秋になれば思い出す 昇段級審査 V.2.2


第1話 百尺竿頭に一歩を進む(伝灯録)

  百尺の竿 (さお) の先に達しているが、なおその上に一歩を進もうとする。すでに努力・工夫を尽くしたうえに、さらに尽力すること。
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  昔の関東では、春(6月)のリーグ戦、9月の新人戦、そして秋(10月)のトーナメントが終われば、あとは12月のはじめに行われる全日本という個人戦を残すのみ。とはいえ、この大会は現役・OB・自衛隊から選ばれた人だけでやるお祭りのようなもので、全大学10数名の出場選手以外、ほとんどの学生にとっては後楽園ホールへ見物気分で出かけるものでした。

  つまり、当時の関東では、10月末の東日本が終われば、11月第2週の昇段級を最後に、実質的にシーズンオフとなり、その開放感から(私などは)つい気が緩み、食べ過ぎたり風邪をひいたりしたものです。
  5年生の私にしてみれば、春のリーグ戦だけでお役御免のはずが、夏合宿や東日本まで出場させられていたので「これでようやく終わった」という安堵感は4年生以上でした。

  段位に関しては、卒業時に初段を取っておけばいい、という程度の考えであり、前年になんとか初段になっていたので、もはやそれ以上前へ進む気持ちなど全くなかったのです。
  部室で4年生生たちが下級生に「さあ、今度は昇段級だ。」なんて言うのを(タバコを吸いながら)他人事のように聞いていた私に、しかし、キャプテンの中村がこう言うのです。
  「先輩、2段受けられたらどうですか。絶対に受かるんですから、受験しないなんて、もったいないですよ。」と。
  中村という男は純朴な福島県人でありながらが、ちょっとクセのある人間ですから、どうせ「初段で何度も落ちたオレが、2段でも不合格になるのを見て笑い物にしようと思っているんだろう。」なんて思った私は「まあ、オレは初段で十分さ。」と、適当に受け流していました。
  そもそも5年生での一年間というのは、1年生時の休学の埋め合わせと、5年になってからの米国逃亡に対するcompensaition(補償・賠償・罪滅ぼし)として、消化試合的にやってきた私です(もっとも、練習や公式戦での殴り合いの一瞬には超真剣にやっていましたが)。 「おまけで生きたこの一年、なにを今さら昇段級」なんです。

  ところが、ほかの4年生たちまでもが「そうですよ、絶対受けるべきですよ」と、異口同音に勧めます。熊本県人らしい、正直で澄みきった目の小松や、茨城キリスト教学院なんて、看板からして正直者ばかりの高校出身である安本(キリスト教徒ではない)の真剣な勧誘に、ついその気になり「ううん、じゃあひとつ受けてみるかな。」なんて、いい加減な返事をしてしまいました。

  元同期の杉山(法学部)が、その昔言うには、柔剣道・空手で段位を持つ者は、ナイフや日本刀といった凶器を所持していると見なされると刑法第7条にあり、運転免許証や英検なんていう「資格」とは性格が異なるのだ、と。
  実際、新宿でトラブルに巻き込まれた時も、たまたま駆けつけた警官に「僕はまだ3級です」と言ったところ、「なんだ、白帯か」とバカにされましたが、おかげで相手をボコボコにしたにも関わらず、放免となりました。もし、あの時、初段でも持っていたら「ちょっと署まで」となったかもしれません。警察署に新聞記者がいたりすれば、そしてその日のネタが無ければ・・・。
  「現実を追求する」のが大学日本拳法。毎日(防具をつけて)殴り合いをしていますから「多少殴られても平気。逆に、死ぬほど痛い現実的なパンチをぶち込む」ことさえできればいいのです。
  ビジネスや一般的な人との付き合いに於いても、下手に2段だの3段だのを持っていると、周囲の人はあなたという人間を本当に理解するまで、率直な意見を言ってくれないかもしれない。拳法○段という肩書きが邪魔をして、あなたの心に踏み込むことを躊躇するかもしれない。また、自分自身、変な自信というか自意識が強くなって、人間関係において謙虚な姿勢を保つことができなくなる恐れがある。その意味では、一級か初段で少し自信がない、くらいの方が社会で生きるにはちょうど良いのかもしれません。

