発狂頭巾異世界道中
※これは2020年春に開催された発狂頭巾オンリー同人イベント『頭巾祭』で頒布されていた二次創作小説です。
序
火事と狂人は江戸の華と申しますが、中には手のつけられぬ狂人というものもおりますもので。
「おのれ何奴……グワーッ!?」
今しがた一刀のもとに斬り伏せられたるは、江戸に屋敷を構える武家、白府家の用心棒。剣の腕を買われ白府の家に雇われた剣士でありましたが、屋敷に押し入った謎の男に問いかけたのが最初で最後の迂闊、愛刀を握りしめたまま白砂の庭に崩れ落ちる結果と相成りました。
下手人は地面に横たわるその男の身を、ぎらついた目で見下ろし、何やらぶつぶつと呟いておる様子。
「貴様らが拙者を謀にかけようと画策しておったのは知っておるぞ……悪党どもめ……」
その声は小さいことに加えてひどくくぐもっており、周囲の誰一人として聞き取ることはできなかったでしょう。それもそのはず、下手人は薄汚れた臙脂色の頭巾を被り、目元以外のすべてを隠していたからでございます。
この男、姓を吉貝、名を来右衛門。江戸の町に住む武士の一人でありますが、こちらの名の方はあまり知られてはございません。知られておるのは正体を隠した通り名の方……。
「ほう、お前か。江戸を騒がす頭巾の狂人、発狂頭巾というのは」
戸を開き、武装した家臣を引き連れて屋敷の中から姿を現したるは白府の家長、白府家長。その手には白府の黒薙と名高き宝刀、黒光りする薙刀が握られております。
「押し入り強盗か、世直し気取りか……理由は知らぬが、ここを白府の家と知っての狼藉か」
「貴様が悪党どもの親玉か、名を名乗れ」
血に濡れた刀を中段に構え、目のぎらつきを一層強める頭巾の男。然り、発狂頭巾。それこそ、江戸で今最も有名な華の名前でございます。
「どうやら噂通りの気狂いのようだな。それに見たところ、お前のその剣は先日殺された正木家の家紋入り。やはりただの狂った盗人であったか」
ほくそ笑み、片手を上げる白府。それを合図に、家臣たちが庭へ降り立ち、発狂頭巾を取り囲む。今宵満月。張り詰めた戦の気が夜風すら押し止めたように、無風。一瞬の静寂が訪れ、くぐもった低い声も幾分か聞き取り易くなり。
「狂うておるのは、貴様らではないか」
「やれ」
正面の家臣が刀を上段に振りかぶり、発狂頭巾に向かって突進。大振りの一撃、百戦錬磨の発狂頭巾に防げぬ道理無し。自らの刀でそれを受け止める。しかし動きを封じられたその隙、発狂頭巾の背後から、別の家臣が必殺の突きを仕掛けて参る!
しかし流石の発狂頭巾、人の悪意や敵意といったものへの敏感さにかけては常人の及ぶところではございません。当然、この程度の窮地にも心得はあり。
「むんっ!」
狂人特有の怪力で圧をかけ、正面の家臣の刀をへし折る。折り砕かれて宙を舞った刃の先端を素早く素手で掴み、狂人特有の怪力で背後に向けて投擲、背後の家臣の首を見事貫く。同時に狂人特有の怪力で片手に持った刀を叩きつけ、正面の家臣の脳天をかち割る。嗚呼、発狂頭巾からのぞく目がぎらり、次はどいつだと周囲を睨む……。
刹那の斬り結びの果て、二人が同時に倒れ伏したのを見れば、残された白府の者たちにどよめきが起こるのも無理はありますまい。発狂頭巾の狂気に中てられたか、士気を失い、へなへなと膝をついた者さえおりました。こうなればもはや数の利など尋常の道理は通用しません。発狂頭巾に道理は通らぬのです。
「おのれ発狂頭巾……手のつけられぬ狂人め。こうなれば南蛮の商人から買い付けた新たな武器を使うしかあるまいな」
白府家長は苦々しく吐き捨て、指を鳴らす。そうしますと、それを合図に家臣たちは脱兎の如く屋敷の中へと逃げ帰ります。その様子、発狂頭巾ではない別の何かを恐れているようでありました。
「貴様、何を企んでおるか」
逃げ遅れた家臣の一人を斬り捨てながら発狂頭巾が問いかけるも、白府はただ無言で佇むばかり。しかしここは無音にあらず。あらゆる物音を掻き消さんばかりの轟音が今、屋敷の庭に響き渡る。
「む、そこか!」
いち早く音の出所に気付いた発狂頭巾、しかし向き直った先は庭木と茂みがあるばかり。……否、茂みの向こうより、整えられた庭木をメキメキと薙ぎ倒し、巨大な影が現れる!
それは人の身丈など優に超える巨大な鉄塊にして奇怪な絡繰。如何なる妖術によるものか、月よりも炎よりも眩い光を発しながら、轟音と速度を増して真っ直ぐに発狂頭巾の元へ迫る!
「狂人よ慄け! これぞ人をこの世から完全に消滅させると謳われる南蛮渡来の轢殺荷車、導電貨車《Truck om te doden》! 尋常ならざる狂人には尋常ならざる幕引きがお似合いよ!」
「ぬうううっ!」
嗚呼、光に目が眩んだ発狂頭巾は動けぬまま、巨大絡繰車両の突進を受けてしまう……! いかに狂人特有の怪力を誇る発狂頭巾といえ、数百の馬にも値する暴力を受けて無事では済まぬ!
