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監査役等への期待
1.はじめに
日本監査役協会が発刊した「50年史」は、読み応えが十分で、非常に充実した内容だ。私自身、来週の監査役全国会議@広島で、「人的資本経営と目指したい未来に向けて~監査役等が人的資本経営を意識する必要性を考える~」と題したパネルディカッションのモデレーターを務める予定であること、協会第52期実務部会での直近のディスカッション、そして個人的な事情等からも改めて「監査役とは」に関する再考を繰り返している中で、参考にさせていただく箇所が多いのはありがたい。
全国会議のパネラーである一橋大学院の円谷教授は、金融庁「SSC、CGCフォローアップ会議」メンバーであり、カゴメの有沢常務執行役員(前CHRO)も人的資本経営の文脈でコーポレートガバナンスに関する要人との対話の機会が多いという。全国会議準備で何度かお二人と打合せをした際に、「人的資本経営」或いは「コーポレートガバナンス」を「監査役等の役割」という切り口で議論することに「新鮮さを感じた」とのコメントをいただいた。今回のパネルディスカッションを通じて、何か新しい展開が生まれれば嬉しく思う。
来週のパネルディスカッションの進め方は、6月のnote投稿に記載した流れを基本とする。
https://note.com/masatoshiodera/n/nd441cb7a82fb?sub_rt=share_pw
実はこの投稿の時点で全国会議パネルの構想が頭にあり、言語化を進めていた。基調講演の有沢常務の資料を確認し、当日投影スライドもファイナライズできたので、あとはスクリプトの再チェックを残すのみだ。パネルディスカッションでよくあるのは予定調和的な進行。幸い、かなり早いタイミングで1000人弱の広島国際会議場は満席となり、ライブやアーカイブ配信も加えれば結構な人数の監査役等に見聞きいただくこととなる。そんな機会を退屈な予定調和とはしたくない。ラジカルすぎる展開にならないよう進行役としては留意しながら、それでもオーディエンスや関係者の皆さんの心に残るような、何か一石を投じる結果となるように、お二人の知見を引き出したい。
それもあって、来週のパネルに臨むに当たり、「監査役の役割とは」という観点での考えを整理してみようと考えた。
2.監査役協会「50年史」
50周年記念ページ | 公益社団法人 日本監査役協会 (kansa.or.jp)
(1)西山名誉教授
「50周年史」の九州大学名誉教授の西山芳喜氏の寄稿はなかなか辛辣だ。「なぜ、我が国の論者は監査役等の制度の信頼性や有用性について正面から取り組もうとしないのでしょうか」と直球を投げかける。「海外の機関投資家等からの批判や疑問は強烈」「そもそも監査役等の「監査」とは一体何を意味するのかにつての初歩的な議論さえも深まっていない」と。
西山寄稿では、海外機関投資家の疑問に関して 監査役の任務・役割・監査とは、議決権のない監査役の取締役会での役割は、どういう視点からの発言か、代取を解任できない監査役が監督の役割を果たせるか、独立性は・無資格で会計監査ができるのか といった点が列挙され、すべて反論の余地はあるが我が国の論者がそれを正面から取り組んでいないと主張する。
また従来の議論では、適法性監査限定か、妥当性監査領域に及ぶのかという法解釈上の論点に終始しており、「監査」が何を意味するのかの初歩的な議論さえも深まっておらず、結果として監査役制度の「信頼性と有用性」如何を取り上げた議論がなされていない、と書かれている。
上記の批判に対して折衷的に導入されたのが監査等委員会設置会社という機関設計上の選択肢であるが、例えば取締役としての議決権を有する監査等委員の役割が、上記の「取締役会での議決権」という(海外投資家の)疑問に対する一つの答えであるとしても、少なくとも理論的には自己監査(利益相反)という構造的矛盾が残り、この点を指摘する専門家も存在する。では、機関設計の選択において、3つの設計のPros/Consを深く議論した上で変更したかと問われて、「指名委員会等設置会社では(代表)取締役の人事報酬の決定権を放棄することになる」「社外取締役比率を上げるため」といった、(2015年施行の)会社法改正時の(本音の)議論をそのまま出す向きはなく、「機関設計変更により、これまで以上にコーポレートガバナンス強化に取り組んでまいります」といった、おざなりのプレスリリースで留める先が多いことも確かであろう。