  もちろん、昇段級を目標にし・励みにすることで毎日の辛い練習をいろいろ工夫しながら頑張る、単調な日々にメリハリをつける、という意味では非常に大切なことです。

  大学日本拳法究極の徳(身についた品性・そのものに備わっている能力・はたらき)とは、肉体的以上「精神的に殴られ強い」に尽きる。しかも、ボクシングにおける「殴る・殴られる」ではなく、その一発の価値が「審判という神の目線によって決定されるもの、という意識が持てる」点にある。会社員時代、上智卒の先輩に言われた「be modest、神の味噌汁(神のみぞ知る)」とは、これに通じると思います。
  「大学日本拳法の価値」とは人それぞれでしょうが、私は大学卒業後40年間で、そういう結論に達しました。

第2話 形のお披露目

  2段の形は2人でやるので、副将で既に2段であった安本が相手をしてくれることになりました。しかし、子供の時から勉強とか学習というものが嫌いな私は、順番さえ覚えればいいや、ということで、2回ほど練習してやめてしまいました。

  形審査の前日、最終お披露目ということで、皆の前で受験者が形を披露しました。1・2・3年生に対し、4年生たちが講評するのですが、みなビシッと決まった形を見せるので「よし ! 全員合格だ !!」なんて、意気が上がります。
  私はお披露目なんかしなかったのですが、横目で私の形を見ていたキャプテンの中村は、あれだけ「絶対受かります」「楽勝ですよ」なんて、おだて上げていたのに「まあ、当たって砕けろですね。」なんて、つれない言葉(検定料払ってしまったのに)。
  他の4年生も、5年生の私には誰もアドバイスなんかできない。まるで「裸の王様」状態の私は、さしたる危機感も緊張感もなく「なんとかなるだろう」なんて、のんびり気分で形審査を迎えたのです。

第3話 形審査

  当時の昇段級審査の会場は、文京区の富坂警察署道場、明治大学和泉校舎、そして、今回は五反田の立正大学でした。

  会場でいきなり「審査員は我が校のOBであるI先輩」(と法政大学OBのM氏 → I先輩と同じく全日本出場経験者)ということを知らされ、皆緊張します。受験しないキャプテン中村まで「みんな、みっともない形なんかやると先輩にぶっ飛ばされるぞ! (指導不足で4年生まで怒られる)」なんて、気合いが入ります。

  なんだか、自分が言われているような気がしましたが、根が楽天家の私ですから、下級生たちの不安と心配をよそに、至ってお気楽。帰りは新宿の地球座で3本500円のエロ映画でも観ていこうかな、なんて会場の外でタバコを吹かし、一人順番を待っていました。

  I先輩はお住まいが五反田から地下鉄で20分ほどの「馬込」ですので、それで声がかかったようです。私が1年生の夏休み一ヶ月間、先輩(の実家)の工場へ行くために毎日電車を乗り換えた駅が五反田でした。その思い出の場所と、5年生で(日本拳法部として)最後に訪れた場所が同じ。しかも、夏休みに毎日工場でお会いしていた先輩と、最後の昇段級審査で再びお会いするというのは、何か因縁のようなものを感じます。

  あの昇段級審査の日から40年以上も経った今、これを書いていて、初めてそれに気がつきました。「思い出を文章にする」ことで、今まで全く考えもしなかったことに気づかされたのです。
  私がI先輩と来世で再びお目にかかるであろう(あんまり会いたくないのですが)という、ぼんやりとした気持ちになるのは、この「五反田での因縁(運命的なつながり)」が、私の意識に働きかけていたから、かもしれません。
  まこと文章を書くという行為は、ある出来事の位相を変えて見ることを可能にしてくれる。これは人間だけに与えられた、特異な自己認識法であると感じます。

2024年11月7日
V.1.1
平栗雅人

第4話 「手を拍てば下女は茶を汲む鳥は立つ、魚寄り來る猿澤の池」

  今回は3段受験者がいないので、2段受験者7・8名で終了でしたが、私の出番は6か7番目でした。

  演技をする私と安本のすぐ近く、相撲で言えば「砂かぶり」、ストリップ劇場で言えば「かぶりつき((舞台にかぶりつくようにして見る場所の意)劇場で舞台ぎわの観客席)」の位置には、キャプテン中村を筆頭に幹部4人が座っています。
  何しろ顔だけは真剣ですが、順番さえ間違わなければいい、という志の低さがモロに行動・身振りに出て、「NHK素人のど自慢」でいえば、鐘ひとつレベルの演技。
  幹部たちに目をやると、キャプテン中村は、目に手を当て大きく口を開いて天を仰ぐ、というオーバーな仕草で自分の気持ちを表現している。正直者の副将小松の両目は点になっている。主務の槇は部活の出納帳なんかを見始める、小山(こやま)は目を閉じて寝たふりをしている。
  終わって礼をすると、私の演技に感銘を受けたのか、或いは、よくもあんなレベルで審査に臨むものだと感心した(呆れた)のか、会場はシンと静まりかえっている。
  お二人の審査員も、こころなし(こちらの気のせいか)放心状態に見える。

