時代の風潮を伝えるニュース V.3.1
第1話 米国脳ではなく韓国脳
週刊文春 2024年10月17日号
「部下に対し『殺すぞ !』と怒鳴ったり、物を投げつける癖のある県警察本部長が更迭された。」
この本部長に、やはり「殺すぞ!」と怒鳴られた部下の女性警視(50歳)が、その翌日「suicide」という記事を読み、数年前に起きた「ある韓国系大手広告代理店で、東大出の女性職員が、やはりsuicide」という事件を思い出しました。
***「火病」というのは、韓民族特有の情緒由来の感情や激しいストレスを抑えきれないという疾病。かつては韓国人中年女性の病気と言われていたが、若年層の比率が上昇している。
韓国人のみならず、韓国人の血が混ざった人間の多い日本人にも多く見られる。怒りの矛先は女子供・お年寄り・病人といった弱い者へ向けられ、執拗な虐めが果ては殺人にまで発展することも多い(大阪池田小学校に闖入して小学生5人を出刃包丁で刺し殺した在日韓国人宅間死刑囚。神奈川県相模原市の養老院で老人19人を殺した在日韓国人。米国では2007年、バージニア工科大学銃乱射事件で33名を殺害した在米韓国人)。
自分よりも強い者・苦手な相手に対しては、いたずら的な各種嫌がらせから、相手の物を盗んだり隠したり、陰口・誹謗中傷で相手を貶めるという手口が常道。
「平栗大辞典」より***
15年前、埼玉県警の警察官(在日韓国人)が、自分を振った元彼女を警察官所持の拳銃で滅多撃ちにして殺害したというニュースがありました。 今回の文春の記事は、韓国脳禍が、いよいよ政治・経済・マスコミ・警察といった日本社会の中枢(いち警察官レベルではなくトップクラス)にまで蔓延してきたという風潮を伝えてくれる記事です。
今回の文春の記事とは、週刊誌の記事的「問題追及」ではなく、「問題提起」でさえもない。単に、ここ半年間における、問題となった警察本部長の狂気染みた人間性を幾つかの事実によって短くまとめたものですが、少なくとも「今の日本社会が抱える根本的な問題・暗黒面」を世間に知らしめた、という点では、週刊誌としての本来の役割を(最近の週刊誌にしては珍しく)果たした、といえるでしょう。
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ここ20年ばかりの日本の全国紙や週刊誌・月刊誌は、どれも韓国脳的な、ひと言で言えば「読むと、こちらの頭までおかしくなりそうな」記事ばかり。
40年前くらいまでは、米国流合理主義とかリベラリズム(自由主義)に洗脳された記事が多く、韓国脳に比べればまだ論理的で知的な記事が見られたのですが、最近は「韓国脳流米国脳」ともいうべき、ますます歪んだ(精神を病んだ)記事ばかり。
書いている人間が在来種純粋日本人脳ではなく韓国脳だから、題名ばかり立派で中身はゼロ、どころか害のある記事が多い(という私の印象)。
○ 記事の題名と内容がかみ合わない・意味がわからない。
○ 物事の見方が軽薄で表層ばかり捉えているから、読者にミスリード(誤った方向に導くこと。誤解させること)を与える。
新聞・週刊誌・月刊誌の記者や幹部までもが韓国脳化しているから、ではないだろうか。
東大を始め、日本の有名私立大学にある「韓国人枠(無試験・無卒業論文)」出身者が、ここ数十年の間に累積してきた結果でしょう。(40年前に東大の元教授という方からお伺いした話。)
第2話 韓国脳とは
韓国人に多い「感性」「ものの考え方」「行動パターン」ですが、最近は、在来種純粋日本人でも韓国脳に冒された人がたくさんいるようです。
ひと言で言えば、「月刊HANADAの『隣国のかたち』室谷克実氏・連載」に描かれた韓国人の生態そのもの。
(この著者は慶應大学ご出身で、且つ韓国語の《更には中国語?も》堪能な方ですから、(在日)韓国人以上に韓国人というものをよく知っていらっしゃるようです。『隣国のかたち』が本になったらぜひ買いたいと思うのですが、人間に備わる悪い実例ばかりが書かれた本を買って一体何の役に立つのだろうか、と考えると少し躊躇します。)
