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LUNA SEA | LUNATIC TOKYO2025 体験記
2025年2月23日に行われたLUNA SEAの東京ドーム公演LUNATIC TOKYO。
また新たな伝説が生まれたというお決まりの言葉では上手く伝えらないくらい、素晴らしい夜だったので、サプライズで驚いたand感動ポイントを以下記載します。
まず、セトリが神。
従来の定番セトリを絶妙に外しつつ、以下記載のサプライズも交えた素晴らしいセトリ。
本日のセトリです。#LUNASEA#LUNATICTOKYO2025 pic.twitter.com/WVBVGfYt4I
— HIЯOCY ⇔ 闇ノ素 (@HIROCY_REBOOT) February 23, 2025
@HIROCY_REBOOTさんの投稿より引用
LOVELESS→G.の流れ。
1995年のLUNATIC TOKYOではLOVELESS→PRECIOUS。コレはコレでぶち上がる。一方でLOVELESS→Dejavuの流れが一つの様式美として定着していところにLOVELESS→G.の新鮮さ!G.はそもそも収録アルバム『STYLE』でも2曲目だし、ライブでも2曲目登場率は高い曲。ただし、LOVELESSからのG.はざっと調べた限り初めて!
ちなみに自分がLUNA SEAのコピバンでライブした時にはまさにこの曲順でセトリを組んでいたという既視感!
ちなみにDejavuは3曲目に登場。なくはないけど、この位置で出てくるのは珍しい印象。けど、めちゃくちゃ良かった!
初演奏のFAKE
恐らくほぼ唯一ライブで演奏されてこなかった幻の曲の初演!MOTHERツアー再現時に期待されつつも演奏されなかったので、流石に生演奏聴ける機会はないかと思われたのがまさかのグランドファイナルの東京ドームで初演。てか、オリジナルアルバム1994年に出して、30年以上経ってから初演て!
そして歌詞ですよ、このFAKEが蔓延る世の中を完全に予言していたかのような楽曲が2025年に歌われる意義。
「この街は嘘真実が染められ分からないよ」
花道で歌うVIRGIN MARY
LUNA SEAライブ中盤の見せ場のディープ&ミドル楽曲。この場所のど定番GENESIS OF MINDが順当にくるかと思いきや、2000年の『LUNACY』収録の神々しさと威厳と慈愛に満ちた曲を、アリーナセンターに設置された花道で1人RYUICHIが絶唱。
後方のステージでエグいレベルの安定感and重厚感で演奏するバンドを文字通りバックにして、1人でこの曲の圧倒的な世界観を表現しつつ新しい音楽世界をその歌唱で作り上げていく。まさに魂に響く歌唱。
「どう映そう その瞳には 叶うのなら憎しみは癒える 病んでいる どこまでも ねぇマリア 抱きしめて」
HURT締め!じゃなくNIGHTMARE 締め
本編終盤ROSIERで会場全体ぶち上がった後、さぁ本編ラスト何かな?STORMかな?TONIGHT かな?と思っていたところにきましたHURTの重低音SE。おぉー、STYLEツアー式のHURT終わりかぁ!激アツ!と思いきやHURTで終わらず、黒服ならではの選曲NIGHTMARE !この曲のRYUICHIの歌の艶もヤバかった。そして何といっても1人ずつ演奏が消えていくエンディングのカッコよさ。ベースのバキバキブリブリの音たまらんかったな。
SUGIZOのMC
メンバー紹介時のSUGIZOのMCには驚いた。真摯に誠実に言葉を選んで話す方ではあるけど、ここまで胸の内をあの場で話すとは驚いた。
この東京ドームが最後になると思って臨んだこと、メンバーの誰かが欠けてしまう可能性をリアリティを持って感じていたこと。無論、前日のGLAYとの対バンとこの東京ドームファイナルを通して、思いを改たにして、これで終わりにしない、次に進んでいくんだ、と決意をしたゆえの心情の吐露だったのだろう。そして正直、この日を待ち侘びながらも一抹の不安を抱えていた自分の心情とも重なる。
本当にこれが(少なくともドームは)最後だと思ってチケットを取ったし、前日にTERUが10年後にまた逢おうと言ってくれてめちゃくちゃ嬉しかったけど、でもきっと難しいと思ってしまった自分がいた。そんな何やかやを吹き消すためにあえて正直に話してくれたSUGIZOに胸が熱くなったし、言うようにこのライブを見たら未来があるんだ、と思えた。
そして何と言ってもRYUICHIの歌唱
RYUICHIとは本当に不思議なボーカリストだ。多くの方がご存じのようにLUNA SEAのキャリアを通して『歌い方』が時期によってまるで異なる。ある時期の歌い方が好きだけど、ある時期の歌い方は受け入れられない、ということが普通に起こる。けどそれでも例えば1995年のLUNATIC TOKYOとか、2007年のOne Night Dejavuとかは、LUNA SEA好きでなくても有無を言わせぬ圧倒的なカッコよさが伝わるのでは?と思っている。
ここ数年、その圧倒的さが、病気もあって欠けていたことは否定できないと思う。それでもステージに臨む姿に胸は打たれるし、心からエールは送れども、圧倒的なカッコよさに痺れる、という体験ができないことはやはり残念だと個人的には感じていたし、それがゆえに東京ドーム公演に一抹の、というかかなりの不安を持っていた。
けどそれが前日のGLAY対バンで払拭され、今回のLUNATIC TOKYOでは終始、まさに圧倒されるカッコよさを披露してくれた。もうそれはLOVELESS歌い出しの「楽園に」の「ら」で確信できた。あ、今日はもう伝説を超えるとんでもないライブになる、と。そして、実際に約3時間かけてまさに伝説の更新が目の前で行われたわけだ。そんなことってある?というかそんな瞬間にある意味で当事者として関われるなんてある?本当に全てが奇跡のようだ。
今年2025年LUNA SEAは新曲製作に臨むという、新しい音に歌に出逢えることが楽しみでならない。