第5話 「煩惱が菩提となるのためしには、澁柿を見よ甘干となる」

  ここに至って万事休す。
  しかし、「殴られ強さ」が身上のこの私、礼をして頭を上げた瞬間「何をくよくよ川端柳、水の流れを見て暮らす」と、すぐに気持ちを切り替え、審査員お二人の席の後ろをゆっくりと迂回して出口へ向かおうとしました。

  するとその時、静まりかえった道場(審査会場)故、すぐ近くにいた私の耳に、こんな(小声の)会話が聞こえてきたのです。
  「Mさん、このあいだ、蒲田にいいクラブ(綺麗なお姐さんが沢山いるバー)を見つけたんです。これからどうですか。」
  「いや、今日はちょっと持ち合わせが・・・。」
  「大丈夫、先週(競)馬で当てて(軍資金は)たっぷりあるんです。タクシー飛ばして行きましょう・・・。」
 

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  翌週の火曜日、いつもは11時45分に幹部が入室するのと入れ替わりに1・2年生が防具やタオルを持って部室を出て(道場へ)いくのですが、この日に限っては、11時半頃から幹部も部室に来て、全員で主務の槇が来るのを待っています。
  40年前は、日曜日に行われた昇段級の結果は火曜日の朝、池袋にある拳法協会の事務局の前に張り出されるので、各校のマネージャーがそれを写し取って(ノートに書き込んで)から学校へ行くことになっていたのです。

  11時45分、定刻に来た槇に対し、幹部諸氏からブーイングが飛びます。「何やってんだよ、みんな結果を知りたくて待ってんだぞ !」と、小山など顔を真っ赤にして怒鳴っている。
  すると、槇君は学ランのポケットからタバコを取り出しながら「心配ないよ。全員合格だ。」なんていいながら、幹部席のひとつに座る。と、すかさず1年生がマッチを擦って火をつける。その瞬間、部室に「オーッ」という大歓声が上がる。
  キャプテンの中村が「ぜ・全員って、どういうことなんだよ? もっとちゃんと報告しろよ。」と、チラリと私を横目で見ながら問い詰める。

  深く吸ったタバコの煙をフーッと吐き出しながら、捨て鉢(やけくそ)気味に「だからだな、みんな合格 !」「ウチだけじゃない。全校・全員合格なんだよ」と槇。
  すると、副将の小松が「えーッ、○○大の奴なんか、もといを3回もやってたぞ。あれも合格か?」「2級受験の○大の奴なんか、順番間違えてキャプテンが指示を出してたぞ!」なんて、いっとき、部室は喧々ガクガクの態。
  (イエス・キリストは「自分たちの目の中にある丸太を取り除いてから、人の目の中のゴミをあげつらえ」と言いましたが、彼らは私という大御所のことをすっかり忘れているかのようです。)

  学ランを脱いで胴着に着替えながら、「明治や立教の奴ら(マネージャー)もみんな、こんなのは前代未聞だって言ってたよ。なにしろ56名の受験者全員合格だからな」。

  何にせよ、1・2年生はみな嬉しそうな顔をして、防具やタオルの入ったバッグを持って急いで道場へ向かう。
  残った幹部たち一同は「先輩、おめでとうございます。」なんて、みんな純真な奴らですから、(防具審査が残っているにもかかわらず)私の合格を無心に喜んでくれています。(5日後の防具審査は問題なく通りました。)
  単細胞の私も「渡る世間に鬼はなし、だ。」なんて、日曜日のどん底気分などすっかり忘れすっかり上機嫌、くわえタバコで胴着に着替えたのでした。

・・・

  翌年の3月、卒業式のあと、部室で行われた私たち卒業生のための歓送会に敢えて出席しなかった私は、後輩たちに対する慚愧の念が今でも残るのですが、もしあの時、部室にいたら、そしてこの時の昇段級の話が出たら、卒業という雰囲気と酒の勢いで「あの一瞬」を、話していたかもしれません。

  あれから40数年経ちましたが、「果たして、私が見聞きした光景とは夢か幻だったのか」。この思い出ばかりは、今となっては私にもよくわからないのです。

2024年11月8日
V.2.1
2024年11月11日
V.2.2 
平栗雅人


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