○ 精神分裂病的体質
2000年にわたる中国支配(植民地 → 隷属国)の歴史によって、国家としてのみならず一人一人の人間としても、精神的に統一性がなくなってしまった。
【朝鮮半島の統治国の歴史】
紀元前108年~220年:漢(植民地)
221年~245年:魏(植民地)
108年~313年:晋(植民地)
314年~676年:晋宋梁陳隋唐(属国)
690年~900年:渤海(属国)
1126年~1234年:金(属国)
1259年~1356年:モンゴル(属国)
1392年~1637年:明(属国)
1637年~1897年:清(属国)
1897年:下関条約により清の属国から開放される1903年:ロシア朝鮮半島を南下。日本の尽力によりロシアの属国化を回避
1905年~1910年:日本(保護国)
1909年:早期併合に慎重であった伊藤博文内閣総理大臣が安 重根(アン・ジュングン)に暗殺される。
1910年~1945年:日本(併合)
1945年~1948年:アメリカ(非独立)
1948年:大韓民国成立(アメリカ軍による朝鮮統治によって国家基盤が形成され成立)
1948年:軍事独裁政権誕生
(出典 : URL:http://ccce.web.fc2.com/si/dependency.htm)
漢の時代から魏・晋の時代までの数百年間は、まだ南朝鮮に生産するものがあったので、植民地として収奪されていたのだが、それ以後はやる気がなくなったのでしょう、無気力・無意志・無感動のロボット人間となり、その結果、隷属国に格下げされた。
中国の歴代王朝に対して無抵抗であれば、隷属国家として安全保障下に置かれ、更には食料や生活必需品は中国から支給されたので、その境遇に甘えたということなのだろう。
豊臣秀吉の朝鮮征伐とは、奴隷国家・朝鮮ではなく、豊かな国家である明が目当てであった。
中国の清代、日本が朝鮮半島に出兵したのは、ロシアの南下を食い止めるためでした。当時、韓国統監であった伊藤博文が「朝鮮半島などロシアにくれてやれ」と叫んだほど、日本にとっては何の魅力もない地域だったのです。
ですから、昭和の時代に入ると、日本は南朝鮮など見向きもせず満鉄(満州鉄道)というアジアで最高のシンクタンクを設立し、南朝鮮に比べて何十倍もの資金を投入して現在の北朝鮮や満州、そして中国に進出(侵略していった)のです。
当時、日本占領下のハルピン(中国黒竜江省の省都。松花江の南岸に沿う東北地区北部の中心都市で、交通の要衝)市街では、水洗便所が完備されていたといいます。
紀元前108年から1948年までの2000年間、漢・魏・晋・宋・梁・隋・唐・渤海・金・モンゴル・明・清・ロシア・日本・アメリカの支配下にあった地域・民族というのも珍しい。
つまり、南朝鮮人(韓国人)のDNAには10数種類の血が混じっている。コンピューターでいえば10数個のOSが混在している、ということ。
ある王朝や民族だけの植民地とか隷属下にあれば、その民族や国家の考え方や生活様式で生きなければならないし、「ボクたちはあなたたち宗主国に対して無害な人間です」と、バカのフリをすることで、苦労して働かなくても最低限の生活は保障された(現在の日本で、生活保護を受給されている在日韓国人家庭が非常に多いという事実には、そういう民族性が背景にあるのでしょう)。
かつての日本のように、爆弾を抱えて特攻機で米国艦隊に突っ込むとか、現在のパレスチナのように、自分たちの地と国家を守るため、死に物狂いになって戦うよりも「賢い」と、彼らは主張するでしょうが、そんな「要領のいい生き方」なんて、人間としては尊敬されないだろう。
まあ、尊敬なんか要らない、カネと物、権力や利権さえ手に入ればそれで幸せ、という生き方は、在来種純粋日本人にも感染してきていますが。
第3話 開かれたパンドラの箱
2000年間にも及ぶ奴隷生活から解放され、1948年にいきなり「独立国家」なんぞになってしまったから、東アジアは大混乱。
