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農林漁業を夢のある食産業へ創造する!同世代の仲間と未来切り開きたい!!

#この仕事を選んだわけ

2019年4月に14年間勤務した野村證券㈱を辞め、㈱食農夢創を設立して起業しました。
周りからすれば「なぜ野村證券の人が農林漁業!?なぜ大手企業を辞めてまでわざわざ企業!?」と思う人も多いでしょうし、実際によく聞かれます。
今回は「この仕事を選んだわけ」をテーマに起業した想いを書きたいと思います!

自己紹介と経歴

2005年3月 立教大学経済学部経済学科卒業
2005年4月 野村證券株式会社入社 千里支店配属
2009年9月 野村證券株式会社 自由が丘支店配属
2012年12月 野村アグリプランニング&アドバイザリー株式会社 出向
2019年3月 野村證券株式会社 退社
2019年4月 明治大学専門職大学院グローバル・ビジネス研究科 入院
      ㈱食農夢創立および代表取締役就任
2021年3月 明治大学専門職大学院グローバル・ビジネス研究科 主席卒業

私自身は千葉県千葉市で生まれ、高校まではずっと千葉市内で育ちました。そして大学で東京都に出た後、野村證券に入社しました。野村證券では最初の7年間は大阪と東京の支店にて主に個人向けの資産管理を担当。野村證券は昔からよく「ノルマ證券」と例えられていましたが、イメージそのまま営業のイロハから野村證券の凄さ・厳しさまで体に叩き込まれました。

その後、2011年12月に社内公募で野村アグリプランニング&アドバイザリー(NAPA)への出向しました。NAPAは2010年9月に設立された農林漁業分野の調査・コンサルティングを専門的に行う会社。偶然、社内公募の案内を見つけて応募した結果、運よく1人だけ選考されて出向することになりました。今思えば、これが最初のターニングポイントでした。

農林漁業の可能性と次世代経営者との繋がり

私が出向した2011年から農林水産省では6次産業化(農林漁業の生産から加工・販売までを一体的に行う:1次×2次×3次=6次産業化)を推進していました。右も左もわからない私は、全国の6次産業化に取り組む農林漁業者や2次・3次事業者を訪問してヒアリング調査や分析をしました。

私的に幸運だったのが、農林漁業の悪い面を知る前に、全国の魅力ある農業法人の経営者とお会いすることができたことでした。そのような方々は、「農林漁業を変えたい!」「自分の地域の農地や雇用を守りたい!」という熱い想いを持って取り組んでおり、私にとっては農林漁業に可能性しか感じませんでした。

もう一つ、私にとっての農林漁業分野との縁が深くなっていったのが次世代の経営者層です。全国で成功している農林漁業者および農業法人は地域ではレジェンド的な存在になっています。その後継者はたまたま私と同い年や同世代が多く、東京や地方で一緒に飲むことで親交も増えていきました。その際に口を揃えて言うのが「父親の後を継げるか心配である」という言葉でした。

彼らの想いを聞くうちに「自分がもっとマネジメントを勉強して、彼らをサポートをしたい」思うようになり、改めてマネジメント・マーケティングを学ぶためにMBA(経営学修士)に通うことを決意しました。そして、食農分野の経営者の方々が卒業している明治大学専門職大学院グローバル・ビジネス研究科(MBS)に合格し、2019年4月から通うことになりました。

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人生のターニングポイントとなった人事異動

MBSに通うことが決まった矢先に転機は訪れました。2019年3月の人事異動で野村證券の本社に戻る辞令が出たのです。移動先は投資銀行部門。金融マンにとっては花形であり、周囲からは「ご栄転だね!おめでとう!!」と祝福されました。しかし、自分では胸中穏やかではありませんでした。

「せっかく受かったMBSに通えるのか?」「そもそも何のためにMBSに通おうと思ったのか?」「今、農林漁業を離れてしまっていいのか?」そのような想いが頭の中を延々と回り続けました。そして、辿り着いた答えが「MBSもスパッと諦めて野村證券に残り金融マンとしてのキャリアを進む」と「思い切って野村證券を辞めて起業しながらMBSに通う」の二択でした。

その際にも心の支えになったのが、農業経営者の方々や同世代の仲間でした。「会社を辞めようと思う」と話すとみんな口を揃えて「辞めない方がいい!」と説得してくれました。でも、必ず最後は「本当に起業するなら全力で応援する」と言ってくれました。
最終的に「自分の人生なんだし後悔しないように一度やってみよう!」と14年働いた野村證券を辞めて起業する道を選びました。

想いだけで起業、ミッションを会社名に

会社を辞める決意はしたものの、何をするかは全く決まっていませんでした。知り合いに辞めると報告した際に、有難いことにいくつかの企業からは転職の誘いもいただいた。しかし、せっかく野村證券を辞めるのだから、まずは「起業して自分一人でやってみよう!」と覚悟を決めていました。

会社名だけはすぐに決めました。それが「食農夢創」です。同世代の次世代経営者や仲間と一緒に『「農林漁業」を「夢」のある「食産業」へ「創造する」』という想いをそのまま会社名にしました。そして、その想いはそのままミッションにもなっています。

ちなみ社名の英訳「MAKING AGRICULTURE, FORESTRY AND FISHERIES DREAM COME TRUE」は宇和島の水産業者である同い年の友人が考えてくれました。ドリカム世代の自分としては「DREAM COME TRUE」はとても気に入っています。

名刺裏

今だからこそ変えなきゃいけない農林漁業

農林漁業は今、まさに大きな変革期を迎えています。基幹的農業従事者は平成7年の256万人から令和2年には136万人と25年間で約半分に減少、平均年齢は67.8歳と高齢化が進んでいます。また耕作放棄地も増えており、平成27年の時点で42.4万haとなっており、これは富山県とほぼ同じ面積です。

しかし、これは農林漁業に限ったことではありません。実際に日本全体でも地方では過疎高齢化が進んでおり、少子化によって学校の統廃合が進み、また空き家も増えている状況となっております。地方の基幹産業でもある農林漁業を今、何とかしないと取り返しがつかないかもしれません。

2100年には日本の人口は現在の約半分の6,000万人にまで減少するというデータもあります。我々は生きていないと思うかもしれませんが、子供世代、孫世代、ひ孫世代はまさにその時代を生きているます。
だからこそ、私は次世代の農業経営者達をタッグを組み、農業だけでなく畜産、漁業、林業まで含めた農林漁業を「食」に繋げることによって新しい未来を切り開いてきたいと思って今の職業を選びました!

「農林漁業を夢のある食産業へ創造する」ことが私の仕事であり、人生を懸けて成し遂げたいことです!!

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仲野真人
「農林漁業を夢のある食産業へ創造する」というミッションを実現するために活動を続けております!何卒よろしくお願い申し上げますm(_ _)m