仕事を手放す覚悟は「自分を大切にしたい」だった。
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Q:あなたが手放したことは?(改めた考え、諦めた夢、捨てた人間関係など)
*背景/その時の気持ち/手放せた理由も聞かせてほしいな
*逆に手放せなかったことでもOKです!
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【手放した】と【手放したい】がある。
①【手放した】
手放したはなんと言っても「仕事」
コルクラボの中に、何人か退職した人がいるんだけど、その中の一人『ごんちゃん』のnoteに心を打たれた。
手放したものは「多分がんばっているということに対しての甘え」じゃないかな。
と書かれていた。
で、僕は仕事を辞めて何を手放したんだろうか。
パッと思いつくのは、明らかに安定した収入だろうな。
安定している収入を手放せた理由は、自分の体が大事!って思えたことに尽きると思う。
昔から理解できなかったことがある。
自分を大切にできない人は、人を大切にできないよ。
って言葉。
そんなことないでしょって思ってた。
そして、大切にするってなんだよ…って思ってもいた。
ただ、神奈川に来て働いた1年半は僕にとっては試練だったな…。
心身の調子がものすごく悪くなっていった。
頼れる場所は職場にはなかった。
いつも元気に楽しそうに働いてますねって言われてた(すごいなw)。
苦痛を感じていた。
それを変えたかった。
あ・・・これは変えることはできないな。
そう思った日から、学習性無力感となった。
でも、辞める決断はなかなかできなかった。
自分への期待があったからだ。
僕なら変えられる。
僕ならできる。
その一方で、悲鳴をあげる心身。
不眠・嘔吐・わかない食欲・胃痛・急に流れる涙
そして、自己否定する自分。
情けねーな。
何やってんだ、オレは。
なんのために生きているんだろう。
無価値だな。
ちゃんとしろよ。
その時の日記などを読み返すと、毎日自分を殴っているように見える。
さて、コルクラボの行動指針に「自分の安全安心を知る」「自分の言葉を紡ぐ」がある。
その練習を始めるようになってから、自分に目が向き、自分を大切に扱おうと意識するようになっていった。
その結果、手放したものが仕事だった。
手放すには、できない自分?(本当に?)を認めること、情けない自分?(本当に?)を認めることなど、勇気や時間を要した。
で、僕は今ニートである。
この時、思い出された言葉があるので、ここに記したい。
誰かの支えになろうとする人こそ一番支えを必要としています。
あ、僕のことだ…そう思えてしかたなかった。
②【手放したい】
「ちゃんと」っていう思考かな。
ちゃんとには上限がなく、何をやっても、「ちゃんと」にたどり着けなかった自分をつくることができる。
「ちゃんと」に縛られて生きてきた気がする。
休みの日はちゃんと休まなければならぬ!ってなって、遊びほうけた自分を「体を休めることができなかった!」みたいに思うし、家でグータラした日には「せっかくの休みなのに、無駄にした!」みたいに思う。自分を攻撃しがち。
ちゃんとを手放すってことよりも、ちゃんとしたいものを見極めたいってことかな。
ちゃんとをもう少し明確にする必要もあるんだろうけど、ちゃんと大切にしたいものはなんなのか?ってこと。
そのために、感情の日記をつけたり、レジリエンス探しをしたりしているって感じ。
レジリエンスに関しては最近書いた。
ちゃんとに縛られている様に感じている人やネガティブ思考の人におすすめするよ。
最後まで読んでくれてありがとう。
一旦、仕事を手放せた自分、バンザイ。
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