いわばパンドラの箱が開けられてしまったようなもの。
彼ら南朝鮮人(韓国人)とは、その精神の内部(DNA)に存在する10数個のOSの相克(両者が互いに勝とうとして相争うこと)によって、常に精神的に不安定な状態にある人間であることは間違いない(火病)。
10数個の民族や王朝のうち、ひとつの民族・王朝の支配下にあれば問題はなかった。その時時の支配者の言う通り、奴隷として隷属していればよかったのですから。
ところが、1948年に完全に自由が与えられた南朝鮮人(韓国人)は、彼ら一人一人が自分の感性で感じ、自分の頭で考えて行動しなければならなくなってしまった。2000年間、支配者のいう通りに生きていればよかったのに、今度は自分で自分の(社会的・精神的な)居場所を作らねばならなくなってしまったのです。
アマゾンの原住民が、いきなりニューヨーク・マンハッタンのど真ん中で生活することになったようなもの。ただ、アマゾンの原住民なら、何千年も何万年も自分(たち)の支配者は自分(たち)であったし、大自然の脅威(旱魃・水害・台風)や猛獣、毒蛇との戦いなどで精神面が鍛えられているから、様々な問題に対応できる。
ところが、2000年間の韓国人とは、いわば動物園の檻の中で生まれ育った猿やライオンのような生き物と同じで、食う・寝る(セックス)は本能で機能できるが、社会的な生活というのは全くわからない。
しかも、10数回も動物園(飼育係)が変わり、そのたびに違う生き方を強制されてきたので、どの生き方をしたら良いのか、頭の中は混乱するばかり。これが、彼ら韓国人に発生する異常なほどのフラストレーション禍の深層原因であり、火病という怒り爆発における最大原因なのです。
更に、油田で発生した火災をニトログリセリンの爆発力で消そうとする(仏映画「恐怖の報酬」)かのように、キムチをはじめとする「辛み」で怒りの病状を抑えようとしても、それはいわゆる対処療法であり、根本的な治療にはならない。しかも、麻薬中毒のように、ますます辛いものを求めるようになるだけ。
インドのカレーやメキシコのハラペーニョという辛みは、暑い国での暑気払いとしての、いわば気付け薬であって、超辛キムチで真っ赤になった白飯を常食するなんて、度を越している。60年前の日本では「辛いものばかり食べるとバカになる」と言われたものです。
また、猿やライオンといった野生の動物には本能があるといっても、2000年間も動物園の檻の中で生活してきたら、ジャングルという様々な動物たちとの共生社会で生きるための社交性というか動物性まで失っているかもしれない。
豊臣秀吉が攻めてきたといえば明に救援を求め、ロシアが南下してきたといえば日本に助けを求め、北朝鮮が攻めてきた(朝鮮戦争)といえばアメリカに全面的に助けてもらう。大変だ、大変だ、と騒いでいれば支配者(親分)がなんとかしてくれる。
10数年前に北朝鮮のミサイルが問題となった時、在韓米軍は48時間以内に数万人の在韓米軍とその家族を日本・ハワイ・グアムに避難させる態勢ができた、と報道されると、韓国中から「オレたち韓国人はどうなるんだ」という怨嗟の声がSNS上に満ちあふれた。
韓国政府がワクチンを打てと指示しても、そんな危ないもの打てるか、と知らんぷりするくせに、カネやモノや軍事的な危険が迫ると、韓国政府ではなくその上に存在する真の支配者に縋(すが)ろうとする、というのはなかなか大したものです。
バカのフリをしながら、いざとなると真に自分を助けてくれる存在を嗅ぎ当てて、なりふり構わずそれにしがみつくというのが、彼ら韓国人の民族性なのでしょう。
2000年前はいざ知らず、ここ2000年間はそういう、国防(軍事)も経済も政治も、そして、個人間のやり取りに関しても、悪い意味での「無私(私心のないこと)の精神」で何事もやり過ごしてきた(自分で問題解決せず他人に依存してきた)民族であり、その精神を体現しているのが韓国脳人間であり、そんな彼らがいきなり自分一人で生きろ、ということになって混乱し、右往左往しているのが現在の韓国。
