マンホールからベンガルトラまで その24-最終話
さよならネパール
その夜。ホテルのベッドに横になったがなかなか眠れなかった。
最初にネパールに来てからおよそ3週間が経っていた。
明日にはネパールから去ることを考えると寂しさと同時に笑いが込み上げてくる。
だはは、色々あったなあ。
いきなりマンホールに落ちるんだもん。ありえへんでしょ。
着いて早々クライマックスかとあの時は思ったよ。
あれから右腕はほとんど良くなったみたいだが、肋は思い出したようにたまに痛む。帰ったら病院行こっと。
毎日ネパールミルクティー飲んで、毎日バナナを食べた。最後までネパール料理の味には慣れなかったな。何度かチャレンジはしたんだけど。
迷子になった時はリクシャのダリに助けてもらった。
マイペースでなかなかホテルまで辿り着けなくて。ふふ。最高の寄り道だった。あの人はずっとあんな感じなんだろうな。
チトワン国立公園ではジョンとクリスとの出会いがあって、予想外にワイルドなジャングルウォークをやった。ワニのいる川を渡るとは思いも寄らなかった。いつか孫に自慢しよう。
あともう少しで虎を撮れたのに、惜しかったなあ。
虎を逃して振り返った時のラージエンドラの残念そうな顔は今も心に残っている。
湖と美しい山脈が見える街ポカラではその周りで生きる人達との交流があった。
レストラン青空では沢山の旅する日本人や、ギターでネパールの曲を教えてくれたエマと出会った。
やっぱり音楽は言葉の壁を越えるんだって実感した。
ハーフのよしき君からは世界の悲しみを笑顔に変えていこうという情熱を受け取った。一人の力では難しいかもしれないけど、彼が思いを実践し続けたなら、沢山の人がそれを受け取れたなら、子供達の悲しい顔は確実に少なくなっていくに違いない。
ドーナツ屋さんのガハハ兄ちゃんからは耳が聞こえなくても、うまく喋れなくても、気持ちさえあれば思いは通じるんだという事を学んだ。
やはり手話はやりたいかな。次に覚えることの目標が出来た。
持ってきた五円玉もお世話になった人達に渡すことが出来て、ほとんど無くなった。代わりにもらったコインとかお守りが財布には入っている。
怪我はしたけど、身体は日本にいた時よりも強くなっている気がした。
予想外なことはいっぱいあったけど、後から思えば全部笑える話しだ。
たくさん歩いてたくさんの人に出会えた旅。
夢みたいな旅だったなあ。
極上の夢だった。
いつの間にか私はホテルのベッドで眠りに落ちていた。
朝起きてからも私はまだぼんやりした気持ちでふわふわしながらチェックアウトして、空港に向かうタクシーに乗り込んだ。
( 旅が終わるんだな。さよならネパール。また必ず来るからね。)
タクシーの車窓からネパールの街並みを眺めながら心の中で呟く。
あれ?
信号で止まった時に知っている顔がいたような気がした。
え、ダリ⁉︎
坊主頭のリクシャのダリだった。
え、あっ。
どうしようかと考えてる間に車は走り出す。
ダリはどんどん小さくなっていった。
そうして見えなくなった。
・・・挨拶くらいはしたかったな。
もう一回くらいはお礼を言いたかった。お陰様で最高のネパールだったよって。ありがとうって。
ダリは相変わらず誰かと話しながら笑っていた。
あの歯の抜けたチャーミングな笑顔で。
ありがとう、ダリ。
本当は旅を終わらせたくなかった。普通の生活が待っている日本に帰りたくなかった。
でも、私も自分のままで日本の生活を送っていくよ。
旅は終わるけど、私は私のままで生きていく。だから、ダリもそのままのマイペースなダリでいてくれ。歯が抜けたチャーミングな顔で笑い続けてくれ。
徐々に日本に近づいていくタクシーの中でそんなことを思った。
日本に帰ってからは日常が戻ってきた。
結婚を記録に残すブライダル撮影をしたり。卒業アルバムの学校写真を撮ったり。人を撮影する仕事に戻った。
少し前までの猛獣がいるジャングルを歩いてた日々が嘘みたいだ。
休みの日には自前のギターで猛練習してネパール人の心の民謡曲、レッサンフィーリーリーを弾きながら歌えるようになった。
教えてくれていたエマにその様子の演奏動画を得意げに送りつけたら素直に喜んでくれていた。
それから病院に行った。
マンホールに落ちて痛めた肋は1ヶ月たっても痛む時があった。
「折れてますね。」とお医者さんは言った。
やっぱり、折れていたか。苦笑してしまう。
折れた状態で鮨詰め満員電車状態のエレファントライドに乗ったり、重い荷物を持ってジャングルを歩いたり、ワニのいる川を渡ったりしてたらしい。
そりゃあ頭の上に荷物を持ち上げたりしたら痛いわな。
笑けてくる。
いや、終わった話しだから笑えるけどその時知ってたら日本に帰ってましたよ。でも、折れててもなんとかなるんだね、肋って。
お医者さんが言うには折れてるけどもうくっついてきてるらしい。変なくっつきかたしてないといいけど。
固定するコルセットもありますが使いますか?と言われたけど断った。今更だもんね。
いつか私が有名なカメラマンになってこのエピソードがカッコよく使える日が来ますように。
私は知っている
旅から帰ると当たり前のように安全な日々が毎日私にやってくるけど
ネパールに行く前の私と行った後の私とは全然違う
危険なジャングルでラージエンドラやプサンが棒を持って歩いてるのを知っている
日本食レストラン青空では仕事の合間にエマが日本に憧れてギターを弾いてるのを知っている
ガハハ兄ちゃんが家族で毎日ドーナツを揚げながらガハハと笑い続けてるのを知っている
世界の貧困を憂いてどうにかしようともがくよしき君みたいな人がたくさんいる事を知っている
そしてリクシャのダリが今日も知らない人に挨拶してるのを知っている
分け隔てのない チャーミングな 歯の抜けた笑顔で
一人ひとりと触れ合った時の小さな熱が
ちょっとずつ大きくなりながら胸の中で燃え続けているのを私は知っている
それがどういう形で私の行動に影響を与えるのかは分からないけど
何か大事なことを決心をする時に
優しく背中を押してくれるような気がしている