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The first time in NYC. day 4.(2/1)

幼少期柔道を学んでいた。
我が家は祖父も父も柔道有段者だったので私が柔道を習い始めたことに周囲は当然の様に

「おじいちゃんの血だねぇ」
「お父さんの影響ね」
「身体が大きくなるわねぇ」

と言ったものだ。
どれもハズレ。(特に三つ目💢)


私が柔道を始めたきっかけになったのは近所のオジサン。
オジサンと言っても知らない人ではなく友達の父親だった。

小学校の「子ども会」(今もあるの?)の同じ学区にそのオジサンはいた。
清掃活動や廃品回収等の所謂奉仕活動が主軸の子ども会。
面倒臭い思い出という方もいるかもしれない。

我が子ども会は少々変わっていた。

「大人が楽しめなくて子どもが楽しめるわけがない!」

と称して長期の休みになると皆で遠出して(県外)海に行ったりキャンプに行ったり、クリスマス会をやったり忘年会をやったり新年会をやったり。

結局子どもをダシにして大人たちが楽しみたいんだな。と子どもでもわかる「大人のサークル活動」だった。(「下見」と称して先んじて遊びに行く始末!)

香川ナンバーが何台も連なって大移動。

海に行こうがキャンプに行こうが川に行こうがベースキャンプを設営するや否や大人たちは早々に乾杯。

今思えば彼等の大半が当時30代〜40代前半。
元々幼馴染同士だった保護者もいれば、転居してきた一家もいた。
仕事ではまず出会うことのない人たちとの交流は面白かったに違いない。
子どもを通じて新しい仲間が増える。
保護者たちはさぞ楽しかっただろう。
それにしても子どもの放置ぶりは酷かったが。

親たちが仲が良いと自然と子どもたちも仲良くなる。
小学校だから一年生から六年生までの子供がいる。
とお思いだろうが我が子ども会のイベント時は「一家」で移動。
最年少は一歳にも満たない幼児がいた。
「小学六年生」で一つ線引きされているのも面白かった。
六年生をリーダーに皆でどう遊ぶか考えるのが楽しかった。

赤ら顔でゲラゲラ笑っている大人。
自然相手にゲームを考え遊ぶ子ども。
振り返れば健全な教育の場だったのかもしれない。


大人たちの笑いの中心にはいつもそのオジサンがいて、子どもの目からもこの人が皆の牽引役であることは明らかだった。
我が父は企画を担当。
「子ども会」をサークル活動に転身させた張本人ではあったが、まるで裏の権力者の様相だった。
父はその性格に加えて地元出身でなかったこともあり、その役割の方が合っていたのだろう。 

子どもたちはベースキャンプから離れてしまうこともあった。
瀬戸内海とは違う荒々しい波が、見たことのない大きな川が、自生している植物の種類が違う山が面白かった。

大人の笑い声が聞こえないところまで行ったことも二度や三度ではない。

こういう時オジサンはいつの間にか子どもたちといた。
大人だけで楽しんでいた筈なのに自分たちと一緒にいることに最初は理由がわからなかった。
しかしある時それがハッキリわかった。

大きな川へ行った時のことだ。
三年生が深みにハマった。

そして子どもたちは三年生が突然消えたことに気付かなかった。

一瞬で深みにハマる川。
水紋が出てもすぐ流れてわからなくなるのだ。

子どもたちが気付いたのはオジサンが三年生を引き上げ大きな声を出した後だった。

最初は三年生が泣いていたので怒られているのかと思ったが、子どもたちはすぐ事態を察した。

あの時オジサンがいなかったら楽しい企画がとんでもないことになっていたかもしれない。


オジサンはいつも周りをよく見ている人だった。
そしていろんなことを教えてくれた。
自然との遊び方は祖母とオジサンから教わったものだ。

皆子ども会が好きだった。
太平洋で初めて泳いだのも大きな川に初めて飛び込んだのも初めてテントで夜を明かしたのも子ども会だった。

他の学区の友達に
「お前のとこの子ども会が羨ましい」
と言われて初めて自分達のところが特殊なのだと知った。

小学五年生の新年会の時に大人同士で腕相撲大会が行われた。(なんだそれ)
オジサンが優勝。父は三位。
その時大人たちの多くが柔道有段者だったことを知らされた。
子どもたちの中にも何人か道場に通っている。