実はこの機関設計の選択において、鍵となるのは「社外取締役」に加えて「監査役」「監査等委員」「監査委員」の法的役割(と実態)なのだと私は考えている。簡単に整理してみよう。
指名委員会等設置会社:取締役の選解任・報酬の決定は、社外取締役が過半数を占める、指名委員会・報酬委員会が行う
監査等委員会設置会社:指名委員会・報酬委員会の設置は任意であるが、取締役の選解任・報酬の(取締役会による)決定に対し、監査等委員会が株主総会での意見陳述権を有する(これが「等」の意味であるとされている)
監査役会設置会社:取締役の選解任・報酬の決定に監査役の法的権限なし
(2)高田教授
慶応大学高田教授の50年史寄稿「監査役制度改正小史」には、「監査等委員会と「等」の字がついているのは、このように指名・報酬について「監督」権限をもっているからである、といわれる」(p40)。この寄稿で高田教授は、「監督」とは「選解任権」に近い趣旨で説明されている。これは西山寄稿が「代取を解任できない監査役が監督の役割を果たせるか」と書かれていることとも一致する。
ここまでは、監査役にどういった役割が期待されるかという点を、法的根拠を中心に整理してみた。それでは実態はどうか。その前に、(引用が続いて読者には申し訳ないが、もう少しお付き合いいただきたい)監査等の定義について、補足する。
高田教授の寄稿に、なかなか厳しい指摘がある。「従来の監査役をそのまま監査等委員という名の取締役にしただけでは、自己監査になりかねない。監査等員会が業務執行の監督者になるためには、自らは監督に集中し、業務執行を業務執行取締役に大幅に委任するモニタリング・モデルに移行しなければ、監督といっても絵に描いた餅だからである」 そして、「現在では、上場企業の監査は、業務執行の「監視」から「監督」に接近ないし変化している」「計算書類の「検査」は、四半期決算によって業務執行と同時並行的な業務「監視」に近づいている」とも書かれている。
「監査」という言葉は造語であり、明治20年頃の商法起草時に「監視」と「検査」を組み合わせて作られたという(高田教授、50年史p27)。その「検査」は公認会計士というプロが行い、そのプロセスや結果を監査役等が監視する(そして選解任=監督も行う)今の形に変遷していった。
3.さて、実態はどうか
監査等委員の方に伺うと、あれ? 実態は監査役会設置会社と変わらないなと感じることがある。ここまで書いてきたこと以外に、「監査等委員会」と「監査役会」との違いの「独任制」「組織監査」という観点で、実態面ではあまり変わらないではないかといった会社もある。逆に、「組織監査」という名のもとに、監査等委員会が組織監査の担い手(例:内部監査)から報告を受け、その場でコメントするだけ、といった受け身の委員会運営に終始していて不祥事が発生した、といったところもある。
取締役会での議決権がないことで監査役会設置会社を否定する海外の機関投資家様たちは、監査等委員会設置会社に移行して、議決権が確保されたらそれでガバナンスが確保されたと考えるほどヤワではないはずなのだが。
監査等委員会設置会社は常勤を必ずしも求めない。それは組織監査を用いて、プロアクティブな議論を委員会で行うことが前提である。どんな場合でも非常勤監査役員が会議体の場だけ何かわかったような発言をするだけという会社が万が一あるとすれば(笑)、「監査を行う監査等委員会」の構成員としての義務を果たしていないと言わざるを得ない。内部統制システム、つまり「業務の適正を確保する体制」が構築され、整備されていることを監査するために、自らの手足を動かし、自ら見聞きすることが求められるが、それは機関設計の如何を問わず、監査役や、監査等委員会・監査委員会を構成する委員たちに求められる必須項目ではないかと思う。そして監査役会でも委員会でも、社外や非常勤役員の知見・経験を活用し、またコミットメントを引き出す役割を担うのが議長・委員長だと思う(が、それができていない会社が多数いるように感じている-自戒もこめて)。
