バンドマンが8弦ソロギタリストに転向したらシグネイチャーギターが発売された件について Part3
みなさまごきげんよう。
8弦ギタリストのMASAToooN!です。
食欲の秋。
みなさんはたくさん食べてたくさん楽しんでいますでしょうか?🎂
私?私は質素な食生活を心がけてますよ?
やはり体型維持はアーティストにとって大切なことなので✋😤
…毎日ストイックにダイエットなんてしてられるか!!!!
頑張った日はスイーツを食べて元気いっぱいなのです!!🍰🍩🍴✨
さて、今回で「バンドマンが8弦ソロギタリストに転向したらシグネイチャーギターが発売された件について」も3回目!
シグネイチャーギターを発売するまでの道のりを全五回の記事で紹介していきます✨
音楽との出会いのお話はこちら⤵
ギターを始めたきっかけのお話はこちら⤵
⚠️今回の記事は暴力や暴言描写があります。
苦手な方はブラウザバックをお願いします。
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専門学校へ入学してからは心機一転学業に専念!!
…するはずもなく音響屋でバイトをしながら学校へ通い、暇さえあれば地元のバンド仲間と遊ぶような毎日を過ごしていました。
そして週末は地元のライブハウスでライブをしたりそれなりに充実をした音楽ライフを送っていました。
そんな日々を送る中、私と、くまけんと同じく一緒のバンドをやっていたAはくまけんに相談があると夜の公園に呼び出されました。
「せっかくバンドやるなら、ガチで名を轟かせられるバンドを目指さないか?俺はどうせやるなら一旗上げてみたい。」
その言葉が私とAにかつてないほど心のエンジンに火をつけました。
子どもの頃にただ何となく絵空事で考えていた夢がこれから実現する気がするのです。
ちょうどその時期に知り合った地元の先輩バンドマン2人にその話をすぐに持ちかけたところ、話に乗ってくれて無事バンドを結成しました。
そこでBと、地元では名の知れたバンドマンである7つ歳上の"リーダー"と出会ったのです。
そして、そのリーダーが今後のバンド人生に大きく関わってくるのです。
やはり先輩バンドマンと一緒にバンドをやると当時の私たちでは見えなかったバンドの活動のノウハウを目の当たりにすることができました。
演奏面やパフォーマンス面はもちろんのこと、ブッキングの組み方から遠征ツアーの組み方、マーチ(物販で販売するアイテム)の作り方など、当時の私たちにとっては知らないことばかりで毎日新鮮なことばかりでした。
一年ほど活動してから、私はそのバンドを就活のため一旦離脱しました。
それでも、どうしても音楽を続けたくてスケジュールの都合が付きやすい会社に就職し、「このバンド以外で音楽やってるのを見かけたら〇すからな〜☺️」なんて冗談をリーダーから言われるくらいの歓迎を受けて就活後には再度復帰しました。
素晴らしいメンバーに恵まれて、学校生活も大変ながら充実していて毎日が特別でした。
…しかし、復帰後初ライブの日。
メンバーの様子がおかしい。
バンドメンバー全員がなぜかリーダーに萎縮している。
気のせいじゃなくて明らかに様子がおかしいのです。
ライブ前になんとなく、Aに理由を聞いてみた。
「実は、まさとぅーんが戻ってくる前にBとリーダーが揉めた時、リーダーがBを殴ったんだ」
おお…なかなかにヘヴィな事になってるけど大丈夫か…?😇
と唖然としていたら。
「Bはあの時本気でやってなかったから、まぁ殴られても仕方ないよな…」と。
ははあ…ひょっとして、Aくん。
あなた洗脳でもされたんですか?倫理観バグってません?😇
とは突っ込めず、その場では何となく話題を変えました。
初ライブ、大丈夫なのか?😇😇😇
しかし、この険悪な雰囲気はライブ後も続きます。
毎週入るスタジオも、どことなく会話がぎこちないのです。
再加入した私にリーダーから矛先を向けられることこそないけれど、特定のメンバーにはパワハラのような指摘をする場面が多々ありました。
さらに、活動においても毎週スタジオに入り毎月ライブ活動をするけれど、ロクに集客のための活動もせず毎回ノルマをほぼ全額払っていました。
にも関わらず常連のファンを全員ゲストで入場させているのです。
なので、メンバー全員のお財布事情は常にカツカツの状態。
他にも
・メンバー個別の活動は推奨しない。全てこのバンドの活動に注力を注げ。
・誰が作曲しようがバンドの曲だからクレジットに名前は載せない。
・俺が決めたステージングや音作りをしろ。
・いかなる場合でもグループ内での連絡があればすぐに返信しろ。
etc...
