島根から東京へ。 東京から宇宙へ。 part3
「よし、やるぞ。」
涙で濡れた願書をパタパタ仰いで乾かして、駆け足で郵便局に行った。
「あ、これ速達でお願いします。」
「はい、かしこまりました。」
「あ、お兄さん東大受験されるんですか?」
「はい、、そうなんです。」
「すごいねぇ、頑張ってくださいね。」
何気ない一言がこの時の僕にはとても勇気をくれた。
「よし、やるぞ。」
と、心の中でつぶやき、家路についた。
家に帰り早速入試対策に取りかかる。まず試験科目を調べてみた。
試験科目は英語(TOEFL)、数学(微積、線形代数、ベクトル解析、微分方程式、フーリエ解析、複素関数)、物理(力学、熱力学、電磁気学)、小論文。
ふむふむ。科目数としてはそんなに多そうではない。と、安心したのもつかの間。
僕が受験した研究科の過去の合格体験記を見ていたら、どうやら皆さん1年前か遅くても半年前くらいから勉強を始めているようだ。
「あと3か月しかないのにヤバくね?」
希望の研究室訪問に行くもなぜか過去問の解答はもらえず、内部進学を優先して外部から入ってこようとする人には厳しいのかなと不安になった。
周りに勉強してる友達は全くおらず、みんながゴールデンウィークを楽しんでる中、一人毎日研究室で勉強した。僕の研究室はかなり広く、そんな中で勉強していると寂しさが増す。わからない問題があっても聞く人はいないし、院試の不安や焦りを一緒に話してくれる友達もいない。他に東大を受ける人もいないから僕以外の受験生がどのくらい勉強しているのかもわからない。
そんな時、僕を救ってくれたのは本の中の人たちだった。
ライト兄弟の伝記を読んだ。
あの時代、誰も空を飛べるなんて信じていなかった。周りから批判され続けても孤独に自分たちはできると信じて飛行機を作り続けた。そんな姿に勇気をもらった。
「まだまだ諦めちゃダメだ。諦めきれる夢なんて夢じゃない。」
そう言い聞かせて自分を奮い立たせた。
やがて7月になり、僕の研究室でも院試(自大)ムードが高まってきた。
今まで一人で勉強してきたのもあって、一緒に勉強できる仲間が増えるのはとても嬉しかった。
ある日、その中の一人のN君と話していた時こんな会話になった。
「院試やばくない? 全然間に合わんのやけど、」
「ほんまそれな、もう俺研究室泊まって勉強しよかな」
「まじ? じゃあ俺も一緒に泊まって勉強するわ。」
こんな感じで、院試までの約1ヶ月間研究室で寝泊まりする生活が始まった。
朝起きて勉強する。夕方になるとシャワーを浴びに帰って、また学校に来て勉強。僕はソファに、N君は床で寝袋を敷いて寝た。
実はN君とはこれまであんまりしっかり話したことがなかったが、夜寝る前に一緒にお酒を飲んで、普段できないような話をしたりして一気に仲良くなった。だから、朝から晩まで勉強は大変だったけど、一緒に頑張れる友達ができたから今までよりも辛くなかった。
小さなトラブルなんかはあったけど、なんとか院試前日までやってきた。19:30の飛行機で成田に飛び、前乗りする予定だった。研究室の仲間や友達からは「頑張れ!」「絶対合格してこいよ」と叱咤激励され、喝を入れてもらった。友達の車で広島空港まで送ってもらい、最後まで後押しをしていただいた。
車から降り、国内線のロビーへと向かう。
荷物を預け、チェックインカウンターで発券しようとスマホの画面を受付の方に見せた時だった。
ここで人生最大の悲劇が襲いかかる。
「お客様、申し訳ありませんがこちら9月21日の飛行機になります。」
唖然とする僕。
あろうことか、なんと1ヶ月先の航空券を予約していた。この時は流石に終わったと思った。大学入ってから結構いろんなことに挑戦してきたが(これもいつか書く)、久しぶりに僕の人生終わったと思った。こんな遅い時間じゃ市内に出て新幹線に乗ることもできないし、明日の朝一の便で行ったとしてもテストが朝9:00からなので絶対に間に合わない。
絶望している僕を見かねて受付の方が一緒に他の航空会社の飛行機を探してくれた。
そしたらあった、まだ勝負の神は見放していなかった。
ANAの最終便があと1席だけ残っているということで、藁にもすがる思いで購入した。
片道37000円、手痛い出費だが仕方ない。僕の人生がかかってるんだ。
成田に着き、やっとの想いでホテルに着いた。本当は寝る前に最終確認を兼ねて1、2時間勉強しようと思っていたが、いろんなことがありすぎてそれどころではなく、すぐにベッドに入った。
「はぁ、最悪のスタートだったなぁ、、」
応援してくれていたみんなの顔が頭をよぎる。
悪い出だしで不安になるも睡魔に勝てず眠りについた。
決戦前夜。月には雲がかかりかけていた。
–つづく–
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