そういえば、委員会設置会社がガバナンスの観点で成功するカギは「いかに社外取締役に仕事をしてもらうか」である、と聞いたことがある。
ある指名等委員会設置会社の話。そこでは、過去に形骸化していた指名委員会での決定が、ここ数年で制度の主旨に沿った形となり、報酬委員会も監査委員会も、委員である社外取締役(他社の経営トップ経験者を含む)が強くコミットしているという。各社外取締役が、役職員向けの勉強会を定期的に主催し、そこでの観察結果が指名報酬の議論に役立っていると聞いた。ガバナンス構造的には理想的ではあるが、その会社においてもまだまだ進化が必要との認識があり、中長期施策に着手している模様だ。まさにこの例では「社外取がしっかりと仕事をしている」。
全国会議パネルディスカッションの準備に当たり、「ガバナンス改革をやっているように見せかけて実際はやっていない」「お手盛り」「お化粧」といったパネラーの厳しい意見も聞いている。実は機関投資家もこの点をあまり突かない。「最後の砦」という期待を有沢氏はおそらく発言するだろう。
それでも、「まあ理想はそうなんだけどね」「実態はなかなかそうは簡単じゃないよ」といった(心の)声が、議場から聞こえてくるような気もしていて、進行役としては、その点を留意して、「法や制度が想定する監査役員像」に、そうでないリアルの実態から、どうやって近づけていくかという話になればいいかなとも考えている。
監査役会型と監査等委員会型の違いが(特に等委員会の設計における)総会での意見陳述権の法的担保にあることはわかる。それでも、本当に意見陳述をするか。そこまでギリギリやるのか。また意見陳述権を行使する場合、監査等委員会の判断として本当に正しいのかという悩み。日本的ということかもしれないが、法的権利が担保されていても、なかなか行使は難しいし、それが実効性を伴うものかと言われると、立法者は「形は整えた」と主張するだろう。こういった点はフォローアップ会議等でも突っ込んで欲しい。
実はもう一つの大きな違いがある。それは独任制か、組織としての意思決定か(委員会型)という点。独任制の場合でも監査役会という組織で意思決定する場合は多い。それでも、「独任制」監査役の一個人としての責任は重い。委員会型を構成する委員の責任の果たし方が、監査役に劣後するとは必ずしも言えないが、組織監査が前提であるが故に常勤委員を必須要件としないという設計からわかるように、委員会型は「個人より組織」という設計趣旨。組織の方が責任は分散され、独任制は一人ひとりの責任。私自身は独任制監査役の覚悟次第で監査役会設置会社でも十分にガバナンスは確保できると考えている。そこまで覚悟を持てているかということも問われる。
上記の点に関連するもう一つの論点として、(制度主旨に沿った運用ができている)指名委員会等設置会社の場合を除き、監査役・監査等委員の選解任に関する実態に関して整理する必要があろう。
監査役の選任は株主総会が行う。また取締役会における監査役選任議案決議に際しては監査役会の同意が必要となる(任意の指名委員会の答申があったとしても)。しかしながら、ここで監査役会が反対するのはよほどのこと。ここでも「権利はあるが行使は簡単ではない」という点で「監査等委員会の意見陳述権」と同様の実態がある。「お手盛り」人事で非常勤監査役が任命されていれば、意見は抹殺される。
監査役員は誰が選ぶか。有沢氏がいう「最後の砦」。高田教授がいう「監督」。執行側にとって都合のよい「最後の砦」「監督者」が選ばれ、都合が悪くなると、肩を叩く。これは昭和的経営実態だと思うが、令和の世の中でも、昭和はまだ残っている。
4.では、どうするか
(1)機関設計と社外取締役
