マンホールからベンガルトラまで その11
インディジョーンズの世界
目の前には川があった。
そして橋もあった。
橋というのはこちらの岸からあちらの岸へ渡るためのものだが、その橋は水の中へと続いていた。
つまり壊れてしまっていた。
昨日の大雨の影響だろうか。
しっかりした橋に見えるのに。
川幅は五メートルほどあってジャンプで飛び越えるというわけにも行かなそうだ。
私達の目的地は向こう岸にあった。
ラージエンドラとプサンはしばらくネパール語で話し合っていたが、「まあ話し合ってもしょうがねえよな。」という雰囲気で川に向かって左の方へ進んでいく。
こういう時はどうするんだろうと見ているとすぐに二人は立ち止まって服を脱ぎ出した。
あ、これはそういうパターンですか。
私の意志は確認されないみたいだけど。
川の中を歩いていくことになったようだ。
下着のパンツ一丁になってカメラと脱いだ服をバックパックに詰める。
そしてそれを頭の上に持ち上げてみたが、やばい。
この体勢は右腕と脇腹の怪我にモロに影響するみたいで力が入らない。
バランスが保てない。
くっ、重い。
既に落としそうだ。
出来るだけ自分の力でなんとかしたかったのだが、この時ばかりはラージエンドラに頼んだ。
彼は慣れたそぶりでバックパックを頭の上に載せると危なげない足取りで川へ入っていく。
このバランスの差は民族の違いだろうか?
いや、きっと怪我さえしてなければ私もしっかりしたものだぞ、と自分を慰める。
プサンが先頭で木の棒を水面に叩きつけてパーンという破裂音を鳴らしてから川の中に進んでいく。
渡った後に聞いた話しなのだが、この川にはワニが住んでいるらしく、水面を叩いたのはワニを驚かして寄ってこないようにするためらしい。
ワニがいる川に入る時はちゃんと私にも説明して欲しいもんですよ、お二人さん。
ともあれ、その時は昨日の雨で増水した川に流されないように、泥に足をとられて転ばないようにするので必死だった。
ワニのことを知ってたらもっと必死だったと思うけど。
一番背の高い私の胸のところまで水深があったので二人にとってはもっと深かっただろう。
しかし、ガイド達はジョークを飛ばし合いながら水中を進んでいく。
余裕だ。
アップアップしながらなんとか向こう側にたどり着くことが出来た。
「滑りやすいから草の上を歩くんだよ。」と注意を促すとガイドの二人は私と私の荷物を置いて、今度は自分達の荷物をとりに戻っていく。
私が荷物を持てなかったために二人は三度も川を歩いて渡ることになる。なんだか申し訳ない。
何度もパーンと水面を叩きつける音をさせながら、ワニに食われることなく全員無事に反対の岸に辿り着くことができた。
じゃあ行こうかとカメラを肩にかけ直して動き出したところでヌルッと足が滑った。
さっき岸に着いた時に「滑りやすいから草の上を歩くんだよ。」とラージエンドラに言われたばっかりだったのに。
私はぬかるみを歩いてしまっていた。
このまま転んだら川の中に落ちる!
視界がスローモーションになる。
やばい、何か掴め!手が宙を仰ぐ。
目の前にあった蔦を掴んだが、それはトゲのある蔦だった。
これを思い切り掴んだら痛いだろうなぁ、でも川に落ちたらカメラ壊れるかもしれないしと一瞬の間に打算的なことを考えながらぎゅっとトゲのある蔦を掴んだ。
ラージエンドラが手を伸ばしてくれた時には動きが止まっていた。
手のひらには裂傷ができて血が流れていたが、川に落ちることからは免れた。
不思議なことに傷口から流れ出てくる血は舌で舐めただけで止まってしまった。
ネパールに来てから自然治癒力が高まっている気がする。
そして小さな傷くらいは全く気にならなくなっていた。
だんだん体が野生に順応してきているのかな。
野生動物を撮る前に自分が野生動物になってしまいそうだ。
その後、ワニが棲む川だったことを聞かされる私。
愕然としたが、なんで言ってくれないのかとむしろ呆れ返ってしまった。
無事に渡れたからよかったけどさー。
それにしても荷物を担いでワニのいる川を渡るなんて、昔見たアドベンチャー映画そのものじゃないか。
スマホやらAIやら言うてる時代に、もはや笑い話しである。
ヒル
道なき道を進むとはこのことだろう。
川を渡った後はまだ撮れだかの少ない私のためか、動物がもっといそうな、ルートから外れた所を歩く。
葉っぱが顔の高さを覆うような所を強引にプサンは屈みながらズンズン進んでいく。
二人より背の高い私は顔に葉っぱが当たらないように屈むのが大変だ。
手で葉っぱを押し除けると音がしちゃうし。
バサバサ言わないように注意しなくちゃならない。
ところで体のいろんなところがいろんな理由で痒くなってきた。
ずっと動いているから血の巡りが良くなっているんだろうか。
うわ、気にしたらよけい痒くなってきた。
帽子を被り続けている頭が蒸れてかゆい。
前の安宿のベッドでダニに刺された背中がかゆい。
マンホールに落ちて怪我した右腕の擦り傷が治りかけててかゆい。
ジャングルで蚊に刺された全身がかゆい。
そしてヒルに血を吸われた足がかゆい。
ヒルに血を吸われたのは生まれて初めてだった。
最初、ビーチサンダルのプサンがヒルに吸われているのを見てて、同じ目に合うのが嫌だったので靴下を出来るだけ上の方まで引っ張って履いていたのだが、おそらくさっき川に入った時にくっついてきてたんだろう。
靴下のさらに上のほうにヒルはくっついて私の血を吸っていた。
休憩した時になんか足が痒いなあと思って見てみるとヒルだった。
血を吸われても痛くはないものらしい。
私の血を随分吸ったようで丸々と太っている。
ラージエンドラが血を吸っていないヒルを見つけてきて比べてみる。
吸ってないヒルはシャクトリムシみたいでモンシロチョウの幼虫よりも小さいくらいだった。
それが血を吸うと何十倍にも膨れ上がって大きめのなめくじみたいになる。そのまま取ると傷になってしまうかもしれないのでラージエンドラがライターで焼いて取ってくれた。
プサンはそのままピッと取ってたな。
さすがワイルドプサン。
いろんなところが痒くなったわけだが、人間は痒い所がたくさんある時、全部を痒いと感じれる訳ではないことを発見する。
痒いと思ってるところはその時、一つだけだ。
足のヒルに吸われたところが気になってる時に、私はダニに刺された背中とか、蒸れた頭とか、他の場所を痒いと思わない。
これは私的に大発見だった。
人体って不思議だな。