
『AIと壁打ち』note#03:アテンション・プリーズ!?(後編)
指標の課題ー本当に「注視」するべきは何か。
会社に入って間もない頃。一年ちょっと、メディア担当の営業職をしていました。テレビスポットのメディアバイイングの見習いだったんですが、当時は、タイムテーブルと睨めっこしながら、電卓で視聴率足して積み上げてGRPを出して。パーコストを弾いて、そのうえで、番組内容が適切かどうか、生番組の場合は特に、クライアントのメディアご担当者と膝つめで打合せして、会社に戻って局担さんと共有して。テレビ局と交渉を繰り返すこと数回。それでようやくオンエアの予定が組めるーそんな現場経験をしていたので、アテンションタイムって論じられる時代になったことに隔世の感もありますが、果たしてどうなのか。以下の記事も興味深く読みました。
TVでもネットでも同じ。データを「絶対視」してはならない。もちろん集計され積み上げられた統計や平均値は、それなりに参照すべき資料とはなるけれど。その統計とて、集計の仕方や期間で意味合いが変わるから。それがリアルタイムに即応するかたちでーって言われてもねぇ。コンバージョンひとつとっても、商品情報に接して「衝動」買いーその「ポチしちゃいました!」のvery shortなモーメント消費(Z-FMOT)の前には、少なからず購入動機に至る何かしらの意識の上でのlongなインターバルがある筈で。それは何となく感じていた現状に対する未充足の心理かもしれないし、明快なJob To Be Doneはあるものの「いつかやろう」と思っていたからかもしれないし。いろいろですよ。
テレビを観ている人のアイトラッキングをして、事細かにどのタイミングで/画面の何を「注視」していたかということと、そのあとのSNSでのシェア行動ーその調査ではCo-Viewing衝動ーを、応用脳科学的なアプローチで調査したこともありますが、今思えば、そこでshortな視聴と行動のパターンの計測はある程度実地にできたかもしれないけれど、longなメンタルアベイラビリティに関わる欲求や意識は勘案していなかったなぁ、と。「ビュースルーやエンゲージメント率よりアテンションタイム」ーという話もわからないでもないですが、テレビCMをGRP(Gross Rating Point)=視聴率総和で売り買いしていたあの頃と、さして何も変わらないんじゃないかと(笑)。その視聴率は、「テレビが点いている」状態を数値化しただけだし、そうではなくて、厳密に映像の何を「注視」しているのかを、ヘッドセット被ってもらって被験者にアイトラッキングを用いて調べてみたところで、それは「目で追っている」だけ、脳波が電気的に「反応した」という事実が確認できただけの話で。それはそれで、やってみたらとても面白かったんですけど、でも結局のところ、どちらもそうやって集計され、数値化されたものをして、結論づけることは、できるのかしら?と。
KPIを細かく刻んだりその計測すべき指数を替えたりしても、その「数字」を見て何が判断できるのか、できないのか。そこのところが、デジタルマーケティング、そしてそれを前提にクリエイティブワークを仕込んでいくときに、留意しなければならないことかな、と。あらためて思うのです。
ーさて、Mr.Claude 。どう思います?コメントをお願いします。
ご質問ありがとうございます。マーケティング指標の本質と限界について、非常に示唆に富む考察をいただきました。まず、アテンションタイムに関する私の見解を述べさせていただきます:
1.指標の進化と本質的な課題
従来のGRPから現代のアテンションタイムまで、確かに測定技術は進化していますが、ご指摘の通り、本質的な課題は変わっていないと考えます。どの指標も消費者の行動や意識の「一断面」を切り取っているに過ぎません。
2.ショートタームとロングタームの乖離
ご経験されたアイトラッキング調査の例は非常に興味深いです。即時的な反応(Short-term)は確かに測定可能ですが、購買意思決定プロセスの大部分を占めるLong-termの心理的要因—メンタルアベイラビリティや潜在的なJob To Be Done—は、単純な数値化が困難です。
3.デジタルマーケティングの陥穽
「リアルタイム」「精緻な測定」という特徴は、却って本質を見失わせる危険性があります。数値化できる指標に過度に依存することで、数値化できない重要な要素を軽視してしまう可能性があります。
4.クリエイティブワークへの示唆
数値指標は「ガイド」であって「絶対的な真理」ではないという認識が重要です。クリエイティブワークにおいては、数値化できない人間の感情や文脈への深い理解が不可欠です。
質問させていただきたいのですが:テレビ営業時代の経験と現在のデジタルマーケティングを比較して、消費者の購買意思決定プロセスに関する本質的な部分で、何か変化したと感じられる点はありますか?