本気でコーポレートガバナンスを強化しようとするなら、指名委員会等設置会社を選択したい。しかしながら、そのためには、相当程度信頼できる社外取締役が複数必要になるし、その社外取締役には、質量ともコミットしてもらう必要がある(それだけの人を集めるのは簡単ではない)。それができるだけの社外取締役の人材プールが必要だが、BDTI会社役員育成機構のコースを取ればすぐにeligibleな社外取になれるかと言えばそうでもない(コースを受講しないで、わかったふりをするよりはましだが)。これは日本の資本市場における中長期的な課題だと思う(ベネシュさん、頑張れ!)。この機関設計を選択し、実際にガバナンスが確保されている会社は、やはりそれだけのガバナンスがグローバル資本市場から求められているということなんだろう。
それでも、上記の論点は、実は監査等委員会・監査役会設置会社でも、多かれ少なかれ同じである。社外取締役に一定の(定義された)役割がある点で、委員会設置会社では監査役会設置会社より強いコミットが必要という考えもできる。機関設計を問わず任意の指名・報酬委員会を構成する社外取締役が存在するのなら、その社外取は、委員会で議論するに当たり、どこまで当事者として責任を負っているか。その点、制度の主旨を突き詰めると「小遣い稼ぎの社外取」にはお引き取りいただき、指名・報酬に関してまともな(社内取締役と伍して)議論ができる人物を選任することが求められるという結論になる。
そして、その選任が正しいか、すわなち社外も含めた取締役が、(取締役会や法定/任意の指名・報酬委員会において)ステークホルダーにとって有益な議論をしているかを監視するのが「監査役」「監査等委員」の重要な役割なのだと考える。これが「最後の砦」ということなのだろう。
監査等委員会設置会社=モニタリングモデル、とは限らない。但しマネジメントモデルにおける取締役会の付議基準は往々にして細かく、そんな議案の場合には議決権行使における社内・社外取締役間の「情報の非対称性」が生じ、また付議内容によっては自己監査に抵触する可能性に留意しておく必要がある。監査役会設置会社でもモニタリングモデルは採用できる一方で多くの(中堅規模の)会社ではマネジメントモデル採用と思われ、情報の非対称性は存在しているように推察する。いずれのモデルにおいても、社外取にしっかり役割を担ってもらうために、そんな情報の非対称性が発生しないような工夫(丁寧な議事運営や事前準備)が必要になるのだが、そこはあまり議論されていないようにも思える。まあ、真面目に社外取締役として仕事をしていたら、3社も4社も兼務はできないだろう(だからこそ、機関投資家が複数社兼務の社外取締役を否認する傾向にあることは理解できる)。
なお、監査等委員会設置会社を選択する場合に、仮に任意の指名・報酬委員会を設置しないとしたら、それは竜頭蛇尾で論外という悪印象を市場に与えることになろう。海外機関投資家にとって安心感のある3committee(監査、指名、報酬)類似の形が整えられるように、との制度設計趣旨なのだから。
(2)最後に~監査役或いは監査(等)委員とは
ここまで書いてきたことはある意味理想論を軸とした現実的対応の可能性だ。多くの上場企業における現実は理想からかなり乖離しているのが実態だとの印象を持っている。
それでも短期的に対応が難しくとも、中長期的な方向性を理解して、少しでも工夫がなされていれば、ステークホルダーに対してアカウンタブルだし、コーポレートガバナンスの進化という観点で、レールには乗っている。
但し、「中長期的な方向性」を仮に理解したとしても「それはわかるが、私の会社では」といった、総論賛成各論反対の向きは存在する。敢えて言おう。それは昭和型JTC。
機会があって、ここ数か月多くの方々との間で「監査役とは」という話ができている。「方々」と敢えてぼかすが、様々な属性の方と会話している。私自身は「経営陣の良き伴走者・良き助言者」でありたいのだが、あなたはどんなイメージを持っていますか切り出すと、なかなか面白い答えが返ってくる。
あるCOOに「監査役とは遠くから見守ってもらう存在であり、伴走のイメージはない」と言われた。CGコードの原則4.4「自らの守備範囲を過度に狭く捉えることは適切 でなく、能動的・積極的に権限を行使し、取締役会においてあるいは経営陣に対し て適切に意見を述べるべきである」を説明してもなお、である。残念ながら、その方に「伴走」の意味することは腹落ちいただけなかった。
