カンボジア警察に捕まった話
カンボジアに来て一ヶ月ほどがたっただろうか。カンボジアは素晴らしい国である。
ガッツリポーカーをするために来るような国ではないが、飯、サウナ、マッサージ、酒。
滞在費も安く、まったりするにはこれ以上がない。そんなふうに思える国なのだ。
合わせて人もいい。英語がしゃべれない僕にもみんな良くしてくれる。現地語とも少し覚えて英語力もあがった。一ヶ月しかないVISAを延長して少しゆっくりしよう。そう思えるぐらいの国で僕はパスポートを代行業者に預けた。そんな夜だった。
僕は警察に捕まった。
実を言うとカンボジアで警察に捕まるのは一回目ではない。
前回はノーヘルノーナンバーのバイクで夜風を切っていたら捕まった。
まぁこんなのはなんのことではない。
警察に少し金を握らせて終わりなのだから。
カンボジアの警察は日本のヤクザと置きかえても問題はない。奴らはビジネスと言われる行為をする。そう…小金をせびるために逮捕するのだ。
そのときも45ドルだったか50ドルだったかを請求されたが、一緒に居たベテラン日本人が5ドルまで値切ってお役御免となった。
まじでキレてる時以外は金で叩く。
それがカンボジアのマジョリティ。
そんな風にカンボジアの当たり前に染まってきていた僕だった。
その日はなんとなくポーカーをする気にもならずまったりと夕方まで過ごし、バービアと呼ばれる飲み屋街で街が動き出すのを待っていた。
クソ不味いサンドイッチをコーラで流し込み、Kindleで「ようこそ実力至上主義の教室への2年生編」を読みながらリラックスタイムでいい感じにチルっていた。
横には顔見知りのスペイン系のポーカープレイヤーがいて、奴は異常なペースで水みたいなビールを飲んでいた。
EDM系のクラブに行ってこいつを抱いたなんて話をしたりして、今度一緒に行こうなんていいながらグーグルマップで位置確認をしながらゆっくり流れる時間を楽しんでいたのだ。
さて少し話が変わるが、こちらの建物は基本的には三階構造になっていることが多い。
一階にバーやレストラン的なものがあり、二階はKTVと言われるカラオケ的な個室になっている。
トイレは一階にもあるが三階にもある。
その店は二階にはポーカー台を置いているらしく、そろそろ店を変えてビリヤードでも少し楽しんでからホテル帰って寝るかと思っていた僕は、トイレがてらチラッと覗いてやるかと階段を上がった。今思えばここが大きな分岐だったのだが、その時点での自分は、性格的に結構な頻度でこのアクションを取っていただろう。今では反省している。
階段を上がる、2階の扉は開いていた。
中にはディーラーと3人のプレイヤーがいて既に卓は動いてた。
なんのゲームなのだろうか?
その瞬間に大勢の警官がビルに押し込み、ビルごと検挙された。
映画で見るような秒間何発の銃弾が打てんだこれ?みたいなゴッツイ銃を持った警官もいる。
下の階はどうなっているのか?それもわからない。
とりあえず部屋に押し込まれ、IDチェックをされるのだが、僕はパスポートもない。
「パスポートは無いが、VISAは切れていない
ここが何かはわからない。プレイヤーではない」
そんなことを伝えたが、財布の中のカジノカードが見つかってプレイヤー認定。
卓に座らせられ記念撮影である。
カンボジアTVデビューも果たした。
断ることはできない。銃という暴力はこの世の絶対である。抵抗するためには銃以上の脅威を持ち出さなければいけない。
僕はそんなものを持ち合わせていないし、何ならパスポートすらない。
まぁチップとカードもないからそこで押すしかない。
