人生の11時台
自分はいつ報われるんだろう。って最近よく思ってしまう。
だから、今回は「報い」について話したい。
僕の周りには、それぞれに自分自身が ”こうなりたい” など、理想を掲げている人が多い。
前回の記事で、「向き合って、最後までやり抜くことは曇りを吹き飛ばす風となり、晴れをもたらす」という話をした。
この考えは自分の価値観になっており、あの記事を投稿した時から今日まで無意識でこの考えを何事にもしてきた。その結果、僕は大きく成長できたと思っている。
実際に何してたの?ってのを少し話したい。
ざっくりこのようなことをしてきた。
数字だけじゃないけど、わかりやすいかなと思ってこう書いてみた。
コロナになって明けてからしばらくの4年間、本当に毎日が充実していた。楽しかった。
成果も成長も伴い、ワクワクする未来に一生懸命生きることができた。
でも、出会いよりも別れの方が多かった。
今では社内では【先輩:後輩、1:9】と圧倒的に後輩が多い。
こうなっている背景は色々ある。が、多くはこの会社が人生を背負いきれなかったことが大きい。
会社はワクワクする島に旗を立て、何年も航海をして、やっとその地点に辿り着く。
その中で、残酷なことに船の大きさは日々変わるんだよ。
船の大きさが変動すれば定員乗客数も変わる。
小さくなれば、降りないといけない人が出てくるのは当然。
それでも僕は”もう一度、船を大きくしよう”と諦めなかった。
再建に向けて「この船を降りてくれませんか?」もう何人に言っただろう。
Q.しんどくないんですか?
A.しんどくない人は人じゃないよ。それでも、ワクワクする島に旗を立てたのなら、小さくしてでも辿りつかないといけないのが宿命なんです。
だから、気づいたら【先輩:後輩、1:9】と圧倒的に後輩が多い状況になっていた。
「現実はそう甘くないよね。」と思うことがこの4年間の80%でしたね。
5年目になった今、船は無事に目的地に向かい、船を毎日大きくして向かえるようになった。
いろんな経験をした24歳を見て、みんな口を揃えて言う。「すごい」って。
全然嬉しくないよ。むしろプレッシャーになる。
振り返るとこの4年間で自分の立場は、「誰かをすごいと思う立場」ではなく「誰からすごいと思われる立場」に変わっていた。叱られることなど、ほとんどなくなった。
こんな立場になって、気づいたことはただ1つ。
地位、名誉など、多少持っても幸福にはなれないし、それこそ報われた気持ちにはならない。
そう、今の僕は何も報われている気持ちにならないんだよ。
今までも報われている気持ちに、ほとんどならないの。なんでかわからない。
僕は、多分もっと大きなことを求めているし、目指しているんだな。バカだなと思う。
Q.人?お金?地位?名誉?何がほしいの?
A.たぶん人だと思う。もっと熱狂したいだけ。
感動して東京オリンピック誘致が決まったあの瞬間のような感動を大切な人と思える人と体験したいんだと思う。
人との別れを多く体験した僕は、最高の仲間、それも一生の仲間がほしいんだと思う。
最高の仲間は今はいるんだけど、期間があまりにも短い。また、どうせ別れがくるから辛い。
これが僕の報いになると今は思っている。
みんなも、もので溢れている現代にこそ、自分の「報い」とは何かを考えてみてほしい。
スキル?経験?承認?知識?結果?
僕は、最高の仲間、それも一生の仲間。
「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない。」
この言葉を信じて、やるしか道はない。
今はこう思って自分を整理するんだ。
「誰にでも人生の11時台は必ずある」と。
時計は1時間ごとに短針と長針が必ず重なる。
でも、重ならない時間が唯一ある。それが11時台。
次に重なるのは、12時。
鐘(=報い)が鳴る時です。
みなさんにとって、どんな11時台を過ごして、12時を迎えたいですか。
ありがとうございました。
マサタ
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