気になるエッセイ
盛岡在住の作家・くどうれいんさんの「うたうおばけ」というエッセイが気になっている。この本のことを知ったのは、しばらく前にfacebookを眺めていた時に大学の先生が「本学出身の作家・くどうれいんさんが……」とポストしていたことだった。
同じ学部の先輩らしく、年齢も1つ違いなので、おそらく在学中にどこかで見かけたことがあるのだろうけど、大学内に交友関係が少ない僕としては「こんな人がいたといいえば、いたかもな…」くらいにしか分からない。くどうさんは現在、盛岡で会社員をしながら作家をしているという。
著書の「うたうおばけ」を気になっているけど購入もしていないし、内容も知らない。なのに、僕はこうしてnoteをしたためている。なんたることか。こういうものは読んでから書くものではないか…。
あ、でも、くどうさんが書いたnoteのエッセイは読んで、とても面白いなあと思った。
クスッと笑ってしまう感じであったり、大きなことではなく日常にあふれていることだけど情景が伝わってくる解像度の高さが素敵だなあと思ったりしている。方向性は違えど日々文章を書く身としては、その独特な感性と解像度の高さが欲しいのだ……と思わせられる。
そうそう、僕が「うたうおばけ」を読んでみたいと思ったのは本の紹介に出てくる「人生はドラマではないが、シーンは急に来る」という一文が気になったから。「人生はドラマ」という言葉はよく聞くし、なんといってもこのアカウントの初noteは“ドラマな人生”と豪語(?)している。一般的に「人生はドラマではない」という言葉は、なかなか聞かない。
しかも、興味深いのはその後に続く「シーンは急に来る」という言葉。急にやってくるシーンとは一体何のことを指すのか、この場合ドラマとシーンはどう違うのか、などしばらく考えていた。だから、このエッセイを読んでみたいと思っている。卒論が忙しくて全然手が回らない!早く読ませてくれ〜〜〜!
僕は実際の著書を読んでいないので、その一文が具体的にどんな背景なのかは分からない。ただ、自分の経験と照らし合わせると少し分かるような気がする。人生はドラマではない。だってハッピーエンドとは限らないし、ドラマのように理想的な主役とヒロインがいるわけでもない。毎回面白い展開がやってくるわけでもない。1シーズンの11〜14回、週1の1回60分で人生をやるわけではない。
80〜100年の有限であるとはいえ、日常は思っているよりも地味なことが続いていく。そう、長距離走と一緒だ。レースの舞台に立つまでは、淡々と走り続けていく練習がほとんど。日常は地味なことの繰り返しだ。でも、その中に小さな嬉しいできごとがあったり、楽しいと心躍らされるきっかけが潜んでいたりする。あるいは、友人との会話を思い出しては、あの時は面白かったとニヤニヤしてしまったりする。
くどうさんの文章を読んでいると、おだやかな日常のなかに佇んでいるモノがもしかしたら一つ一つのシーンなのかもしれないと思わせられる。江國香織さんの「とるにたらないものもの」を読んだ時も、同じようなことを感じた。その積み重ねに自分の世界は出来上がっていくのだろうなと。
ただ、ドラマではない人生の中にも時々ズドーンと大きな「見せ場」がやってくることがある。つい1分前までそんなことが起こるとは全く予想していなかったシーンが。本当にそういうシーンは突然やってくる。そういう時に現れるシーンに対して、自分が何を思い、何を選び取っていくかが後から振り返った時にドラマのように見えるのかもしれない。
「シーンは急に来る」という言葉は自分にも当てはまる。いつも急にやって来る。人との出会いも、人生の分岐点も。中学生の頃、陸上や駅伝をやるように誘われた時。高校生の時、高校生団体を立ち上げるに至るまでの出会いやプロセス。思い返してみれば、今の大学入ったのも出会いだった。東京に行ったのもそうだった。
急にやってきたものに自分が何を選んだかで、人生は本当にいろんな転び方をしていただろうと思う。全く違う人生もあったと思う。
うむ。
「人生はドラマではないが、シーンは急に来る」
なんとなくだけど、分かる気がする。
忘れないうちに「うたうおばけ」を読みたい。読んだらまた感想noteを書こうと思う。
まずは、卒論を頑張らなくては……。