挙げたらキリがありませんが、バンド内にとんでもないルールができあがっていたのです。
再加入させてもらったとはいえ、さすがにこの運用方法では先がないのではないかと思いリーダーに意見しました。
しかし、それが間違いだったのです。
怒号からの、私が謝罪するまで延々と詰められたのです。
そこからリーダーの怒りの矛先は私にも向けられるようになりました。
これで無事、メンバー全員がパワハラをうけるハメになるのです😇😇😇
そこからは地獄でした。
毎週のスタジオ。
行けば全員がダメ出しばかりされる。
ライブの日は行き帰りの合計数時間、機材車の中でずっとダメ出し。
その場に居ないメンバーが一人でもいると、そのメンバーの悪い所ばかりリーダーがメンバーに共有する。
そんな日々が続き、あれだけ好きだったバンド活動が全く楽しくなくなってしまったのです。
それでも、続けていればいつかは変わるのではないか?
もっとバンドが有名になればこんな険悪な雰囲気ではなくなるのではないか?
そんな思いもどこかにありました。
けれど、それは大きな勘違いでした。
専門学校の卒業式の日。
大事な式なので夕方頃まで連絡が取れないかもしれないとリーダーに伝えると
「そんなのは関係ない。連絡を取れないのはお前の本気度が足りない。」
その一言で「果たして、このバンドで人生をかけてまで本気で活躍していけるのだろうか。」
と初めて疑問に思ったのです。
そこで、くまけんを始め他のメンバーに今のバンドの状況をどう思っているのか。これ以上活動を続ける意味はあるのかと、個別に聞いてみました。
しかし、私の予想とは裏腹にそんな状況でも全員がそれでもこのバンドを続けたいとのことでした。
そうか…。
そうなのか…。
そんなバンド活動を続けつつ、パワハラも受けつつ4月。
新卒で入社して数日後の休日。
その日もライブでした。
そのイベントの帰り道もいつものようにリーダーからメンバー全員へのパワハラが始まります。
そこで、私の中で何かが切れます。
「もう耐えられません。本日付でバンドを抜けます。」
そこからはリーダーから罵倒の嵐。
「お前は最低のクソ以下だ」
「ギターが多少弾けるだけのクズが話すだけでもムカつくんだよ」
「この先何をやらせても絶対今日みたいに逃げるんだ」
「音楽活動や街で見かけたら〇してやるから覚悟しておけよな」
などなど…
数時間、散々罵倒された後に
「それで、本当に辞めるんだな?」
と聞かれたので、私は答えました。
「一切気持ちは変わりません。辞めます。」
その返答と同時に車内でタコ殴りにされた挙句、ギターやアンプと共に路上に投げ捨てられました。
夜中の3時。
まさとぅーん青年は路上に放置されながら考えました。
「全身めちゃくちゃ痛いけどおもいっきり朝から仕事じゃん…!」
そして
「さりげなくエフェクターボードだけパクられてるやんけ…😇」
※後日、メンバーを通じて返却されました。
そして、タクシーで帰宅からの即寝し、早朝から何食わぬ顔で出勤しました🌚
会社に着くなり「どうしたんだその痣は!!!」と上司や同僚に言われるも、
「階段から落ちちゃいまして…へへへ🥴」とベタな誤魔化し方をしてその日一日笑って仕事をしていましたが…。
それでも、頭の中は悔しさと腹立たしさでぐちゃぐちゃでした。
恐怖政治で最低なバンドを運営していたリーダーに。
そんな中でもリーダーに意見をする度胸のないメンバー達に。
そんなバンド活動の裏を知っていて普段から応援する素振りを見せながらも、リーダーに逆らえず肝心な時に我関せずを貫き通している周りのバンドマン達に。
そして、どんな理由があれど、その環境から仲間を説得できず置いて逃げた自分に対しても。
そして、数年前にバンドで一旗上げよう!と一緒に奮闘したくまけんから早朝受け取ったライン。
「俺はお前とは同じ道を進むことはできない。けど、お前にとって本気でやりたいことが見つかるといいな。」
そんなメッセージをくれた友人と、ここで分かり合えず道を違えてしまったこと。
色々な感情が頭の中を駆け巡り、もうこれ以上考えるのは限界でした。
気を紛らわせるために会社の休憩室でYoutubeを開いた時、たまたまYoutubeのオススメで上がっていたとある動画を観て、メタルと出会った14歳の時と同じような衝撃とまた出会うのです
次回へ続く👇🏻
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