一瞬で三途の川の向こう岸まで吹き飛ばされるような衝撃が身体を走る。唸るような絡繰の駆動音と混ざり合うように、白府の哄笑が響く。
「発狂頭巾、敗れたり! ハハハハハハ!!」
哀れ、発狂頭巾。吉貝来右衛門の意識はここで途切れたのです。
ああ、しかし。信心深き者に観音様の導きがあるように、吉貝にも神仏の声というものは日頃から聞こえておりました。この夜、吉貝に江戸に渦巻く壮大なる陰謀の秘密を伝え、白府の家へと導いたのも、この神仏の声に他なりません。
その神仏が、三途の川のほとりに立っております吉貝に語りかけます。
「吉貝よ、死んでしまうとは情けない。儂の忠告を聞いておれば、武具蒐集を趣味とする白府があのような南蛮の武器を持っていることも知れたであろうに」
「しかし、ナントカ天よ。拙者はようやく死ねると安堵すらしておるのです。両親に先立たれ、後継のおらぬ吉貝家に養子として引き取られるも、翌年に養父母夫妻は男児を授かり、もはや拙者の立場は無し。ようやく得た妻も流行り病で失う始末」
「正気に戻れ、吉貝よ。お前は死んではならぬし、お前に妻がいたことなど一度も無い」
そうこう問答しております間にも、吉貝はキイキイと笑う奪衣婆に頭巾を含めたすべての衣服を剥がれ、緑の顔をした三途の川の渡守に「銭を払え」と催促されております。
「見よ、ナントカ天よ、拙者は紛れもなく死んだのです。いかに貴方が神仏の類であっても、地獄の沙汰を覆すことなどはできますまい」
「そうだ、流石の儂でも閻魔大王には逆らえぬ。しかし沙汰の期日を先延ばしにすることはできる。お前は一度、江戸とは異なる世界に蘇る。そこで再び世の悪党を裁く発狂頭巾となり、善行を積むのだ。さすれば、閻魔大王もお前を気に入り、再び江戸に帰ることもできよう。これを輪廻転生と言う」
「江戸に帰り、拙者に何があると言うのです」
「忘れたか、お前は江戸に妻を残してきておるだろう」
この神仏の導きにより、吉貝の目に再び光が戻ったのでございます。
三途の川のほとりの菩提樹の上では、奪衣婆がキイキイと鳴きながら、吉貝から奪った衣服を弄んでおります。それを見とめた吉貝は猿のように素早く樹に登り、奪衣婆の顔を右手で掴むと、狂人特有の怪力を発揮。そのまま力任せに木から叩き落としました。
「ぬうんっ!」
「ギィェェェーッ!!」
地面に叩きつけられた奪衣婆の甲高い悲鳴が響く中、吉貝は奪い返した頭巾を被り、穴から覗くぎらつく目で渡守を睨みます。彼の命ももう長くはないでしょう。
「そう、それこそ吉貝来右衛門、発狂頭巾なり! さあ、目覚めよ!」
神仏の声が響きわたり、渡守に暴力を振るう吉貝の意識も、再び闇に溶けてゆくのでした……。
発狂頭巾異世界道中
「……ですか、大丈夫ですか!」
吉貝は己を揺さぶる何者かの声で目を覚ました。布越しに背中に感じる感触は、柔らかく少し湿った土や草木のようだった。だがここ数日、江戸に雨が降っていた記憶は無い。
「む……」
「よかった、回復の魔法が効いたようですね……」
目を開いた吉貝を安堵の表情で見下ろしていたのは、薄い青色の衣を纏い、幾つもの銀細工の装飾品を身につけた南蛮人めいた顔立ちの女性であった。彼女の手には、見慣れた吉貝の臙脂の頭巾が握られている。
「ここは……」
吉貝が横たわっていたのは、神聖な雰囲気を放つ森の入り口のような場所であり、間違いなく白府の屋敷の庭ではない。身を起こして周囲を見回すと、木造の祠のようなものや、長く伸びた石造りの道などがある。道の伸びる先には町があるようで、煉瓦造りの建物が立ち並び、談笑する人々の姿も見える。
「貴方はここで大怪我を負って倒れていたんですよ。こんなものなんて被って、一体何があったんで……」
女性の言葉を掻き消すように風を切る音が響き、一瞬だけ吉貝たちを影が覆った。二人の頭上を、翼を持った巨大な何かが通過したのだ。
吉貝は反射的に空を見上げる。そこにいたのは、鳥などではない。羽の生えた蜥蜴のような巨大生物だった。その生物は街の上を飛行しながら口を大きく開いて咆哮し、灼熱の炎を吐き出しては人や街路樹を焼き、長い尾を無造作に叩きつけては建物を破壊し始めた。
「発狂ワイバーンだーっ!」
町人の誰かが叫び、弓矢を持った自警団らしき集団が駆けつける。町が燃え、戦う力を持たない人々が悲鳴を上げて逃げ惑う。飛竜に立ち向かい矢を番えた者たちが一人、また一人と焼かれ、潰されていく。一瞬にして地獄へと描き変わる町の様相。
「そんな、こんな町にも発狂ワイバーンが出るなんて……! 逃げましょう、早く!」
「ああ」
南蛮人風の女性が慌てふためき、未だ座り込んだままの吉貝の手を引く。だが吉貝は炎に包まれる町から視線を離さぬまま、ぽつりと呟いた。
「なんだ、ここは江戸であったか」
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