「柔道やるか?お前は強ぉなると思うぞ。」

赤ら顔(酔っ払って)のオジサンは言った。
当時私のスケジュールは沢山の習い事で埋め尽くされていた。
当然週二回道場に通う余裕はない。

それなのに。
以降私はオジサンのことを「師範」と呼ぶこととなった。

柔道は面白かった。
小柄な私が技を磨けば体格差が優位に働くところが良かった。(ニヤ)
初勝利の時、師範は私の頭をクシャクシャに撫でながら我が事の様に喜んでくれた。

柔道を通して、技は勿論武道を極める上で必要な精神力も子ども達に伝えた。
例えば道場の門下生同士でケンカになっても柔道技を使うことは固く禁止された。
その上で
「攻撃をするのはされる覚悟がある人間だけや」
と説いた。

少林寺の総本山がある為、打撃系(少林寺、空手道、テコンドー)の道場が大盛況の香川県に於いて貴重な本物の柔道家だった。

昨年師範は他界。
ALS(筋萎縮症)を患い、十年を超える闘病生活を送った。
症状から見て通常の人間では考えられない長さだったそうだ。
持ち前の運動神経と体力、そして何より強靭な胆力が寝たきりになることを許さず、できる限り身体を動かしていたと聞いている。

帰省時にご自宅へご挨拶に伺った。
遺影の師範の目は光を失うことなく力強く
「お前ちゃんとしよんやろうのぉ」
と仰っている様で背筋が伸びた。

柔道は組み合うだけで相手の力量がある程度わかる。
力量と言ってもそれは力と言うより技。
そして肚の座り具合だ。
従って相手の力を感じ取り

・勝てる!!
・勝てるかも!
・いい勝負だな・・・!
・あ、ヤバいかも・・・
・ダメだ、逃げたい

と凡ゆる感情が湧き出てくる。
そしてその感情を抱いた自分との戦いに勝った時、はじめて身体が言う通りに動き出す。
力の差があるからといって勝算がゼロではない。
そういう相手に勝ったこともある。
面白いもので肚が座れば勝機を見出すことができるのだ!

あ、組み手の段階で少し緩めておいて油断させて勝ったこともある。(ズルい?)

相手も肚が座ったことがわかっていると試合は言葉に出来ないほど面白い。
技を、力をぶつけて「柔道」の極みを目指している感覚になるのだ。

柔道のお陰で大きな怪我をしたことはそんなにはないと記憶しているがどうだろう。(どういう表現だ)
集中力のコントロールは得意だし、集中していない人間はすぐわかる。
※他人が集中しているかどうかを観察している段階で私が集中できていないという意見は無視します。

例えば私のコンサートに於いて

・期待してご来場くださっているお客様。
・初めてのご来場で少し緊張していらっしゃるお客様。
・来たくて来たわけじゃない客。(興味ないのに連れてこられた系)

こちらからは一目瞭然。

自分が嫌えば相手からも嫌われる。
勿論逆も然りだ。
来たくて来たわけじゃない系の方が帰る頃に笑顔になっていたら、私は大成功と思っている。
お客様がいるから上手くなれる。
お客様と共にその「極み」を求めることができるのだ。

なんて言いながらかれこれ5年程コンサートやっていませんが。(そのうちね)

余程のことがない限り基本的には誰とでも仲良くなれると思っている。
勿論例外はある。
学生時代、バイト先で「顔が嫌い」と客に言われた時はちょっと難しいと思ったし、ある演出家に「声が気に入らない」と言われた時は二度と会わないと誓った。

年齢を重ねれば重ねる程その「幅」が狭くなっている気がするのでキヲツケマス。

子どもの頃の自由さを取り戻したい。


と、言いつつ 幼少より変わらず相思相愛のものもある。

「水」

私は水が好きだ。
海が、川が、湖が好きだ。
そしてどうやら水も私を好いてくれている。

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