鶴川・柿生・横浜市青葉区周辺フィールドワーク
武相荘(旧白洲邸)→ 椙山神社 → 寺家ふるさと村・横浜市方面
1941年に計画された幻の皇居移転計画である「柿生離宮」の候補地だった、現在の小田急小田原線柿生駅の北西(当時は東京府南多摩郡鶴川村)周辺から南下するように歩いた。
翌1942年に白洲次郎・白洲正子夫妻が当地に移住し、さらに1944〜45年には当時世田谷区成城に在住していた柳田國男が何度も訪れている。
移転計画が実現していたらこの丘陵・谷戸・河川が入り組み、明らかに拠点防衛に有利で、しかし現在はそこに住宅地がパズルを埋めるように建てられた地形が、ほぼ手付かずのまま残っていただろう。
そして日本武尊が祭神で『古事記』『日本書紀』の三輪の里に関係のある椙山神社に立ち寄りつつ東京都・神奈川県境の「谷戸田」と丘陵(寺家ふるさと村)を超えると、風景は手付かずで残された自然から一瞬で人工的な郊外へと戻る。
さらにその後こどもの国(旧日本陸軍田奈弾薬庫補給廠)方面に立ち寄った。
多摩ニュータウンと多摩田園都市の境目であり小田急文化圏と東急文化圏の境目でもあるこの一帯は地形も歴史も多彩で深い。
今後もフィールドワークをする予定。