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小さな肩へ「未来」を託す手前に、大人ができること。
コロナで社会がひっくり返った2020年も、残りわずか。後々きっといろんなシーンで「あの年が転機だった」と語り継がれるに違いない、激動(ほんとに激動……)の1年がやっと終わろうとしてます。
春から自分の身に起きた変化とか、この間感じてきたことについては、どこかでnoteを書こうと思ってました。ですが、途中で双子の下に双子が生まれたり、引越したりの間にあっという間に年末になってしまい……。
【ご報告】
— Masashi Sasaki|佐々木将史 (@masashis06) July 30, 2020
昨日、無事に第3・4子が生まれました!母子ともに健康です。
上の息子と娘にそれぞれ似ててかわいい。早く会いたい(コロナで退院まで面会不可…)
「双子の下に双子」のレアケース、いろいろあると思いますが困ったらちゃんと助けを求めます…!今のとこ楽しみが大きいです。 pic.twitter.com/95lZIE1ki8
いろんな人からお祝いと心配をもらいましたが、なんとか無事に5ヶ月を迎えようとしてます
特にこの1年は、生まれた2人(0歳児)と上の息子・娘(4歳児)から、当たり前で大事なことをめちゃくちゃ教えてもらう日々でした。
同時にコロナ禍で、大人の“今”の姿が次々さらけ出されていくなか、「彼・彼女らがこれから生きる時代を、ちゃんと今より良くしてあげたい(良くしないとヤバい)」ってことを、リアルに感じる年でもありました。
子どもは大人をよく見ている
コロナ以前の話として、子育てって正直大変です。多胎児の要素を引いても間違いなく。
自分のことをある程度コントロールできた20代の生活はどこへやら、あらゆることが子どもを起点に始まり、食生活、睡眠のサイクル、休日の行動までガラリと豹変。(この話は奥さんと一緒にやってるブログ『ふーふで。』の方に結構書いてます)
一方で、4年間「子どもが当たり前にそばにいる」生活をしていると、自分がいい意味でどんどん人間的な感覚を取り戻していくのも感じます。
目の前の小さな物ごとにちゃんと気づいて目を向けたり、自分の感情をちゃんと大事にしたり、それを全力で相手に伝えてみたり。そうやって毎日生きてくのが「めちゃくちゃ楽しい」ってことを、彼らは強制的に(笑)思い出させてくれるんですね。
30半ばも過ぎて鈍くなってた僕の感性のスイッチを「お父ちゃん、ここやで!」とどんどん入れていってもらうような、贅沢な時間もらってるなぁと素直に感じてます。
あの緊急事態宣言による登園自粛はつらかったけど、そういう時間を増やしてくれた面もありました
彼らの真髄は、その「観察力」(見る力)と「対応力」(真似たり工夫したりする力)にあると僕は思っています。周りの環境や季節の細かな変化にもすごく気づく。見たことないものがあったらすぐ反応して驚く、喜ぶ、そして手を出して様子を見る。
何より子どもは大人の行動を本当によく見ています。これが僕はいつも「めっちゃすごいな」と思うと同時に、「すごくこわいな」と感じる点です。
だって、自分が子どもに接する態度が、そっくり彼らの人(お友だちとか)への向き合い方に表れていくんです。そして、自分が子どもの前でとってきた行動がそのまま彼らの行動の指針になっていく。
中途半端な言動が大きなブーメランとなって子どもから自分に返り、「まあ自分もできてへんしなぁ……汗」となった体験。子育てをしている人なら結構あるんじゃないかと思ってます。
息子や娘に“言われなくない”言葉
「お父ちゃんらのせいで、こんな社会になった」
「こんな時代になったの、お父ちゃんらがちゃんとして来んかったからやで」
これは、上の2人が生まれたちょうど4年前、僕が「子どもが大人になったとき絶対言われたくない言葉は何やろう?」と考えて、思いついたセリフです。(幸い、まだ言われていません)
僕自身、そういった気持ちをどこかに持って20代を過ごしてきた面があります。3年前の独立の原点も、「いやそろそろ他人(上の世代)のせいにしてる場合じゃない」と考えたのがきっかけでもあるので、自然な発想として「子どもにそう思われない自分でいること」は僕の目標になりました。
これは別に、人から見て“立派”とか“すごい”とかじゃないんです。
次の世代に「残す価値がある」と自分が信じられるものを、ちゃんと積み上げ続けること。そういう選択をしてきたよって、将来子どもらにきちんと言える親でありたいなというだけの意味です。