そして、日本という宗主国に移り住むことで、政治・経済・軍事すべてを日本人にお任せして安穏と生きてきたのが在日韓国人というわけです。つまり、韓国人として与えられた問題をすべて日本という国と人間に丸投げして、その苦悩を逃れたのです。
だからこそ、韓国に残された韓国人は在日韓国人を恨み、現在の在日韓国人は(韓国人に対して)その恩返しをしなければならない立場にあるのでしょう。
しかし、何もかも自分の頭で考えたことのない・生産性ということを全く知らずに戦後から今までの80年間を過ごしてこれた在日韓国人が、いまや政治・軍事・経済・マスコミ・警察といった日本社会の中枢の上層部へ湧き出てきたが為に、これからの日本は更に輪をかけたような大混乱(パンドラの箱禍)に陥ろうとしているわけです。
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その意味では、私の大学時代のOBでいらした在日韓国人の方は、全くの非韓国脳でした。芯がしっかりしているから、言動に統一性・一貫性がある。
話せば長くなりますが、早い話、死ぬか生きるかという一戦・一線を、ケンカでも仕事でも体験されてきたが故に、一般の(在日)韓国人とは全く違う存在感がある。
もちろん、昔の体育会ですから、後輩にヤキを入れたりといった暴力的な面はおありであったようですが、感情の赴くままにということではなく、体育会のポリシーとして、人間(男)としてのあり方を少しでもはずれれば制裁を加える、といった意味合いがあったのではないか、と私は思います。
パンドラの箱
ゼウスがパンドラに、あらゆる災いを封じ込めて人間界に持たせてよこした小箱または壺。これを開いたため不幸が飛びだしたが、急いで蓋をしたため希望だけが残ったという。
第4話 あなたの隣りの韓国脳
もはや、止めようのないほど日本社会に広がっている韓国脳禍。
坂口安吾の「堕落論」ではありませんが、日本人はいっそこの際、この禍(わざわい)を徹底的に受け入れ・行き着くところまで行かせることで、逆に好機として反転させるべきではないでしょうか。
私たち在来種純粋日本人が、韓国脳化に反比例して、より在来種純粋日本人化して行けば、行き着いたところで生き残ることができるのですから。
古人曰く。
「不正を行う者には、なお不正を行わせ、汚れた者は、なお汚れるままにしておけ。正しい者には、なお正しいことを行わせ、聖なる者は、なお聖なる者とならせよ。」と。
で、私平栗雅人は、日々、少しでも自分の内なる在来種純粋日本人に近づくために(その為の)正しいことばかり考え・言い(本を書き)・自分自身で行動する。イスラム教徒の如く、神(真理)に忠実な生活に精進する(一所懸命に努力する)。
○ 毎朝、太陽に感謝し
○ なるべく健康的なものを食べ
○ 真実を追究する心
○ 歯をよく磨き、沐浴し
○ 大きな声で歌を歌い
と、何ら生産的なことは行っていないという点で、インドのヨガの修行者に近いのかもしれません。商社時代、狂ったように売り上げ・利益・市場開拓と驀進(ばくしん・邁進)した5年間でしたが、そのエネルギーを、今は内に向けている、と言ってはカッコつけすぎか。
イスラム教徒は「アラーの神」という絶対神に絶対服従であり、日に5回の五体投地、酒も煙草もややらないというくらい厳しい修行を毎日されているようですが、私は八百万(やおよろず)の神を信奉する在来種純粋日本人ですから、至ってお気楽・極楽。誰もいない空き地で思いっきり大きな声で歌を歌う時だけ、まあ、真剣と言えるのかもしれません。
第5話 恐いのは韓国脳人間ではない
無意識に・徐々に韓国脳化しているあなた自身を見つめ・対処するべき。
<引用開始>
「私は今どこにあるのと、踏みしめた足跡(あしあと)を何度も見つめ返す・・・」
いきものがかり 『YELL』
<引用終わり>
自分がどこまで韓国脳化しているのか
自分の中の在来種純粋日本人(縄文人性)に目覚める。
それをどんどん励起し・磨き、その力で誰にでも多少は存在する韓国脳性をはじき出す。
