アクセンチュアという得体のしれないグローバル会社で働いて得た気づきとかいろいろ
2002年に新卒で入った会社はアクセンチュアという経営コンサルティング会社だった。経営コンサルタントになりたかったわけではなく、将来起業するにあたって、広く浅く世の中の仕組みを知れたらいいな、くらいの気持ちだった。
マーケット(=市場)との向き合い方、同業他社とのポジショニングなどなど、同社で数年間働くことで得たさまざな気づきは、その後、リライトというまちづくり組織の立ち上げに、少なからず影響を与えていたりもする。
というわけで今回は、アクセンチュアという得体のしれないグローバル会社で働いていたときのあれこれを、雑記的に書いてみたいと思う(少し長文になってしまったが、内容的にそこそこ読み応えはあるんじゃないかと…)。
アクセンチュアって、そもそもなんの会社なの?
この会社のことを知ったのは、就職活動を意識して読むようになったビジネス誌に、よくリクルートと並んで、人材輩出企業として紹介されていたのがきっかけ。社名をアンダーセンコンサルティングからアクセンチュアに変更したばかり(2001年1月1日変更)で、いろんなところにブランド広告を露出しており、2chではブラック企業としてそれなりに悪目立ちしていた(笑)。
入社した頃の日本支社の社員数はたしか2,000人前後で、2002年に新卒入社した同期は200人以上。この数字を見ても、どこの急成長ベンチャーかという採用人数で、2chでの悪い噂を裏付けるファクトにしかならない。当時どんな書き込みが多かったかといえば、「実働時間が長い」とか「労働環境が悪い」みたいな内容だっただろうか。もちろん、それらを事前に見ていなかったわけではないが、あまり気にしていなかった。
アクセンチュアの組織は大きく、経営コンサルっぽいことを専門にしている戦略グループと、それ以外(以下「非戦略グループ」)に分かれる。応募の段階で希望を聞かれるのだが、総合力を強みとしているアクセンチュアで、わざわざ戦略グループを希望する意味はあまり感じられなかったので、非戦略グループを希望した。ちなみに同期200名超のうち、戦略グループとして採用された同期は30名程度だったと記憶している。
コンサル業界を俯瞰しつつ、アクセンチュアの強みなどを整理してみた
このnoteを読んでくれるのは、建築または都市系の仕事をしている方(もしくは学生)が多いと思うので、コンサル業界のことについて少し補足をしておく。
一般的な経営コンサルティング会社のイメージといえば、自社の今後の方向性に悩む経営者から相談を受け、クライアント先にチームで乗り込んでいって、会社の将来像について経営層にプレゼンする。ざっくり、そんなイメージだろうか。
日本における経営コンサルティングの歴史はそれほど古くなく、1966年にボストンコンサルティングが世界で二番目の拠点として日本支社を設立したところから始まって、その後、71年にマッキンゼー、72年にA.T.カーニー、78年にアーサー・D・リトルが進出。1980年~1990年くらいまでは、こうした伝統的な経営コンサルティング会社が中心で、それらは一般的に「戦略系コンサルティング会社(以降「戦略系コンサル」)」と呼ばれる。
一方で、1980年代頃から台頭してきたのが「会計系コンサルティング会社」である。最近ではDX(デジタルトランスフォーメーション)なんて言われることが増えたが、企業の変革を行うにあたって、ITを伴うことが当たり前となっていった時代である。
いわゆる会計系コンサルティング会社は、もともと会計事務所の一部門としてスタートし、会計システムの導入と合わせて、企業変革のサービスを提供することが少しずつ増え、提供サービスをより上流に広げていった。さらに、1990年代には、戦略コンサルティングなどの上流だけでなく、ITコンサルティングやシステム開発といった下流にまで提供サービスの範囲を広げることで、「総合系コンサルティング会社(以降「総合系コンサル」)」を名乗るようになっていった。
当時、こうした総合系コンサルの一角を担っていたのが、アクセンチュアである。日本にアクセンチュアの戦略グループが立ち上げられたのが、たしか1990年頃で、1990年代に下流と同時に上流の強化も行うことで、総合系コンサルとしての存在感を高めていった。
一方、IT業界では、外資であればIBM、国内であればNTTデータやNECのようなSier(システムインテグレーター)がすでに群雄割拠していた時代。大手会計事務所を源流とする会計系コンサルティング会社だったPwccをIBMが買収(2002年11月)、アビームコンサルティング(旧デロイトトーマツコンサルティング)をNECが買収するなど、Sier(システムインテグレーター)も総合系コンサル同様に、いわゆるバリューチェーンの垂直統合を目指したわけである。
戦略系コンサルと総合系コンサルのいいところ、悪いところ
ここで、よく言われる戦略系コンサルと総合系コンサルのいいところ、悪いところを整理する。一般的によく言われるのは、戦略系コンサルは、戦略はそこそこイケてるけどソリューション部隊を自社に保有していないこともあって、その戦略を実行するところまでお手伝してくれないとか、場合によってはソリューションに対する理解不足もあって、戦略がいわゆる絵に書いた餅になっているケースが多い、といったこと。
