

Right of sabel.

日本人にとって刀剣は特別な存在だ。
明治維新後、日本政府は個人戦から集団戦術に移行・対応する為、軍人や警官が所持する刀にフランス式「サーベル」を採用した。
「サーベル」の発音としてはオランダ語が語源である。
「洋刀」
しかし細くて軽い上に片手で扱うサーベルに対して不満が続出。
そもそも上級士官に持たせる為に採用したことが実際の理由だった(実戦向けではない)ことも考慮すれば当然と言えば当然だ。
そんな折、西南戦争にて日本刀と日本剣術を駆使した「抜刀隊」の活躍により日本刀が再評価されたことも手伝い、後に陸軍に於いて外装はサーベル、刀身は日本刀という諸外国には存在しない日本独自の軍刀、通称「村田刀」が採用されることになる。
ただ、一本化されていたわけでもなく使用された鉄や作った場所、製造者によって「造兵刀」「満鉄刀」「興亜一心刀」など多くの種類が存在した。
刀身の大きさ、重さ、長さ、幅、材質、調合、反り、波紋の立ち、切先の長さと幅。
柄の長さ、太さ、柄糸の材質、巻き方、頭のデザイン、大きさ、目抜きの位置、縁の幅。
これに鍔や鞘に至る迄オーダーメイドも出来れば様々なカスタマイズが可能なのが日本刀なのだ。
※因みに「村田刀」は大人気コミック「ゴールデンカムイ」にも登場する「村田銃」でも有名な「村田經芳」の名を取ったものだ。

日清・日露戦争の折は階級の証明としても使用された日本刀を基礎とした軍刀。
また、徴兵される夫や我が子に量産型の軍刀ではなく家宝の日本刀をお守りとして持たせることが一部の旧家等の間で流行。
重く頑丈な日本刀式軍刀は精神的支柱としての役割も担っていたのだ。

ただ、全ての軍刀に採用されたわけではなく騎兵は片手で扱えるフランス式サーベルを第二次大戦終結まで使用していた。

ちょっと話が逸れたが何が言いたいかと言うと、時代の変化に伴って権利元が初版の「レーザー光線剣」から当時の日本人に馴染む様に「ライトサーベル」に、そしてその後「ライトセーバー」へと呼称を変えてしまったことに拠って、翻訳の際拘った筈の「ライトサーベル」や「レーザー光線剣」がまるで無かったことにされてしまったことに若き日の私は一縷の寂しさを覚えたのだった。

これは現代のデジタル化が加速する社会の中で注意するべき部分だと思っている。
デジタル化に拠って消えていったものがどれ程あるだろう。
一部の権力者や時代の流れに拠って修正・統制されたものは無いだろうか。(「キエフ」が「キーウ」になった様に。)

国、人種、言語、文化、歴史。 

凡ゆる物事が簡単に検索できる世の中になった。
一説に拠れば我々現代人が一日で目にする情報量は江戸時代に置き換えると一年分。
平安時代に置き換えるとなんと一生分だとも言われている。

ではその膨大な情報の中にどれ程の「隠された真実」が存在するだろうか。

例えば50音からなる日本語だが、いつから50音であるだろうか。
もしかしたら我々の知らない間に1音があって、本来は51音だったかもしれない。
或いはいつしかなくなる一音が出てきて50音から49音になる日が来るかもしれない。
いつだったか虚報タイムズで「ぬ」は不必要と報道されたことがあった。
驚くことにこれを本気にした人がいた。
考えてみて欲しい。

「ぬ」が無くなるなんてあるわけがない。 

沼尾みゆきはどうなるのだ!
人はそう思うであろうことが前提だから「虚報」なのだが、もしもこれを信じた人の方が多かったらどうだろう?
「ぬ」の代わりの一音が発表されたりしたらどうだろう?
「ビュマオミユキ」とか。
デジタル統制ならば人心をコントロールすることすら難しくないということなのだ。

この「虚報タイムズ」の記事は学生の頃、機械オンチからキーボードで「を」の打ち方がわからず、仕方なく「を」を使用せずにレポートを提出して教授から「詩的だ」と評されたことを思い出させた。(しかも哲学)


もしも今、外国からミサイルが発射されたとオンラインで発表されたらあなたはどう思うだろうか。
信じるかどうか、どう対処するかはその情報が誰が、或いはどこから発信されたかに拠って変わるだろう。
では、誰か著名な人がXでポストしたら、若しくはポストしたらしいと誰かに言われたらどうだろう。

 池○彰さんがXで避難しなさいって言ってたって! 

するとそれが「真実」となって急いで家族や友人に知らせようと思わないだろうか。 

ここ最近、子どもの頃に得た言葉や情報を口にすると「それ知らない」とか「そんなの古い」とか言われることが少なくない。
酷い時なんて「お前は間違っている」とすら言われることもある。

「ネットの情報を信じるな」

とネットで叫ばれる時代である。

「レーザー光線剣」は検索してもネットには出てこない。
でも私はそう表記されている雑誌も映像も所持している。

ネットに出ていなければ「嘘」ですか?

機械オンチだし「情報弱者」とバカにされて久しいが、やはり自分が体感した物事や紙媒体で得た知識、人と関わった経験等デジタルでは残せないものを大切にしたい。
とnoteというネット媒体を利用して発信していることへの矛盾を感じずにはいられないのだが。


もう完っ全に話は逸れたが、アナログ人間として生きている私から観た現代はデジタル化によって簡素化された反面、短絡的且つ直接的過ぎて恐ろしく感じているのである。
だから川の水の様にその時にしか存在することができない、その時にしか目にすることが出来ない舞台の世界に強く惹かれるのだろう。

目で見たものだけを取り入れたとしてもその情報量は膨大な筈だ。
それだけでも人生は十分過ぎる程豊かにできる。


ここで私は猛省する。


変なモードになるから夜中に書いちゃダメだ。(AM2:54)


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