新庄剛志の”撤回力”
プロ野球復帰を目指す新庄剛志選手は、このほど新型コロナウイルス等の影響を受けこれまでは実力を認められた場合のみ現役復帰という条件でトレーニングを始めてきましたががここに来てマーケティング目的、つまり「客寄せパンダ」としての入団でもいいから復帰を目指すと方針を転換しました。
今日は新庄さんの”撤回力”について書いてみたいと思います。
新庄剛志選手は今年で48歳、もちろん現役復帰は簡単なことではありません。しかし色々な方が言われているように彼なら何かしてくれるそういう期待感を抱かせてくれる不思議な存在です。
事実、ヤフーニュースの記事でのアンケートも復帰できると思うか否かという問いに対しなんと約60%以上の人は復帰できると思うと回答しています。
48歳になる選手に対しこの数字ははっきり言って異常です。
しかも、新庄選手は自身でもそうおっしゃっているように”記録よりも記憶に残る選手”です。
現役時代は、一流打者の証となる3割やホームラン30本などの記録は一度たりとも達成しておりません。数字だけ見ればそもそも全盛期ですら、いい選手ではあるが超一流の選手ではない、くらいのレベルの選手だと言えます。
しかし彼が持っているチームやファンに対する影響力は他の選手どの選手よりも大きく、それは彼が打つこと以上の貢献度をチームにもたらします。
現代にも通じる自己ブランディングの鏡
新庄選手といえばプロ野球史上最も自己ブランディングに長けた選手だと言えます。
誰にも投げられないような球を投げる選手、誰にも打てないホームランを打つ選手、誰もアウトにできないほど速く走る選手、それは今後出るかもしれませんが、新庄剛志のような選手だけは今後もおそらく出ることはないでしょう。
彼は”目立つ”ということにかけて、超一流を超えた”神レベル”の存在だったと言えます。
メジャー挑戦のあと日本に復帰し、日本ハムファイターズでプレーをしていた頃の”被り物”や、”ハーレーダビッドソンでの球場入り”など、ド派手なパフォーマンスで世間の注目を集め「新庄劇場」という流行語も生み出しました。
目立てば目立つほど、試合で結果を残せなかった時には他の人以上に叩かれてしまうもの。ダルビッシュ有投手や本田圭佑選手のように、なぜだか日本では本業以外で目立つ活動をすると、批判されるという文化が今でもあります。
しかも新庄選手については、ダルビッシュ選手のようなYouTube活動や本田選手のようなビジネスでもありません。
野球場に野球をしに来ながら、野球以外で目立つと言う新庄選手以外では世界中誰がやっても許されないくらいの異端な行動をとっていたわけです。
つまり、その分本職である野球に対し向けられる目線は他の人の数十倍以上厳しくなるでしょう。
例えば被り物をして、その日に彼のエラーで負けたとしたらおそらくファンは彼を応援しなくなってしまう。
そのリスクを冒してでも本拠地移転後まもない日本ハムというチームを北海道に根付かせたい。札幌ドームを満員にし優勝したい。という強い思いを実現するためにやってのけました。
彼は、もちろん球場に足を運んでもらったお客様を楽しませるのが目的でしたが、珍しいことをやることでメディアに取り上げられること、球場に行ってみたいと思ってもらえる事、日本ハムという球団をもっと知ってもらうこと、全てを計算しそのために新庄剛志という選手自体をブランディングし、チームの広告塔となりました。
これは、現代では会社がブランディングをするより個人がSNSなどで影響力を持ち、影響力ある個人の集まりで、会社のために活動することで双方の利益を最大化できるという現代の最先端型の会社のような形をいち早く実現したものでした。
しかも、野球という”商品”で価値を高めるのではなく個人のキャラクターや発言により影響力を高めるというまさに15年以上先のブランディングを彼はやっていたわけです。
実は誰よりも気遣いができる人
新庄選手といえば、自由奔放かつ他の人には理解できない発言や行動をするイメージがあります。
しかし実は、彼ほど発言や行動について計算し考えている人はいないのかもしれません。
彼は決して思いつきで発言し、思いつきで動いているだけの”天才”ではありません。もちろんそういった要素もありますが、僕が新庄さんに対して持つイメージは誰よりも他人のことを考えられる人です。
日本ハム時代に彼の様々な行動は物議を醸すことがありました。
これは彼が、どんなに批判をされようが入団時に掲げた
「札幌ドームを満員にする」「優勝する」
この二つを実現するために覚悟を決めてやっていたことです。