一方で、総合系コンサルはソリューションの統合力と実行力がウリで、ソリューションから逆算的に落とし込まれた戦略は、戦略系コンサルには到底提案できない内容だった、なんてケースもある、という感じだろうか。
もちろん、マッキンゼーをはじめとする戦略系コンサルも、総合系コンサルの台頭に手をこまねいていたわけでなく、2000年代以降、総合系コンサル出身者を招聘し、自社内に新たにIT部門を設立するなど、ソリューションに対する理解を深めようと躍起だったのは言うまでもない。
総合系コンサルとSierの違いなど
続いて、総合系コンサルとSier(システムインテグレーター)の違いなども整理してみる。IBMやNECのようなSierは、自社製品(サーバーや自社開発のパッケージソフトなど)があるため、ソリューションが自社製品に偏ってしまうという指摘がある。そういった点でも、ソリューションは持っているが、自社製品を持たない総合系コンサルティング会社は中立的であると言っていいだろう
ざっくり総合系コンサルについてまとめると、上流から下流まで手がけられることが圧倒的な強み。そしてソリューションに縛られないということだろうか。
さて、実は総合系コンサルとしては、アクセンチュアの一人勝ちと言われる。というのも、2000年代前半には会計事務所を源流とする総合系コンサルティング会社が多数あったが、その多くは合従連衡によって、くっついてしまったり、消えてしまったから。そこで、アクセンチュアの成長にあった背景を個人的に分析してみた。
一貫した現場カルチャーと、ITという共通言語化―アクセンチュアの強みの源泉とは?
自身が2002年にアクセンチュアに入社した当時のパートナー(共同経営者)は皆、新卒入社の頃にシステム開発の現場を当たり前に経験しており、ステレオタイプに想像するスマートでキレッキレの経営コンサルタントではなく、ごりっごりの武闘派という印象。そもそもアクセンチュアに戦略グループが立ち上げられてまだ10年と少しという状況で、パートナーにも戦略グループの生え抜きはおらず、システム開発の現場を数年経験し、その後戦略グループの立ち上げに関わったという人が多かったように思う。
自動車会社でも鉄道会社でもゼネコンでも、日本の大企業では一般的に、現場を知ることを念頭に置き、若手のホワイトカラーに一定期間現場を経験させることが多い。アクセンチュアでも、非戦略グループに入社した新卒はシステム開発の現場を数年程度経て、その後それぞれの専門性を高めていくのが習わしだった。そうした方針もあって、新卒から戦略グループに配属され、プレゼン資料作成しかしたことのない若手コンサルタントはあまり重宝されず、2〜3年システム開発の現場で働き、上司の覚えめでたく戦略グループにトランスファー(社内転属)するのがカッコイイ、という風潮がなんとなくあったように思う。
もちろん戦略グループ生え抜きで優秀な人もたくさんいらしたが、やはり活躍していた戦略コンサルタントのうち、生え抜きは半分くらいという感じだった。
ちなみに、2000年代前半の、IBMやNECなどのSier(システムインテグレーター)による会計系コンサルティング会社の買収は、下流から上流への業容拡大で、一見総合系コンサルと同じゴールを目指したともいえるが、果たしてそれがうまくいったのかと言えば、決してそうではないように思う。
アクセンチュアは、大雑把にいえば、新卒で大量採用した地頭のよさそうな若者たちに現場で徹底的にITを叩き込み、数年経って使いものになりそうなやつを選抜、それぞれの専門組織に振り分けるという感じ。一見時間がかかりそうな人材育成方法だが、実は、これこそがアクセンチュアの圧倒的な強みの源泉なのではないかと思う。
特徴的なのは、同業他社との合従連衡がなく、そのカルチャーが良くも悪くも守られてきたこと。もちろん、アクセンチュアもこれまでM&Aによる業容拡大を行うことはあったが、それまでに形成されたカルチャーが大きく変わるようなケースはなかった。逆を言えば、IBMやNECのケースでは飲み込む側の規模が大きく、買収されたコンサル部門の強みやカルチャーが失われてしまったのではないか。
組織に関する気づきとか
加えて、社内の異なる専門家が、ITという共通言語を持つことの圧倒的な強みを感じた。バリューチェーンという点から見れば、おそらく組織内の専門家組織集団はその機能を満たしていたのかもしれないが、共通言語がなければバリューチェーンは途切れ途切れになってしまう。アクセンチュアは上から下まで新卒採用で叩き上げの、現場経験を大事にするカルチャーを持ったコンサルタントによって構成され、その組織は競合他社と比べても異質だといえる。彼らは、共通言語を持ちながら、その後それぞれ専門性を身に着けつつ、異なる専門分野を統合していく。これもアクセンチュアの強みのひとつなのだと思う。
自社製品は持たないが、独自ソリューションは持つ―アクセンチュアの強みの源泉とは?