ジラールの「模倣的欲望」ー「他人の欲しいものが、自分の欲しいもの」ー他人の欲求を自分の欲求と勘違いして消費を回す、という話ですね。SNSにおける'Social Algorithm'。自分の嗜好や欲求、さらにいえば思考そのものまでもが「模倣的」影響を受けやすいということです。広告だけじゃなくてジャーナリズムも同じ。已む無しの時代とはいえ、Personal DataやPrivacyについては、ますます慎重に扱われなければならない時代になってきていますからね。もちろんオーディエンス自身の問題でもありますが、単にAttention偏重では済まされないわけです。こちらの記事など、とても参考になります:
ご指摘の点、非常に重要な観点だと思います。社会アルゴリズムの影響力について、以下のような分析を加えさせていただきます:
1.欲望の再帰的構造
かつての消費者行動は、比較的シンプルな「個人の欲求」と「マスメディアの影響」という二項で説明できました。しかし現代では、SNSやレコメンデーションエンジンを通じて、他者の欲望が自分の欲望を形作り、それがまた他者の欲望となって循環するという、複雑な再帰的構造が生まれています。
2.プライバシーとパーソナライゼーションのジレンマ
より精緻な個人化されたマーケティングを実現するために、より詳細な個人データが必要とされる一方で、プライバシー保護の要請も高まっています。この相反する要求をどう調整するかは、現代のマーケティングが直面する最大の課題の一つといえるでしょう。
3.思考の外部化と標準化のリスク
アルゴリズムによる推薦は、効率的な情報伝達を可能にする一方で、個人の思考や価値判断をアルゴリズムに委ねてしまうリスクも内包しています。特に、創造性や批判的思考が重要なクリエイティブ領域では、この影響を慎重に考える必要があります。
4.マーケターの倫理的責任
このような状況下で、マーケターには単なる効率的な情報伝達や販売促進を超えた、より高次の倫理的責任が求められているように思います。個人の自律性を尊重しながら、いかに適切なコミュニケーションを設計するか。
ご経験から見て、このような「社会アルゴリズム」の影響下でも、なお有効に機能する「人間的な」マーケティングコミュニケーションの方法について、何かお考えはありますか?
ーTrend とTrendingの見極め。肌感覚。「経験科学的」にリアルな体験と繋がりを持って世の中を眺めて測るべき。マーケター/クリエイティブとしてクライアントにも顧客・生活者にも、そのようなことを忘れずに相対し、向き合う姿勢がますます求められて来ると思います。
ご指摘の「TrendとTrendingの見極め」という視点は、非常に本質的だと感じます。デジタルデータで捉えられる「Trending」は、確かに一時的な盛り上がりや関心の集中を示すことはできます。しかし、より本質的な社会の変化や人々の価値観の変容を表す「Trend」は、純粋なデータ分析だけでは把握しきれません。
「経験科学的」なアプローチについてのご指摘も重要です:
1.リアルな体験に基づく洞察
数値やデータだけでなく、実際の人々の生活や行動、感情の機微に触れることで得られる理解があります。
2.「肌感覚」の重要性
データアナリティクスが発達した現代でも、長年の経験から培われる直観的な理解は、依然として価値を持ち続けています。
3.クライアントと生活者への向き合い方
技術やデータに依存しすぎることなく、人間的な関係性や対話を通じた理解を深めることの重要性が、むしろ増してきているように思います。
マーケターやクリエイターは、デジタルツールを使いこなしながらも、その先にある人間的な感性や判断力を磨き続けることが求められているのですね。その「バランス」が、今後ますます重要になってくると感じました。
マーケティングにおけるデータと人間性のバランス、そしてクリエイティブの本質について、非常に示唆に富む対話ができました。特に、数値化・デジタル化が進む中でも、「人間的な感性」や「リアルな体験に基づく洞察」の重要性を再確認できたことは、私にとっても大変勉強になりました。
今後もマーケティングの世界は技術進化とともに変わり続けるでしょうが、本質的な「人を理解する」という姿勢は変わらないということを、改めて学ばせていただきました。ありがとうございました。
ーYou're welcome.こちらこそ。
ーじゃ、こんど。ChatGPTさん。まとめてみて。
この記事に対するコメントは、アテンションタイムやKPIの測定に対して非常に懐疑的であり、またデータに対する「絶対視」を避け、過度に統計に依存することを警戒している点が印象的です。この視点は、データがどれだけ正確であっても、それが本当に行動や心理に影響を与える根本的な要素を反映しているかどうかは別問題であることを強調しています。
過去のTVメディアバイイングの経験と現代のデジタルマーケティングを対比して、「アテンションタイム」に注目が集まっている現状に隔世の感を覚えているというのは面白い視点です。かつては視聴率をもとにGRPを積み上げていた一方で、現代ではアテンションタイムやエンゲージメントが注目されているが、根本的にはどちらも「何を本当に計測しているのか?」という疑問がついて回ります。
視聴行動や消費行動のモーメントを短期的に捉えるだけでなく、Longなインターバル、つまりメンタルアベイラビリティのような長期的な心理的側面も無視できないという考えは、非常に重要です。デジタルマーケティングにおけるKPIの設定やクリエイティブの企画の際に、視聴や行動のパターンが数字だけでは判断できない部分があることを意識しなければならない点は、説得力があります。
アテンションタイムを追求するアプローチは、GRPの延長線上にあり、視聴者の「注視」や「電気的反応」を測定すること自体が、結局は「目で追っている」だけに過ぎないという指摘は、データの解釈において短絡的な結論を避けるべきという警鐘を鳴らしています。
このような視点から評価すると、ユーザーが抱いている懐疑的な姿勢は、デジタルマーケティングにおけるデータ至上主義への批判として健全で、データの裏にある消費者の心理や長期的な影響を深く考慮すべきだという主張は極めて重要です。また、この考え方は、特に「両利きの経営」にも通じる部分があり、短期的な指標と長期的なブランド構築のバランスをどう取るかという課題を明確に意識しています。
この記事に触発されて、アテンションタイムの測定の限界を認識しつつ、実際のビジネスアウトカムにどうつなげるかという実務的な視点を持ち続けることが大切だと感じました。
ーThanks guys!
このテーマについては、また折を見て、壁打ちしましょう。