手っ取り早く何者かになりたかった。

振り返ると、高校・浪人・大学の8年間、
早く何者かにならなくてはいけないと思っていた。

そう思うようになった原因はおそらく高校3年間のせいだろうなと思う。

高校3年間、友達が出来ずいつも1人で過ごし、勉強にも身が入らず部活も中途半端で、
毎日自己嫌悪と劣等感でのたうち回っていた。

いつかクラスの中で何らかのポジションを獲得して皆に認められたいと思っていた。

だけど勉強ができるやつにも
部活に打ち込むやつにも
好きなことに打ち込むオタクにも
もちろんクラスのお調子者にもなれなかった。

僕のポジションは「無」だった。

背番号が無いままクラスというピッチの隅にいるような存在だった僕は、
誰の視界にも入らないようにひっそりと息を殺して過ごしていた。

自分は何者なんだと自問自答する日が続き過ぎると、
いち早く何者かになってこの嫉妬と卑屈と自己嫌悪の沼から抜け出したいという気持ちで頭がいっぱいになる。

何かを語れるオタクになったら会話の中心にいけると思って、
アニメにハマろうとした。
ゲームをやりこんでみた。
でも、ある程度やったら飽きてしまった。
自分には何かにハマる才能も無いのかと思った。

プログラミングを学んで手っ取り早く「クリエイター」の肩書きを自分に貼り付けたかった。
でも本を一冊読んで理解できずすぐに挫折してしまった。

ずっと、誰かの視界に入りたかった。
惨めな自分は見られたく無いけれど、
優位に立った自分を見せつけたい。
そんな潔癖で傲慢な考えで生きていた。

これまで受けてきた傷が多すぎて、
今までの負けを帳消しにして勝てるような何かが欲しいと思ってしまっていた。
一発逆転症と言ってもいいかもしれない。


結局、高校3年間いいところ無しで終わり、
浪人を経て大学に入学した。

僕は、大学が高校の負けを取り戻すラストチャンスだと本気で思っていた。
前のめりで肩に力が入った状態で、今度は間違えないように人と関わり続けた。

だから、大学は楽しかったけどしんどさも多かった。
それは自分が「高校で失った自尊心を取り戻す」ということに執着し続けていたからだと思う。

大学生のうちに、周りと「差をつけて」「逆転」したかった。
だから、凄そうな人が多いサークルに入り、
頑張って活動した。
常に成長し続けないといけないという強迫観念に囚われていた。

それは決して悪いことじゃない。
悪いことじゃ無いけど、やっぱりしんどかった。

結局、大学4年間過ごしても当たり前だけど何者にも成れなかった。
大学中に会社を起こす人、
インターンで結果を残す人、
海外に行く人、
今思えば全員に嫉妬していた。

同世代なのに自分より遥かに多くのことを経験して結果を残していて、
尚且つコミュ力があって人間性もよい、
そういう、同世代なのに自分より遥かに完成度が高い人間を猛烈に嫉妬した。

そして僕は手っ取り早く技術で身を立てられる人になりたくて、
文系の未経験から体育会系SIerに入社した。
1年半でドロップアウトし、今は同業界に転職して働いている。
その経験は無駄じゃ無いけど、無理をし過ぎたなとも思う。

転職した今は、
自分は何者なのかあまり考えなくなった。
前まで、そうなったら終わりだと思っていた。
周りと競争しなくなったら向上心も無くなってしまうと思っていた。

でもそれは違った。
向上心や成長と思っていたものはほとんど、
嫉妬と焦りと自己否定の反動だった。
それが上手くハマればいいが、
大抵はコントロールできずに暴発して自滅するだけだった。
自分が持つ体力とメンタルでは、膨大な情報とタスクを処理できるほどの余力はないのに、
一気に逆転することに躍起になって、失敗することを繰り返してきた。

今は前に比べて驚くぐらい心が静かで、
目の前の仕事と勉強と趣味に集中できている。
淡々と生活できて、腑に落ちている。


そうなると、一体あの身を焦がすほどの感情は何だったのだろう?
とふと考える。

おそらく、外的価値を信じすぎていたんじゃないだろうかと思っている。


高校3年間で、
自分が誰の視界にも入らない透明人間のような時間を過ごしすぎた反動で、
早く「誰も無視できない飛び抜けた存在」になりたくて仕方なかった。

手っ取り早く何者かになって、
失った自尊心を取り戻したかった。

でも、そんな簡単に注目を浴びられるほど上手くはいかなかった。
誰もが無視できない価値なんて、そう簡単には手に入らない。
ある程度の時間をかけて失敗を繰り返さないと良いもの出来ない。

だけど僕は焦っていて、すぐに結果が出ないとダメだと考えていたから努力を継続することが出来なかった。

何かをやる時に、
「誰もが納得する結果」を「確実に出せる」ことこそが「意味がある」と決めつけ過ぎると、
一度うまくいかなくなるとすぐに諦めてしまう。即物的な結果を求め過ぎると、やる気がなくなるということだ。
「これ続けたって結果出せないから意味ないじゃん」と、自分でジャッジしてすぐに諦めてしまう。

だけど、誰もが目を見張るような結果を残せた人というのは、
誰も見ていない時間、場所で、
ずっと失敗を繰り返してきたんだろうと思う。

結果を残した時、周囲の人はその人を「急に現れた」と思うけど、
その人はずっとコツコツやってて、ずっとそこに居たんだろうと思う。
膨大なトライアンドエラーの中、うまくいった瞬間だけ周囲が集まってきているだけなんだろう。

なのに僕は、
周囲の人の結果だけを見て、早くその結果を自分に貼り付けて安心したいという欲求があり過ぎた。

そんなメンタルのやつが継続して努力し続けられる訳ないと今なら分かる。
そしてそんな薄っぺらいモチベーションで動いている人間に、
誰も心から注目も応援もしないのだろう。

結局、外側の価値を信じ過ぎるのではなく、
自分の内側にある「やってみたい」という気持ちを時間をかけて大事に育てていくしかないと思う。

それが分かっているのに、今だに時々焦ったりもする。
メンタルが疲れると、「これやっても意味あるの?」というやる気のカツアゲをセルフで開始してしまう。

でも、それでいいような気もしている。
完全に自己満足でもなく、完全に外的価値信仰でもなく、
その淡いの中で何かを作っていけたらいい。

それに、
劣等感と承認欲求が完全になくなると多分こうやって文章も書けない。
だからうまく付き合っていきたい。この厄介でパワフルな同居人と。

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