入社して、驚かされたこともたくさんあった。たとえば、社員はパソコン1台を与えられるだけで、固定席はなかった。コンサルタントは基本的にクライアント先に常駐することが多かったので、事務所のデスクは事前に1週間単位で予約する必要があった。そもそもデスクは社員数に対して1〜2割程度しか確保されていなく、まだ常駐する段階になかった上流フェーズのプロジェクトでは、いつも若手スタッフがプロジェクトメンバーのデスクの予約に苦慮していた。
荷物は持ち帰るかロッカーに入れるのだが、固定ロッカーがあるわけではないので、空いているロッカーを自身で確保する必要があった。翌日の場所取り目的で荷物を置いたまま帰宅すると、朝には撤去され、バックオフィスの片隅に置かれた紙袋に一式ぶち込まれているという徹底ぶり。最近では、オフィスでのフリーアドレス化も当たり前になりつつあるが、2002年頃にここまで徹底している会社は多くなかったのではないかと思う。
ちなみに、携帯電話はマネージャーにならないと貸与されなかったので、入社当時配られた自身の名刺には代表電話が記載されていた。そもそも、代表番号にかかってきても、オレはどうやって電話に出るんだろうとずっと不思議に思っていた。ある日、自身の個人携帯に聞き覚えのある女性の声で「代表電話に籾山さん宛にお電話です。お出になりますか?」と電話があった。そんな仕組みの存在を事前に知らされていなかったので驚いたのだが、おそらく代表電話に電話がかかってくると、暇そうにしている受付のお姉さんがコールセンター代わりに対応するという仕組みを構築したのだろう。
で、組織再編で人事部門は7割削減?
中でも一番驚かされたのは、バックオフィス部門の大胆な再編だった。3ヶ月の入社研修が終わるころ、世話になった人事担当と飲んでいると、「実はオレ、年末で退社するんだ」と打ち明けられた。よくよく話を聞くと、そもそも日本国内の人事の大部分(7~8割だった気がする。。)が退職するという。
当時、おそらく社員の1~2割程度のバックオフィス組織があったのだと思うが、機能をコア(非定形業務)とノンコア(定形業務)に切り分け、APAC(アジア・パシフィックエリア)全体でノンコアとされたオペレーショナルな業務を大連(中国)に集約するということだった。
ちなみに、このアウトソーシングセンターは開始当初、さまざまなトラブルがあった(問い合わせても日本語が通じないとか、業務品質が高くないとか)と記憶しているが、一定期間運用し、サービスレベル向上ののちに、BPOサービスのショーケースとして商魂たくましくクライアント先に外販されていった。
ここでの気づきは、トライアンドエラーを繰り返しつつも、自社でソリューションを持つことが同業他社への圧倒的な差別化要素になるということ。さらに自社向けのソリューションの立ち上げは、クライアント向けとは違ってさまざまな社内人材育成の機会にもつながっていたように感じた。
以上まとめると…
上流から下流まで手がけられることの圧倒的な強み。特に戦略(上流)だけではなく、実行(下流)まで責任を持つことが重要。一方で、バリューチェーンを分断させないためには社内共通言語の存在がポイントで、これを支える上では企業文化のようなものが肝要だったといえる。加えていえば、ソリューション開発を通じた人材育成と、競合他社への差別化要素の徹底も秀逸だったと思う。
現在、自身が向き合う「まちづくり」の分野は、そもそも扱う分野が広い。特に、プロジェクト規模が大きくなればなるほど関わる専門家も多くなって、プロジェクト全体を見渡す統合力のようなものが求められる。一方で、そういう役割を担えるプレイヤー(企業だけでなく人材も)はあまり多くないように感じる。
必要なのは、自社内に専門性を持った人がいることと、その専門性を統合する存在。ただ、単に専門家を寄せ集めればいいという話ではないし、そもそも異なる専門性を持った人を一つの会社に留めることはとても難しい。それは会社のカルチャーという意味でも、会社経営という視点でも。あとは、それを実現するバックエンドの仕組みみたいなものも重要だろう。
業種や規模は異なるが、アクセンチュアのように共通言語を持ち、専門家人材を統合できる、まちづくりに関する一貫したサービス提供体制を構築したいと思ったわけだ。
(おわり)