必死にプレイヤーではないこと、大使館に連絡したいということ、通訳を用意してほしいこと、せめて携帯の翻訳を使わせてほしいことを説明するが全て「大丈夫。大丈夫」みたいな回答でまったく大丈夫ではない。
卓のみんなも、ディーラーもこいつはプレイヤーじゃないよ。とフォローしてくれるが、やっぱりどうにもならない。
クメールカナダ人、オーストラリア人は本当に僕にこのときから良くしてくれた。「安心しろ。いくらか払っておわりだ。夜はベットで寝れるぜ。メイビー」的に励ましてくれる。
余談だが彼らがやっていたレートは20NLである。もちろん賭博にレートは関係無いわけだが余談として。
まぁ正直この段階では僕もいくら取られるんだろうな的に、最大級の危機感は持っていなかった。やべーよ。バックに6000ドルぐらい入ってるよおわたん。的な感じだった。
幸い隠しポケット的なところに入っている。
どうする?どうする俺。どうするー。
プレイヤーたちは荷物検査をされていく。
僕はされない。
ほぼ最後までされなかった。ちょっと期待した。
でもだめだった。結局最後の最後に荷物検査をされることになる。
ディーラーとドリンクサービスの子は泣いていた。僕は完全に「無」に入れていた。
ジャパニーズマインド。座禅の心である
現地語なんてわからない。だからかばんの中身を隠しポケットが見えない状態でテーブルにぶちまけてあとは警官に任せた。細々したものはバックに戻された。携帯などは押収される。
その状態で「そーりーぼん。ばんとった」とトイレに行かせてもらい、6000ドルを分散して靴底やバックの隙間、タバコケースの隙間などに100ドル札を詰めていく。
この決断が僕を救うことになる。
サンダルだったら死んでいた。
サンキュー、ラコステの靴。
携帯、iPad、財布、バッテリーは回収された。なお喉が痛くてバックに入れていたミルクキャンディはなぜかテーブルのみんなや警官たちが食べる。
泣き崩れていたドリンクサービスの女の子も飴は食べていた。ちょっとツボで笑いを押さえていた。
僕はボス的な人に1000ドルくらい渡してさっさと出ようと思って、ちょっと話せるか?と交渉したがだめだった。
あ、これがキレてるパターンの交渉できんやつかと絶望したことを覚えている。
プレイヤーのクメールカナダ人とオーストラリア人はまだ笑っていた。スウェーデン人は伏せて動かない。ドリンクサービスはずっと泣いている。
僕は苦手とするローボードのAKの使い方について考えていた。やはりチェックしてターンBMCBを打たれるとAK側はきつくなる。
2時間か3時間かたったあとに第二陣の警官が到着した。
奥のテーブルに陣取る。
なるほどここでビジネスが始まるのか。
逆マネーの虎だな。まぁ対策は完璧である。
表の財布には600ドルしか入っていない。安いものだ。帰りのタクシー代だけ泣きついてそれっぽさを出そう。と思っていたら車の荷台に乗せられてポリスステーションへレッツゴーである。
荷台に3人がけベンチが2脚乗っている。
プノンペン市内を晒し首。
あれ?これまじでやばいやつじゃね?
とそろそろビジネスではない可能性を疑い始める。
警察署内には沢山の人がいた。
ビルごとごっそり検挙されている。
スペイン系の顔見知りは既にいなかった。
上手くやったのだろう。少しホッとしたことを覚えている。
ここでまた調書を取られるのだが、警官はTKOの木下に激似である。こいつが木下に激似なことは前から思っていた。こいつが俺の担当か。ニコニコしている人の良さそうな警官である。きっちり調書を取ってもらい出してもらおう。と思っていたがこいつは英語が喋れない。
頑張って英語を喋ってくれているが、僕も英語が堪能ではない
その瞬間
ちょいまーい!!!机ばこーーーん!
