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絶対積極

こんばんは。今日もお疲れ様です。


独立決断
自分はけが、病気は絶対しません
怒らず、恐れず、悲しまず
正直、親切、愉快に
力と勇気と信念を持って
自己に対する責務を果たし
愛と平和とを失わざる今日一日
厳かに生きていくことを誓います」

https://www.chichi.co.jp/web/2018matsuoka/


今年で気づけば2.5周ほど読んでいるこの本。
毎度気づきを得ながら「よし、やるぞ!」と奮い立たせてくれるのだが、その中でも特に気に入っている内容をご紹介📚

https://www.chichi.co.jp/web/20220719_matsuoka_hanyuu/

それが松岡修造さんが語った「絶対積極」のハナシなのだ。

根が消極が故に前向きになるためのメンタルトレーニングとして取り組んだ中でも中村天風先生の話が刺さったそうなのだが。

この中村天風先生の「絶対積極」は、思想と哲学の中核を成す概念であり、自己の心と行動を積極的に制御し、人生を肯定的に生きることを強調している。

病気や戦争、ビジネスの失敗など、多くの試練を経験した中で「絶対積極」の重要性を肌身をもって実感し、その中で絶えず自己を奮い立たせ、前向きな姿勢を持ち続けたとされる。

「絶対積極」とは、単なる楽観主義ではなく、現実を直視しつつも、自己の内なる力を信じ、行動を通じて未来を切り開く姿勢だ。

「心の持ち方が運命を決める」と説き、自己の心を積極的に制御することの重要視していることからも自分自身の可能性を信じ、どんな状況でも積極的に行動することを意味しているんじゃないかと思う。

私が教える積極精神というのは、消極というものに相対した積極でなくして、絶対的な積極のことなんです。
どう違うかというと、相対的積極の意味は、たとえば肉体でいうと、外界からのいろんな刺激がくる、痛いとか暑いとか寒いとかいったような刺激を受ける。あるいは、怒ったり、悲しんだり、恐れたり、あなた方がしょっちゅうやってるね、いわゆるエモーション、消極的な感情です。そういうものが心の中に起こる。それに対して、これをこらえようとか、これに負けまいとする気持ち、これは相対的積極なんです。
これは日常、対人関係でもあるでしょ。「あいつだけには負けたくない」とかよく言ってるね。日常の仕事、勉強をする場合だって、あるいは、スポーツなんかでも、勝負ごとなんかでも、なんとかして勝ってやろう、負けまいと思ってやる。
これもいわゆる積極的な気持ちなんだけれども、これは相手あってのことでしょ。相手が人間でなくても、なにかの対象に対して、心に張りあう気持ち、対抗する気持ちがあるからだろ。だから、これは相対的な積極なんだよ。
これに対して、絶対積極とは、どういう気持ちかというと、これは張りあおうとか、対抗しようとかする気持ちがそこに全然ないんです。
  
心がその対象なり相手というものに、けっしてとらわれていない状態、これが絶対的な気持ちというんだよ。何ものにもとらわれてない、心に雑念とか妄念とか、あるいは感情的ないろいろの恐れとか、そういったものが一切ない状態。けっして張りあおうとか、対抗しようとか、打ち負かそうとか、負けまいといったような、そういう気持ちでない、もう一段高いところにある気持ち、境地、これが絶対的な積極なんですぜ。

中村天風師「心に成功の炎を」より

著書にもある”相対的積極”と”絶対積極”

この内容に触れるたびに思うことがある。

それは、自分自身が趣味として継続できている「ランニング」は好きな理由だ。

個人的には朝走ることに対しては、誰かより早くゴールしようとかタイムを狙おうとかは何一つ望んでいない。

マラソン大会に出たいともほとんど思わないし、コミュニティに属して共に走ることを楽しみたいとさえ思ったことは殆どないに等しい。

好きな理由を挙げるとするならば、何にもとらわれず自分だけの世界で心が軽くなると感じられる時間だと感じられるから、疲れたや辛い、けれどたのしいという自己の感情をダイレクトに自分で感じられる所が気に入っているのだ。

それはすなわち『ランニング=自由を感じられる瞬間』といってもいいのかもしれない。

中村先生は僕らにしっかり自分自身と向き合ってこそ自由で泰然とした心を持てるのだという大切な考えを教えてくれているのだと思う。

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