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小学生のポケモンぬりえから学ぶポケモンの収益世界一のメディアミックス5
以前の記事で、ぬりえは子どもにとっては”内的世界の具現化”であり、大人にとっては”人間の装飾本能の顕在化”である、と論文からの考察により説明されている。
つまりは、ぬりえは子どもにとっても大人にとっても
”自由に自己表現できる場所”
とも言えるかもしれない。生きる上では、誰でも必然的に人目に晒され、大なり小なり人目を気にしなければならないが、ぬりえは自分で自由に彩れる世界だ。それ故に人は、紀元前1万年前のアルタミラ遺跡で人々が洞窟をぬりえしたように、表現の場を求めて、白紙を思う色に塗り尽くして行くのだろう。
考えてみれば人生は白紙だ。もしかしたら環境によりある程度の枠線が引かれているかもしれない。ただ、枠線をはみ出して塗っていいし、枠線を書き足してもいい。生まれつきの枠線は消せないけど、望めば形を変える事もできるのに、自由に塗れることに意外と人は気付かない。
彩る為のクレヨンは自分で探さなければいけないかもしれないけど、それが人生の冒険の要素なのだろう。
大人になると、損得を考え出して、本当に夢中になることを忘れていく。役に立つとか役に立たないではなく好きなことをやってみるのはどうだろう。
忙しい日々のなかでも、子どもの頃に戻って夢中になれるモノを取り戻そう。
大人になってあらためて”ぬりえ”を塗ってみる。
それだけで十分な挑戦だ。