木下がブチギレた。
ちょいまーいは英語で言うファック・ユーだ。
仲間内では「ちょーい」なんてつつきながらふざけたりするときに使ったりもする。
ちなみに乾杯はちょるもーい
似ていて聞き分けは難しいが、
多分今回彼が言ってるのは乾杯ではないだろう。
そこからの取り調べは早かった。なぜなら取り調べなんてものはないのと同意だったからだ。
僕は通訳と大使館への連絡、弁護士を呼ぶ権利を主張する。
手でぴっぴっとされて相手にされない。
その後はベランダみたいなところでみんなとタバコを吸う。流石にストレスもあり紙タバコとアイコスの2台吸いをしていた。もしかしたらこれが最後のタバコになるのかとしれないと思ったらどっちも吸いたかった。
警官とアイコスについて雑談したりする。
今日帰れるか?と聞いたら「キャンノット」と言っており留置場が確定した瞬間だった。
その後一瞬だけ携帯を使わせて貰えた。
家族に警察署にいて今日帰れないことを連絡させてもらえるのだ。
この瞬間に彼女とカンボジア仲間に一気に連絡する。もっとやりいことが有ったが本当に一瞬だった。
少しすると現地民の家族が到着し、水や食べ物、着替えの服などを受け取れる人は受け取る。
僕は当然誰も呼べてない。
押収品以外のゴミと隠し持った6000ドルと共に留置所に入ることになる。
捕まってから5時間ほど。
現地時間で金曜日の深夜2時。実質土曜日である。
留置所にはすでに3人のチャイナがいる。
差し入れられた大量のピザを食べながら自己紹介をする。
みんな何も持たない僕に優しい。
食べ物、水、煙草をくれる。
すでに入っていたチャイナにもピザや飲み物を配っていた。本当に愛が深い国である。
ここでファッキンポリスホテルのレビューをしたい。
入り口は一つ。床はコンクリパネル。窓には柵があり電気と空調はない。
トイレはボットンですらない。コップで流す。蛇口が一個。以上である
ピザパーティ後はみんなでどうなるのかなどを話した。
ビジネスが始まるのか、裁判になるのかはわからない。ギャンブルはかなり軽い罪で50ドルか100ドルの罰金が多いらしい。
まだみんな明るかった。
チャイナはケールで捕まったらしい。
その瞬間はケールがなにか分からなかったが、ケタミンと呼ばれるドラッグを吸っていてパクられたらしい。ケタケタ笑うからケタミン。わかりやすい。
チャイナ三人組は明るく僕は個人的に好きだった。うち一人は台湾人で、ジャパンはフレンドだと言ってくれていたし、メガネチャイナはタバコを吸うときは声をかけてくれて一緒に格子に掴まって話をしながらタバコを吸った。
僕もメガネチャイナも英語は堪能ではない。
正確な意思疎通はできていなかっただろう。
それでも俺たちは仲間だった。
もう何時かは分からないが靴の上にバックを置いて枕にして上向きで寝た。
ペットボトルを枕にして寝ている人も多かった。
ウィードの匂いがする。留置所とはいえ持ち込めれば何でもあり。そんな空間だった。
最悪の朝が来る。
時計はない。今は何時なのかも分からない。
格子からチャイナ三人組に手錠がかけられて何処かへ連れて行かれる。
みんなはチャイナと握手をする。
僕もチャイナと抱き合った。
格子から外が見れるのだがチャイナは車に載せられて何処かへ行く。
話を聞くとジャッチ(裁判所) でコール(判決)を受けるらしい。
んんん?検察はないのか?
日本の仕組みを説明すると、オーストラリア人が、オーストラリアも一緒だけどカンボジアにはそんなのない。そして一発判決だということを伝えられる。弁護士も介入できず、牢獄行きになったときだけ弁護士は戦うシステ厶らしい。
後に間違いであることが判明するのだが、このときは震えた。
流石に有罪までが近すぎる。回避ルートがない。警察が裁判所に書類を出して判決されるなら確実に僕は有罪になる。
取り調べもクソもないわけで、有罪のための資料を警察が作っていることは明白であり、裁判所でそれを弁護士に介入させることが不可能なのであればもう手立てはないのだ。
また捕まったタイミングも悪かった。
カンボジアはお盆的なタイミングで土曜日日曜日月曜日と祭日だ。
本来なら48時間しか拘束できない警察も特例で時間を伸ばせる。
何にせよこの中からは何もできない。
友人たちが来てくれるのを待つしかない。
外から手を打ってもらう。もうこれしか残されていない。
チャイナたちが返ってくる。外で取り調べを受けてきたらしいが、それは検察ではないのか?と思うものの他の人が言うには違うらしい。
そして数時間後またチャイナは手錠をかけられて出ていく。
その後帰ってきて、プリズン行きが決まったことを話してくれた。
それでもチャイナは明るかった。
多分チャイナはクメール語なんてわかるはずもない、そして英語も僕よりできない。
都合よく話は進められたのだろう。
チャイナたちとタバコを吸う。
明日ジャー(牢獄)に行くらしい。
友人たちはこの日は来なかった。
仲間たちが僕のタバコの銘柄を聞いて家族に一緒に買ってきてくれとお願いしてくれる。
他にいるものは無いか?大丈夫か?
