田原イコール4「世界中の人たちと話して気づいたこと」
多言語が飛び交うペナン島では、英語とマレー語が共通語だ。今からマレー語を覚えるよりは、さび付いている英語を復活させた方が早いと思って、英語の学習を始めた。
最初は、スカイプ英会話をやってみた。でも、2カ月ほどやってみて、気づいた。「生徒という役割で学ぶことが、学習を阻害している」のだ。もっとリアルに、道具として英語を使う機会を作れないだろうかと思った。
そこで始めたのが、ラングエッジエクスチェンジだ。世界中に日本語を学びたいという人たちがいる。その多くは、母語の他に共通語として英語を話すことができる。英語と日本語とでコミュニケーションしているうちに、英語力が向上するのではないかと思い、ラングエッジエクスチェンジのマッチングサイトでパートナーを探した。
最初にパートナーになったのは、ロシアからイギリスに移住してライフサイエンスの研究をしている女性だった。イギリスの城を見に行くのが趣味で、イギリス人の夫と一緒に各地の城を巡っていた。彼女は、日本語が上級だったので、主に日本語で話すことにした。ロシアの生物学に興味があったので、聞きたいことや言いたいことがたくさんあった。専門的な内容の日本語の語彙を彼女は持っていなかったので、その話題では、英語をなんとか駆使してコミュニケーションをとった。英語を使う必然性がある場面で話すことという体験はリアルだった。
トリニダート・トバゴの女性とも定期的に話すようになった。彼女はインド出身で、トリニダート・トバゴの男性とオンラインで知り合って結婚したのだという。この国は、トリニダート島とトバゴ島の2つに分かれていて、コールタールが採れる。アフリカやインドから労働者として連れてこられた人たちと、元から住んでいた中南米の人たちとの多民族国家であり、どこかペナン島と似たところがあった。インド系の人たちのネットワークも世界中に広がっていて、インド人とか、トリニダート・トバコ人とかではなく、インド系として文化を共有する人たちの中で、国を越えて繋がっているのだと思った。彼女は日本大使館と一緒に活動をしていて、そこで日本語を学んでいた。「サンバがあるから、マサトを招待するよ」と言われたが、さすがに遠くて行けなかった。
エストニアの理科教師とも友達になった。彼とは、同じ理科教師だということで盛り上がった。物理教育にシミュレーションを導入したいのだけど、いいサイト知っている?と聞くと、コロラド大学のPhETというサイトを教えてくれた。インタラクティブに物理を理解できる大量のコンテンツがそこにあった。フィズヨビにVIrtual Labというコーナーを作り、学んだことをシミュレーションで試せるようにアップデートした。彼からエストニアの政治や教育の話を聞いた。彼は日本を訪問する予定があって、そのために日本語を学んでいた。
日本語上級者とは日本語で話して、彼らの国のことや興味を持っていることについて教えてもらうことにした。日本語初級者には英語で日本語を教えることにした。パートナーの分布を上級者と初級者とで半々にすることで、どちらのパートナーからも感謝されて、関係性が継続した。学校の教科だった英語が、だんだんと自分を表現する道具へと変わっていった。
14か国の人たちとラングエッジエクスチェンジをやったが、最も衝撃的だったのがイギリスで生まれ育ち、インドを旅していたエインという18歳の女性だった。彼女はイギリスのボーディングスクールを13歳で自主退学して起業家になった。学校から出たら、世界から学べるようになったと言っていた。最初は、数学を学びたいという彼女に英語で数学を教えていた。しかし、だんだんと教育の持つ問題点について、権力の分散について、世界を脱中心化するレバレッジポイントについて、など、会話の内容が、エインと自分の核心部分に触れるようになってきて、単なる言語パートナーではなく、大事な友人になった。
スモールビジネスのブランディング会社を作りたいんだという彼女が、突然クラウドファンディングを始めたので、それを応援することにした。彼女が作った動画が心にしみた。
オンラインで授業をやることができるプラットフォームを知らないか?とエインに聞いたら、WizIQというインドの会社がやっているプラットフォームを教えてくれた。
WizIQに申し込むと、SAMというインド人の営業から頻繁にスカイプコールがかかってくるようになった。マサrrrトという巻き舌の英語を駆使するSAMの営業トークを聞いて、それに応答する時間は、英語レッスンの10倍以上の密度で自分の英語脳を鍛える経験になっていた。
インターネットは世界を既に繋いでいる。そこに住んでいる人たちのリアリティと繋がることで、意識が世界へと広がっていく。国という単位では生きていない人たちとたくさん出会ううちに、自分の中の国境が解けていく。13歳で枠組みから自分を解き放ったエインは、天才的な知性を発揮し、世界に対する洞察の深さが40歳だった僕をはるかに超えていた。本来の人間の可能性がどのようなものかをエインから教えてもらった。いつの間にか、自分が自分に課していた限界が壊れていった。
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