見出し画像

模索し続けること。なにか自分にできる事はないか


2022.3.11。東日本大震災から11年。
ぼくが被災地を訪れたのは翌年2012年3月。2019年に全線開通したみちのく潮風トレイル(以下MCT)の環境省モニターとしてだった。場所は宮古周辺。参加募集はメンターである三鷹ハイカーズデポのオーナー土屋さんから聞いた覚えがある。

画像1

被災地を訪れた全ての人が感じることは”圧倒的な無力感”。それは冒険先でも感じてきた。人は自然に抗えない。人がこの地球で生きていける事自体が奇跡だ。

画像2


2012年三陸海岸を歩き考えていた。無力なぼくにできることは何かないのか。その時に頭にあったのがMCTが完成したら子どもたちと復興し続ける三陸海岸を歩くことだった。開通翌年の2020年に全長1,025kmを全踏破。翌年2021年夏に南三陸町-女川町間の約100kmを”冒険ウォーク”と題して10歳から12歳の子どもたちと道中の慰霊碑にも寄りながら歩いた。
その年代の子どもたちは震災自体を知らない世代だ。


三陸海岸はほぼ毎年訪れている。2019年には人力車を引いて、2021年にはリアカーを引いて縦断している。職業柄、少しは世界を旅してきた。絶景ばかりを見て生きてきた。だから言える。三陸海岸の美しさは世界の珠宝だ。多様な食文化に地元の方々の優しい笑顔。こんなに素晴らしい場所はない。

画像3


その美しさを次世代に見て貰いたいし、三陸海岸の良さを体験して欲しい。真夏の炎天下のなかテントや寝袋などを背負ってアップダウンの激しいリアス式海岸を1日10-25km。合計100kmを歩く。はっきり言って子どもたちには体力的に相当苦しい”冒険”になる。泊まりは民宿も使うが半分はテント泊。夜も寝苦しいだろう。


だからこそ、炎天下で飲む一杯の水の甘露のような美味さ、追い詰められたときの自分の心の弱さ、煌めく海の美しさ、三陸の人の優しさ。それらが心に染みる。人生は波のようなもの。時に苦さもなければ甘さの有難みは分からない。

画像4


現役の冒険家である阿部雅龍が子どもたちの親愛なる隣人として1週間を同じ歩調で歩く。辛いだけでなく海水浴や花火もするので夏休みを凝集した日々になる。思い切り歩いて思い切り遊ぶ。


次の南極も控えてる。現役でありながらこうした活動を主催することは簡単ではないし手間もかかり現状赤字でスタートだ。南極だけに集中して欲しいという声なき声も理解している。


画像5


それでもぼくは思う。
現役のチャレンジャーだからこそ、これから挑戦していく子どもたちに背中を見せることができる。真に同じ歩調で歩く事ができる。それは今でなくてはできない。それがぼくがやりたい事やるべき事なんだ。
震災から10年の年に冒険ウォークを始めた。MCTは総距離約1,000km。毎年100km歩いても10年かかる。次の10年をぼくにしかできないやり方で子どもたちと繋いでいく。10歳の子も終了時には20歳になっている。きっとその時もぼくは現役の冒険家だろう。


想像して欲しい。
そのとき、冒険家とともに過ごした夏の経験を経て、子どもはどう成長しているか。


何の力もないイチ冒険家。今でもぼくは無力かもしれない。昔から何かをせずにいられないタチで、何かができるなら動かずにはいられないし、考えるより先に走り出してしまう。
子どもたちと三陸を訪れ歩くこと。
それがぼくが復興にできることだ。それぞれがそれぞれにできる事をすればいい。想うだけでもいい。大事なのはそういう事。
-----
冒険ウォーク100km 2021総括
https://note.com/masatatsu/n/n6f0da2ca3850
冒険ウォーク2021の超絶私的な振り返り
https://note.com/masatatsu/n/n7a9083db213e
-----
今年の冒険ウォークは7月24日~31日のうちに実施予定。対象は10-12歳の男女。最大5名予定(他にスタッフも入れるがぼくが付きっきりでやるにはこの人数くらいが限界)。




いいなと思ったら応援しよう!