別の会社のCFOは「お天道様」、と。このたとえは、「遠くから見守る」という点もあるが、私の心に染み入る答えだった。「北風ではなく太陽」でありたいと思うし、また地球で生きる(おそらく)大半の生物は太陽がないと死んでしまう。日の光が当たると植物はよく育つ。見守られる存在として遠い(普段意識しない)と感じる向きもあれば、近い存在としていつも意識する人もいるだろう。猛暑における太陽ではなく、小春日和におけるありがたい存在のようになれればなと思う。
「おかあさん」といった女性もおられた。私の発想にない答えで、感心した。その理由を構成する要素に「相談しやすい雰囲気」「すぐに答えが出なくても、成長を見守ることができる」と。なるほど。そういう見方もある。でもそれは必ずしもお母さんでなくてもできる。私はその会話において「LGBT+の議論はさておき、まあ私はおかあさんにはなれないが(笑)、じいじにはなれますね」と返答した。実際孫と接すると(まだ一人だけだが)、子育てのときとは驚くほどこちらのスタンスが違う。「相談しやすい雰囲気」「成長を見守る」という要素は監査役員にとっても同じく重要であり、このたとえもなるほどと思った。孫として慕っていた母方の祖父を思い出した。
他にも「正義の味方」「社長のお茶のみ相手」「守護神=ゴールキーパー」といったたとえもあり、各社各様だなと感じている。
社内生え抜きの上りポジションとして「これまでご苦労様でした。この後4年間、監査役としてゆっくり過ごしてください」というのは、もはや昭和的JTC。「監査役野崎修平」で囲碁か将棋を打っている高齢の監査役。
私の監査役協会ネットワークにはそういう人はいない。部会で議論に参加する面々は、還暦を過ぎていたとしてもまだまだ自己研鑽意欲は旺盛だ。生え抜き監査役員を退任して、新たに上場準備会社で監査役を務める人も結構多い。特に会計部会では若い「士業」監査役員と、ベテラン(複数社での経験者)が侃々諤々の議論をするのが楽しい。
ここ数か月の「監査役等とは」との問いかけは、対話の相手だけでなく、当然のことながら自らにも向けている。それは監査役であっても監査等委員であっても、原則4.4に記されているように「まずは守りの機能」。そして、「能動的・積極的に」経営陣に対して意見。これは守りにとどまらない。そのためには、ビジネスモデルへの深い理解が必須だし、取締役会であろうと任意の会話であろうと、ビジネス本業の攻めに関する議論に監査役員が参加する場合に、経営陣に「確かにそうだな」と傾聴してもらえる、或いは「意見を聞いてみよう」と思っていただける、そんな良好な関係性が必要なのだと思う。自己監査は工夫で回避できる。「自己監査に当たるからコメントしない」というのは、逃げである、と思う。
「意見」ができる環境には心理的安全性が必要であり、それは監査役等にとっても同じ。だが、心理的安全性は、誰かが構築してくれるものではなく、自分で構築するものなんだな、と、最近思い始めている。それはまずは「尊重してもらえる監査役員としての専門性」であり、「共通の方向性」であり、「相互リスペクト」の上にある「良好な関係性」なのだと。
最後に予告。協会の製造業第三部会で、今月末に「取締役会のモニタリング~監査役としての対応」と題して、知人のI弁護士に講演をいただく。ここでは改めて「監査と監督」や「取締役会と監査役の関係」に関して、進行役として本音の議論を進めるつもり。この議論を通じても「監査とは」「監査役員とは」という問いに、新たな答えが見いだせるといいなと思う。
2024.10.3(第一稿)
2024.10.4(第二稿) 公開します
2024.10.7(第三稿) LinkedInに投稿します
2024.10.8(第四稿) 以下を追記
追記:去年の全国会議で登壇された松田千恵子教授が日経ビジネスに投稿されている。私も登壇予定だったが事情により事前打ち合わせのみ参加だったが。このように監査役の役割に関して問題意識を示していただけるのはありがたい。