上の世代がどう行動するかを、下の世代は(上の世代の想像以上に)本当によく見ていて、単純な模倣から「ああなりたい」を描くだけでなく、だんだん「ああはなりたくない」と思うようになっていく。このことは、コロナ禍を振り返っても、もっと僕たち大人が持たないといけない視点だったように思います。
危機に人の話を聞けた人、聞けなかった人。
立場の違う人と対話できた人、できなかった人。
状況に合わせて変われた人、変わることを拒んだ人。
時代の変わり目にはよく、「これからの社会をつくるのは若者だ」なんて(例えば維新志士は20〜30代中心だった……とか引き合いに出して)言われますが、これだけ社会が複雑になった今、若者だけで簡単に社会が変わるなら苦労はありません。一斉休校しかり、オリンピックしかり、さまざまな組織の働き方の対策しかりと、ある意味で僕は「大人が変わらないと、社会は何も変わらない」ことを露呈してしまったのが、このコロナだったと僕は感じています。
大人が変われることを、大人が信じる
すでに一定の経験を積んできた大人が変わるのは、簡単じゃありません。ただ、振り返ってみると、2020年は仕事のなかでも、そこを考えるヒントをもらえたインタビューを、いくつか記事として出すことができていたように思います。今も自分で読み返すぐらい大切な記事なので、改めて紹介しておきます。
人の感性に着目し、「何歳になっても、変わろうと思えば変われますから」と語るaeruの代表・矢島さん。その手段として「伝統」を使い、最初の入り口として「0歳から」を設定した背景を京都でじっくりお聞きしました。2020年1月の京都で、思えばこれが今年最初のインタビューでした。
子どもたちにとって“良質なインプット”が一番大切だと説く、ファミリア5代目・岡崎さんの公開記事。インタビュー取材と編集を担当しましたが、これほどまでに「子どもの感性」を信じられるからこそ、70年を超える老舗企業なのに新しいチャレンジができるんだなと素直に感じました。
『夏の保育アカデミー』は、コロナ禍で保育者の学びのチャンスが失われるなか、一貫して「大人のチャレンジ」がテーマに設けられていたオンライン講演です。講師の方はもちろん、主催する大友さんの「どんな状況でも、大人が学ぶことをやめちゃいけないと思うんですよね」という言葉が今も耳に残っています。
各回のエッセンスを再構成した記事ですが、保育関係者を中心に嬉しい反応をいくつもいただきました。
「視線」を受け止めながら、僕らがすべきこと
僕は4人の子どもの親として、あるいは保育にかかわる仕事をするひとりとして、子どもの可能性をめちゃくちゃ信じてます。そのすごさって(こわさも含めて)昔よりずっと信じられてるとも感じます。
また、採用関連の仕事でいろんな人が口を揃えて指摘するのが、今の学生さんたちの優秀さなんですね。「これからの社会の中心を担うのはこの世代だろうな」ってことも素直に思います。
でも、それは「次は君らの時代だ、よろしく」と大人が責任転嫁していい理由にはなりません(口先だけで権限も与えず「君らの時代」と言われるのが僕は昔めちゃくちゃ不快だった)。
次世代に期待するときは同時に、今の状態をつくってる大人の側の責任もきちんと言わないといけない。大人自身が自分を変えながら、子どもと一緒に未来をつくっていく以外はないと思っています。
遠くからでもこっちをよく見てる上の息子……なにを思うのか
もちろん、1人でできることなんて知れてます。独立して3年、関わったコンテンツやプロジェクトの数なんてまだまだ少ないし、何かを大きく変えられたわけでもない。最初の2年は「もっとこうすれば」と後悔の残るものが正直いくつかありました。そのことも忘れてはいません。
ただ、少なくともこの1年でかかわったコンテンツやプロジェクトで恥ずかしいものは一切ないつもりです。ようやく新サービスもリリースして、手応えも少しずつ感じています。本当にちょっとずつだけど、前に進んでいるとは思っている。
だから、コロナが終わるのかどうかも含め、先が見通せない状態が続く2021年も自分のやることは一緒です。
幸い、鋭い眼差しを向けてくる(気がする)娘や息子がいつもいるので、緊張感には事欠きません。その視線をちゃんと受け止めながら、長く読まれる記事をこれからも全力でつくっていきたいと思います。
ちょっと長くなりました。来年もいい年になりますよう。