まあ、これは私の個人的な思い込みであり、一般論にはならないかもしれませんが、在来種純粋日本人の血が濃い人であれば、50~60歳になった時、参考になるかもしれません。
そこへ至るアプローチは人それぞれとはいえ、(精神的な)最後の血の一滴こそが、その人の素数(本性)と考え、それを(生涯)求める、ということ。
解き、また結ぶ
水の入ったコップの中に垂らした一滴のインクは拡散し、薄まっていく。そして、水がすべて蒸発すると、もとの一滴のインクに戻る。○ そこへ至るアプローチ・濃淡の度合いは人それぞれとはいえ、(精神的な)最後の血の一滴こそが、その人の素数(本性)といえるでしょう。
私の場合、
○ 大学日本拳法でバンバン殴り合いをしたこと
殴られないことばかり考えないで、どんどん前へ出て相打ち勝負する。日本拳法のズシンという頭への振動が一番の妙薬(ショック療法)であった(と、今にして思います)。
大学時代に、ある程度ぶん殴られていたので、その約40年後(還暦)、遠い記憶に目覚めたのだと思います。
○ 「日本昔話」や、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が日本各地の古老から聞き出した様々な昔話(新潮文庫等)に、60歳を過ぎてから「懐かしみ」を感じる。
○ やはり還暦をすぎて「浅草博徒一代」佐賀純一 のような、在来種純粋日本人の自伝に感動する。
○ 広沢寅造や三門博といった名浪曲家の演目を味わうことができる自分に満足する。
○ 聞くだけでなく、自分のお気に入りの在来種純粋日本人的なる歌をえらび、毎日口ずさむ(できれば大きな声で歌う)ことで、歌の心と一体化するような気になる。死んで魂だけになった時でも歌えるくらい、魂に染みこませる、という感覚。
→ 私の場合、いま魂に染みこませているのは、いきものがかり「YELL」と、大滝詠一「君は天然色」の2曲。
○ 還暦を迎えた年、たまたま三内丸山古墳のような縄文遺跡を訪れ、自分が在来種純粋日本人(縄文人)である、と確信できた。
○ 芥川龍之介や北村透谷ら、聖書によって神の目線を体得した作家たちの小説や評論や、ポーラ・アンダーウッド「1万年の旅路」、紀伊國屋書店発行「インディアンの言葉」等、アメリカン・インディアンの精神世界(大自然との一体感覚)によって、在来種純粋日本人脳が強化され、韓国脳化されにくくなる。
○ 人間くさい仏教や天皇教(いま生きている人間を現人神・あらひとがみ、と崇める)よりも、キリスト教やイスラム教のような、目に見えない神の存在を自覚できる自分を、自分で鍛え上げようとする宗教の方がmake sense(reasonable.に感じる・納得できる)。
(ユダヤ教の場合、自分《たち》を神と考えるほどの傲慢さが感じられて、日本人の私には馴染めません)
江田島海軍兵学校 五省
一、至誠に悖(もと)る勿かりしか ( ピュアでストレートな心で、ものごとに取り組めたか)
一、言行に恥づる勿かりしか (言葉と行動で恥じることはなかったか)
一、気力に缼(か)くる勿かりしか (ファイティング・スピリッツは十分だったか)
一、努力に憾(うら)み勿かりしか (努力・工夫にやり残したことはなかったか)
一、不精に亘(わた)る勿かりしか (ものぐさをしなかったか)
*** 良いことを言っているのですが、日本帝国海軍末期(昭和十年代)の教条主義であって、「リベラリズムと柔軟性を重んじた、草創期の帝国海軍の伝統になじまない」という、明治期に生きた海軍軍人の批判もあったそうです。***
2024年10月15日
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2024年10月16日
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2024年10月17日
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平栗雅人