#明るい失業
このまま続けばいいとは思ってなかった。
ナイトマーケットを日本に、福岡につくりたくて千年夜市をはじめた。
なんの後ろ盾も無く、お金も無く、仲間と持っているものを集め、力を合わせてはじめた取り組みは、タイミングと選択とアドバイスが良く、イチ個人が始めたとは思えないような盛況を見せた。
そのものの知名度が上がっていたのももちろんあるが、個人であそこまで創り上げた人として、業界の人たちの間で噂になっていたようだ。
予算ありきでイベントを創り上げる社会人からは、
「どうやって(金銭的に)成立させてるんですか?」
業界の人を紹介してもらう度、ほとんどの人に聞かれた。
解るわけないんです。気合と力技でやっていて、そもそも成立してませんから。
そう答えた。
そんな中、「ここで千年夜市をやりませんか?」というお誘いや、「(他の)イベントを制作して欲しい」という話しをいただくようになった。
前者は予算の関係や場所の問題をクリア出来さえすれば、なるべく実現したが、後者には出来るだけ飛びつかなかった。
仕事をいただけるのは有難いことだが、イベント屋になりたい訳では無かった。
①攻め(自主事業)
②受け(受託事業)
僕は仕事の解釈を主に2つに分けているが、②の仕事をあまり増やしたくなかった。
他の都道府県は知らないけど、福岡でイベント屋というものは②の仕事を受けていかないと成立しないように感じている。
もちろんそれは
クライアントありき、予算ありき、の物になってくる。
行政予算がダメだとか、スポンサー予算が嫌いだとか、そういった単純な話しではなく、複雑そのものだからだ。
それに疲弊しつつも、ガムシャラにやり続けて生きていく道もある。
そうやって経済に貢献し、会社を隆盛させ、維持・継続し、社員を雇用でき、家庭を養うことが出来る。
そして気付いたら、たくさんの人に必要とされ、精一杯やってきた人生だったと自分を褒めながら、定年とか無いから、身体が動く以上、楽しい仕事をやり続けるのだ。
うーん、素晴らしい人生だ...。
しかし、女子脳の僕は、なんとも臆病だし、リスクのことをたくさん考える。
もし、クライアントと良好な関係が続けられなかったら?
もし、取り返しのつかないチョンボをしてしまった場合は?
もし、行政や企業スポンサーの予算が無くなった場合は?
つーかそもそも、僕が50代半ばとかになって、社員も増えていたら、当然今よりたくさんの報酬を貰わなきゃいけなくなるんだけど、ギャラばっかり高くて、新しいテクノロジーについていけなくなった一世代前のヤツと組んで仕事するかな?
僕がクライアントだったらギャラが安くて、時代との整合性が取れた、勢いのある30代の人間に任せたい。(僕の立場がおそらくイマココ)
さて、そこで生き残るには、前述した「複雑」なものを飲み込み、活用していかなければいけない。
それは「人間関係」だ。
仕事にしろ何にしろ、人間関係が全てであり、幸せな人生を送るに当たって一番大切にしなければいけない尊いものだ。
それを存分に噛み締め、愛し、活用していけば生き残れるのだ。
しかし、僕は過去、確かに思ったことがある。
「別に大したことない年上のヤツが牛耳ってる」
「あーゆー仕事こそ、僕らにくれたらいいのに」
その年上の人たちは、経験と信用を積み重ねて、その位置に座っている。
しかし、若いエネルギーから見れば、その位置は経験と信用から生まれる、つまらないイスに座っている、つまらない人、なのだ。
でも、その人は今までたくさんの貢献をしてきて、経験からリスク管理なども出来て、計画の透明性も高い、多くの誰かにとって、頼れる存在、なのだ。
政治がなかなか若い人たちの思うようにいかないのも、正にそれなのだ。
はて、「大切にした方が良い人間関係」がもたらすものとは?
もやっ
イベントというものは、単発のものであり、だからこそとんでもないパワーと爆発力、そして快楽ともいうべき楽しさを持った、とても魅力的な仕事なのである。
しかし、単発であるがゆえ、いつもゼロスタートなのである。
前回やった仕事の栄光は、人間関係における信用という物に置き換えられるが、収益を安定させるためのベーシックインカムの様には、なかなかならない。それは当然、予算を出したクライアントの受益だからである。
つまり、若い力にイスを渡すことが出来ない、常に第一線でいなければならない受託産業なのである。
僕は、そこに行きたくないと思いつつも、やはり頂ける仕事は有り難く、売上が上がっていくのは楽しかった。
良好な人間関係や、実績ベースで見てくれる期待に答えたくて、受けると決めた仕事は、割りに合おうが合うまいが、真剣にやっていたと思う。
自分に向いていない仕事は、欲を出さず、向いている友人に紹介して、自分に出来ることだけ。
多忙すぎるわけではなく、ほどほどに忙しく。
そもそも何がやりたかったのかを考えることもなく、
会社も順調に数年が過ぎていた。
そんな時、コロナ期が到来する。
外出自粛から、コロナショックをまともに受けた飲食店がフィーチャーされ、僕らも飲食店への支援イベント「ドライブスルーGOGO」なども行った。
福岡市は本当に素早い対応で、店舗の家賃補助なども支援策に盛り込み、民間ではテイクアウトで応援しよう!という新しいカルチャーまで生まれ、テレビでは連日、飲食店の大変さと前向きさを伝え続ける。
僕らが行った支援イベントは、ラジオ局2社と、新聞5社、テレビ局2社に取材され、しっかり集客も出来、飲食店さんたちにも喜んでもらって、結果も残せた。
さすが松岡さんですね!というたくさんのお声をいただいた。
「さすが」ということは信用と実績があるということだ。
その僕、松岡さんは、その時イベント屋さんだった。
飲食店は少しでも来てくれるお客さんに接客したり、テイクアウトを始めたりという工夫も出来るが、僕らは....?
そう、
「密こそ楽しい!」みたいな場所をつくり続けていたのだ。
そして松岡青年は気づく。
完全に失業した(笑)
青年失業家だ。
さておき、
今、完全に失業はしたものの、実はイキイキとしている。
一度リセットされたことで、ゆっくり考える時間を過ごすことができた。
自分や仕事のことについて、ずっと潜ってみた。
潜って潜ってみると、これからなんでも出来る自由が与えられていた。
そもそも何がしたかったのかというと、
「いろいろしたい」みたいなボヤ〜っとした物だが。
これから早速、2つの新しいことを始めることが出来そうだ。
まだ他にも
あれはどうだ、これはどうだ、というモノもある。
なんでも屋としてフリーランスを始めた、
10年前に戻ったような新鮮さとモチベーションがある。
そして10年間で培った人間関係もある。
(最後らへんは大切にしてなかった気もするが...。)
以前の生活が不満かといえば全くそうでは無く、
恵まれた環境で、仲間と楽しく豊かではあったが、
このまま続けばいいとは思ってなかった。
これから金銭的にキツくなる時もあるかもしれないが、まあなんとかなるだろう。
自分の心の奥の願いが叶ったものとして、有り難く受け入れ、それを最大限活かしていくのみである。
とはいえ、千年夜市は出来るといいなあ。
とても良い方向に進んでいる最中で、まだまだ絶頂は見えていないぐらい伸び代がある。
また開幕できる時には、たくさんの人と喜びを分かち合えて、これまで以上に楽しいものに出来るような気がする。
つづく。