本当にいい人たちだった。
「大丈夫だ。リラックスしろ。
俺たちの罪は軽い。牢屋には行かない。
お前はプレイヤーじゃない。
お前のストーリーはこうだ。」
と僕が取り調べや裁判で喋るべき英語をレッスンしてくれる。俺たちは分からないが、お前は大丈夫だ。何回も何回もそう言ってくれる。みんな励ましてくれる。彼らがいなかったら本当に水の一本すらなかったのかもしれない。プログレスという言葉をみんな使っていた。絆があった。
友人たちはこの日は来なかったが、神手さんという方が僕を訪ねてくれた。
たまに顔を出していた焼肉屋のオーナーの友人らしい。
焼肉屋のオーナーが事件を知って、日本語とクメール語の通訳ができる神手さんを準備してくれたのだ。
ただし面会時間は短い。
弁護士と必要なら大使館への連絡
そして仲間たちのタバコの空き箱を渡す。
お金を払える保証は無いが、やはり僕にできることは少ない。
食べ物はたくさんあったのでタバコを差し入れてもらえないか頼んだ。
仲間たちの為に少しでも僕も力になりたい
そんな気持ちでいっぱいだった。
そしてこの神手さんが文字通り神の手となる。
48時間のしばりがあるため明日裁判になるんじゃないか。
そんな話で留置所はもちきりだった。
一人についていた弁護士が、安い罰金までで済むだろう。牢獄いきはなさそうだと言う話だったため、まだムードは明るかった。
チャイナは僕が取り調べを受けてる間にいなくなっていた。
薬物検査は名ばかりで、検査キットを持たされて写真だけ撮らされる。
ギャンブルの罪は重くはないが、ギャンブルと薬物を重ね合わせた罪は重い。こんなので薬物までつけられたら人生は終わる。
そしてさらに悪いことに留置所のムードは一転する。
誰の家族だったかは忘れたが、ひとつ上の刑になるかもしれないという話が出始めた。
そちらは2000ドル以上の罰金か懲役となる。
元々の50ドルか100ドルの罰金刑から比べて法外に高い。
これでは払えない人も出てくる。
牢獄行きというのはだれでもプレッシャーだ。
現地民のクメール人が全員でそれなりの額を警察に収めて揉み消せないかの交渉を奥さんにさせる。
4000ドルで全員出られないか???
的な話だが、これが少しできそうな感じの雰囲気だったが、全員が裕福な訳では無い。
頭割りでは不可能だ。
一人あたりの相場だと国籍によって価格も違うことがこの案がスムーズに進まなかった要因でもあるだろう。
僕が満額だして全員出れるなら安いものだと思って俺が全額出すとこっそりそう伝えておいたが、残念ながらその案、またはその額ではだめだったようだ。
個人でいくらとかになるなら僕なさっさと出て外からサポートしたかったが、その個人でいくらもだめだったらしい。
いつも笑ってるクメール人は笑わなくなった。
この日はケンタッキーパーティーだった
僕はあまり食べななかった。
そしてその夜はなかなか寝られなかった。
身体中が痛い。
翌日の日曜日は結構なプレッシャーがあった。
祝日とはいえもうなにが起きてもおかしくないのだ。
なにもないかも知れないし、釈放されるかもしれないし、裁判されるかもしれない。
いつも笑ってるクメール人が笑わなくなり、座禅ポーズから一切動かなくなったことが僕の不安を加速させる。
やっと友人がきてくれた。
僕がどこにいるのか調べるのが時間がかかったらしい。
時間は短い。弁護士を用意してくれ。そしてできるだけ金を準備してくれ。
そしてそれは一秒でも早くなくてはならない。その旨を必死に伝えた。
焼肉屋のオーナーが弁護士を用意してくれているらしい。少ししか話したことはない。
でも本当に良くしてくれている。
2000ドルスタートになるかもしれない罰金は上限が分からない。できるだけ多くの金が必要だ。
僕の隠し金はそこに使えるのだろうか?
