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チームはどうすれば強くなるのか?
コルクラボでは毎月お題(問い)が出て、班のメンバーで、話し合い、回答を出す、というものがある。
そこで話し合った内容を中心に書いていく。
チームとはなんだ?
僕らの班で出した、回答は
◯◯のために(目的・目標)…あなたは何ができますか?
っていう感じだねって話に至った。
十分条件では無いが、必要条件が挙がる。
✓めざすべき目的がある。
✓達成すべき目標がある。
✓役割がある。 など
そのために、チームメンバーの君は何ができるのか?
そういうことを問われる。
だから、中途で就活する時に、経験値…『君は今まで何を作ってきたんだ?』『君は何ができるんだ?』と問われるんだと思う。
株式会社は営利目的があり、達成すべき目標を持ちあわせているから。
目的や目標を共有していて、そこに役割があれば、メンバーは活躍できるか?
この答えは否である。
目的や目標を共有していても、役割があっても、『あの人が嫌い』とか『役割はあるんだけど、居場所は感じられない』とか『アイディアの内容ではなく、アイディアを出した私を否定してくる人がいる』とか、そう言ったことで、会社自体に興味を失った状態(本当はそうではないが)になり、役割を手放して行く人もいる。
そんな具体的なエピソードを話していると、コミュニティの話へと流れていく。
コミュニティとはなんなんだ?
コミュニティの定義はたくさんあるだろうし、アカデミックな回答はわからない。
ある意味で枠がないこと。
中心に、興味関心の対象(核)があり、そこからの距離を許す。
また、その核が一つでない場合も許す。
真ん中の核の近くで…アクティブに活動している人たちがいる。
この火に薪をくべたり、燃えすぎないように調整したりする人が居なくなると、コミュニティは単なる人の集団と化してしまうように思う。
その真ん中の核からの距離を許す、というのが、コミュニティらしさのように思う。
アクティブに活動するしている人の動きを見て楽しんでいる人たちがいてもいい。
遠くから、なんか盛り上がっているなぁって気にしている人たちがいてもいい。
時に、その核に近い人たちが、プロジェクトを担い、チームになっていくように思う。
コミュニティの中から生まれたチームは強い気がしている。
チーミングが促進されやすい気がしている。
強さとはなにか?
強さ…それは前提条件に縛られた強さでしかない。
強さは表裏一体である。
これが、班で出た回答であった。
どういうことか。
強さの必要条件というか、要素しかあがってこないのである。
例えば、目標達成が速度い。アウトプットがでかい。持続性がある。柔軟性がある…などなどだ。
達成したい目標が一人では達成できない時、人を集う。
その人たちと生きて活きて行くためには、持続性が必要である。
その人たちがみんなお金持ちになるには、アウトプットがデカイ方がいい。
時代の波に飲まれないようにはするには、柔軟性が必要である。
〇〇のためには、◯◯が強さになる
というふうに、前提となる条件があるんだろう。
強くなるには、どうすればいいのか?
上述したが、目的も目標も共有されていた、そこに役割もあるにも、かかわらずメンバーで居ることができなくなる人が存在する。
メンバーが欠けるということは、柔軟性や持続性に影響をもたらす。
チームはコミュニティの上に成り立たせる
これが強くなるために必要なことではないか?
これが、僕ら班の結論であり、仮説だ。
コミュニティはマズロー5段階欲求説の低次の欲求を満たす機能がある。
安全欲求とは
身の安全/身分の安定/他人への依存/保護された気持ち/不安・混乱からの自由/構造・秩序・法・制限…等
を言う。
コルクラボでいうところの『心理的安全安心』である。
発言しても大丈夫。
人に頼っても大丈夫。
もし、間違っていたとしても大丈夫。
過去に過ちを犯していても、今ここからやり直せばいいから、大丈夫
このような、『大丈夫だよ』っていう空気感がある。
社会的欲求(所属と愛の欲求)とは
孤独や追放された状態を避ける/根無し草で生きている状態を避ける/家族や恋人、友達、同僚、サークル仲間など共同体の一員に加わりたいと思う/
周囲から愛情深く暖かく迎えられたいと思う…等
まさに、コミュニティだ。
共同体の一員になりたいと思うのだ。
共同体の一員になるための『なじむ』ということをコルクラボではとても大切にしている。
コルクラボは、私見だが、状態志向が強い。
生理的・安全・社会的欲求が満たされる状態を作り上げることに注力している、ように思える。
そして、その中に、新しいチームとなる機能共同体が生まれたり、達成目標があるプロジェクトが生まれたりする。
低次の欲求が満たされているメンバーは、自己実現欲求にむけて動き出せるのである。
その自己実現欲求とチーム(機能共同体)の目指す達成目標にかぶりがあることが、個人の欲求を満たすには必要になる。
しかし、満たされなくても、低次の欲求は満たされている状態が維持できる。
よって、強いチームとは、コミュニティ的要素の上に、成り立つ機能共同体といえるのではないか?
ちなみに、コミュニティで低次の欲求が満たされているメンバーで、3/16.17でコルクラボ春合宿の運営を行う(11月からプロジェクトが発足し、走っている)。
なので、この仮設をもって、合宿を創って行きたいと思う。
ちなみのちなみに、組織開発やFFS・U理論を扱っている中土井遼さんが、ゲストで来てくださった会についてもnoteを書きたいと思っているが…要求があれば書こうかなぁ。
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