見出し画像

八ヶ岳移住を決めた理由

最初の内に書いておきたいテーマの一つがこれ。私を知る人は、口を揃えて「移住?何故?」という反応。「野球もラグビーも芝居も東京にいる方が見れるのに」と。或いは「都心でいつも遊んでるイメージがある」とも。

確かにその通りです。そうなんだけど、来年還暦を迎えるオッサンですから、ここ数年のペースで趣味に時間とお金をかけることは、これからはだんだん難しくなるだろうな、との思いが徐々に膨らんできたことがまずひとつ。

スケジュールが許す限り野球・ラグビー観戦や芝居に足を運ぶ生活を続けてきて、もうそろそろいいかな、と。それがベースにあります。

もう一つは、「心の余裕」が欲しくなった点が大きいかな。物心ついた頃から競争社会で生きてきて、ゴールに向かっていかに早く効率的に進むか、そして如何に勝ち残るかを重視してきました。その結果得たものと失ったものがあるのですが、後者の重要性に今更ながら気づいたのが一昨年頃。

新幹線のぞみ号や飛行機で旅行する。瞬時に通り過ぎる車窓、或いは上空から見下ろす景色を楽しむこともなく、ましてや途中下車してその風景や人々の生活を実感することもない。寄り道して初めて知る、視界の外。

演劇を通じて、様々な角度からのモノの見方を再発見しました。それは歴史であり文学であり、芸術文化全般といってもいいかもしれません。自分の知らない、または気づいていない事は、当たり前ながら世の中に多くあり、またそれが実はなかなか興味深いのです。ただ、作品として与えられるものであれば、観客である限り自分からなかなか見つける事は難しい。

正月に諏訪大社に初詣に行きました。そこで知った神話の世界の面白さ。「鹿食免」というお札があり、殺生を禁ずる仏教と、古神道の間の妥協的な習わしがあった事を知りました。確かに八ヶ岳の先住民たる鹿は今も昔もヒトにとっては害獣で、鹿は狩猟の対象なのです(かたや熊は捕獲しても山に逃がすそうです)。茅野市の神長官守矢史料館の館長さんの話は古代へのロマンを駆り立てます。この史料館も、諏訪大社初詣のついでに寄り道したら、思いもしない話を聞けました。知的好奇心をくすぐられる体験です。

歴史や文化だけでなく、自然との共生という点でも発見があります。別荘地のように整備された土地ではなく、山林を切り開いた場所に家を建てたものですから、普通の旅では体験できない自然がごく身近な存在になっています。早朝にはキツネが庭を横切ります。野ウサギ、モグラ、タヌキ、ハクビシン、リス、ヤマネ、そして鹿。

冬のストーブ用に伐採木を調達し、玉切りした株を斧で割るのですが、木もそれぞれで、表面ではわからないような「枝の赤ちゃん」のようなものが中に潜んでいたりします。現代人のスピード感に慣れきった身には、長い年月をかけた営みの奥深さに気づくと感動ものです。

玉切りや薪割り、草刈りといった労働を終えて、テラスで飲むビールの美味いこと。森の緑を眺め、鳥のさえずりがBGM。

非効率であっても、そのプロセスを楽しむ。心の余裕を持てれば、それは可能です。都会で仕事をしていると、何かに追われていて、ストレスと常に戦っているような実感があります。そういったプレッシャーから自分を解放してあげたときに、心の余裕が生まれ、精神のキャパが広がるかな、との期待がありました。まだ週末中心ではありますが、その期待通りになっていると思えています。














この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?