夜になって静かになった頃に、警官が来て国籍を確認される。
クメール人が一人だけ留置所から呼ばれて外にでる。
ビジネスが始まったとみんな喜んだ。
クメールは帰ってこなかった。自分でなくとも仲間が外に出れることは嬉しい。
また一人クメールカナダが呼ばれる。
誰もが次に呼ばれたいと思っていた。
みんなで外に出たかった。
でももう誰も呼ばれなかった。
みんな寝られなかった。朝になり仲間の奥さんが面会に来る。8時からジャッチに行くことが決まったらしい。
もうビジネスはないのだ。
それでも蛇口シャワーで身を清め、留置所内をきれいにする。
歯ブラシすら武器になるという理由で持ち込めない留置所だが、看守もホウキを貸してくれる。もう棘はない。私たちの牙はぬかれたのだから。
友人は朝早くから来てくれた。通訳をしてくれる神手さんも弁護士さんも来てくれている。金はトータルで1万ドルを超える額を用意してくれていた。
プリズンだけは回避できるだろう。
あとは僕の隠し金をどうやって外に出すか。
チャイナ三人組のお陰でルーティンは知っていた。留置所内で手錠をかけられ車で何処かへ行くのだ。
このときはまだ検察があることを僕は知らなかった。
誰もがもうジャッジに行くと思っていた。
ドナドナされていく車の荷台で、警官がコーストは日本語でなんていうんだ?と聴いてきた。
おい!検察あるじゃねぇか!!!
ワンちゃんあるぞ。今回は通訳も入っている。通訳もない警察の取り調べが棄却されれば打ってない僕を捌く証拠はない。
少しだけ希望が見えてきた。
検察に到着し、弁護士と短い間打ち合わせをする。
やはり警察取り調べを全否定し、検察側取り調べで嫌疑不十分を狙う方向になる。
取り調べでは英語は全く喋らず、英語もクメール語も一切わからず、取り調べは拇印を強要されたことにした。まぁ実際そうなのだが。
やはりといっていいが、警察側の調書は酷いもので有罪にされるための調書でデタラメが書かれておりもちろん僕はプレイしたことになっていた。
ちょいまーい!木下!!
依頼した弁護士さんはカンボジアの物価では法外に高く、そして強い弁護士だった。
黒を白くする。そんな力を持っていた。
まぁ僕はやってないけど、それでもやはりベストを尽くすためには必要なパーソンだった。
通訳も超優秀だった。うまく小金をつかって立場をよくしてくれたり、日本語を駆使してうまく検察側が分からないようなサポートをしてくれた。
最後に検察側が調書を読み上げる。
なんてキレイな調書なのだろうか。
有罪にはなりようがない。そして事実が記載されていた。
そして僕は検察側による棄却を勝ち取った。
大きい金も守り切ることができた。
しかしまだ全てが終わったわけではない。
押収品はいまだ回収できていない。
何よりまだ開放されていない仲間たちがいる。
検察側取り調べで僕は日本に帰ったら家族を大切にして仕事をし、小さい幸せを手に入れたいと語った。
その言葉に嘘はない。
仲間たちと開かれた空間でご飯をたべ、留置所内でのことを笑える日も近いだろう。
カンボジアは素晴らしい国だ。
だが自分の身を守る術を持たなくてはいけない。法整備が甘いからこその良さも悪さも経験することができた。
だが一人だったらどうなっていたかを考えると恐ろしい。
日本とは違い、当たり前のように身近にリスクが存在している。
近づかなければいいという言葉で終わらせることはできない国なのだ。
夕食を食べているレストランの上で何が行われているか分からない。マッサージの隣の部屋で何が起きているかわからない。その時銃を突きつけられて警察署に連れて行かれたとき自分を守れるのだろうか?
私は被害者ではない。
相応の結果であり自業自得だと思っている。今回のケースは恵まれていただけなのだ
カンボジアに行く人がいたら前もって連絡してほしい。良さは行けば体験できる。
ただしおぼえておいておいたほうがいいことを少しだけ覚えていくことで、完全でなくともリスクは回避しやすくなるだろう。
僕は沢山の人に助けてもらった。
それを誰かに返すことで恩返しがしたい。
そしてなにより仲間たちが全員出てくることを願う。
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