被り物やド派手な入場、突然の引退宣言、 これらの行動は確かに一部メディアなどには批判もされましたが一方で、現場において彼は誰よりも関係者への事前の説明や根回し的なことも徹底的に行いました。
どんなに本人は乗り気でも、協力してくれるスタッフさんや相手チームに理解が得られなければそれはただの独りよがりです。
批判が出ることも承知の上で、これがファンの為だと全力で説得して回り、納得の上で完璧な準備をし、誰にも文句言われないくらい試合に対する準備もやりました。
彼の行動はすぐにみんなが楽しむイベントに変わって行きました。これは彼が誰にも見えないところで地道な説得やヘタをすると謝罪のようなこともいとわず一人一人に頭を下げる対応を怠らず事前に行っていた結果だったと言えます。
さらに、彼が公で発言する言葉についてはそのほとんどが他人がどう受け取るかを計算して発信している言葉です。
1995年に突如の引退宣言をした時も、実は指導者の方とソリが合わなかったことなども要因としてあったのですが、「自分にはセンスがないと気付いた」という発言をすることで自身の発言に責任がすべて向けられるような言葉を選んでいます。
日本ハム時代には、メディアや他の選手が使う言葉に対してもその統一を行い、徹底的に”ファンのため”の野球を実現しました。
例えばファンのことを観客、と呼ぶことをメディアなどにも禁止したのです。なぜなら観客だと、球場に来たファンのことしか指していないから。テレビで見てくれているファンも、ニュースでしか見られないファンも大切にしたいという強い思いが見て取れる彼の優しさです。他の人はそんなことを思いつきもしないでしょう。
これはひとえに新庄選手が常に”誰のためにする発言か””その相手がどう思うのか”を誰よりも考えられる人だからです。
派手な部分ばかりが注目されがちですが、一人の人間があれだけの影響力を持ち、パリーグを変えたとさえ言われる、そこにはこういった”確かで地味な理由”が存在するのです。
発言するより撤回する方が難しい
そして、彼の最もすごい能力とは”撤回力”です。人は一度発言したことや一度決めたことを変えたり止めたりする方が実は難しいのです。
やる!と決めることよりも、やーめた!と言うことの方が何倍も難しい。
しかも日本では、一貫性や継続性が非常に美化される文化が強く、一度発言したことや行動したことを覆すと批判の対象になります。
しかし新庄選手はこれをいとも簡単に言うことができます。
それこそ1995年の引退宣言の時も、 わずか数週間後には引退を撤回しています。
あれだけ、ド派手にかっこよく引退したにも関わらず、このタイミングで現役復帰を目指すという発言をします。
さらに新庄選手は今回、自身の挑戦のタイミングに新型コロナウイルスという未曽有の危機が重なったことを理由に挑戦の方針を転換しました。復帰は戦力としての獲得限定だったが、客寄せパンダでも構わない。見ているファンに勇気や希望を与えたい。
この判断ができるのが、新庄剛志という人なんだと思います。
客寄せパンダの人気取りでも構わない。なかなか言えることじゃないです。
この瞬間、本来だったらしなくても良いはずの一人のオジサンの挑戦が、閉塞感漂うスポーツ界のなにかを変えるためのきっかけになるかもしれない大きな”意味ある挑戦”に姿を変えた瞬間です。
そして、現役復帰ができたとしたら非常に素晴らしいですし、失敗したとしてもすぐにやっぱりこっち!といって他の何かを見つけそうです。
やもすれば自身の発言により、今後の行動がしづらくなってしまうことはよくあるんです。
例えば、 コロナウイルスで自粛の期間にちょっと外出した人を責め立ててしまった。その人自身は用事があっても外出するのが他の人以上に気が引けてしまうでしょう。誰かを叩いた時に、実は叩かれた人には叩かれた人なりの理由があって、叩いた人自身が逆の立場になってしまった時同じ行動は取れません。
そうやって、人は誰でも自然に一貫性を取ろうとするのです。
そもそも新庄選手は他人に対して批判的な人ではありませんから、上記のような心配はないですが、自身の発言を撤回するというのは誰であれ簡単なことじゃないんです。でも新庄選手にはそれができる。
この力はいわば”挑戦する才能”と言えるかもしれません。
もう彼の挑戦を笑う人は誰もいないです。失敗しても成功しても、 それが新庄剛志だと皆が理解しているし、何より本人が一番それを分かっている。挑戦し続けることこそが新庄剛志が新庄剛志たる所以です。
何度撤回してもいい、何度失敗してもいい。
閉塞感に満ちたこの時代、もう一度彼が暴れまわる姿を楽しみにしています。