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相模デルタ探訪② 当麻山無量光寺
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(※ 個人的に絵画のモチーフにもした相模野台地の都市・郊外を包摂する橋本・町田・海老名を頂点とする鉄道路線の大三角形を「相武デルタ」と勝手に名付け、現地踏査を行っている。)
無量光寺は鎌倉時代の僧である一遍上人が開山したお寺であり、当麻山は相模野台地のヘリにあたる。
相模川の目と鼻の先でもあり、南西は水田が広がり眺めが良く、丹沢山地と大山が一望できる。
当麻のすぐ目と鼻の先である田名が、大正時代以降景観良しの観光地だったことも納得できる。
また小島烏水が1906(明治39)年に行った相模野踏査の終着点でもある。
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ちなみに「水郷」と呼ばれた田名は都心からも近い景勝地として相武電鉄が1921(大正10)年に鉄道の敷設を計画した場所だった。
幻となったその路線は渋谷→溝の口→鶴川→淵野辺→上溝→田名→愛川へと至るものだった。
その発端は同年に津久井郡湘南村(現:相模原市緑区)の東林寺に東京(渋谷)から赴任した新住職の同郷の友人が言い出したことで、
その新住職の先代が地元の子供たちを教えるために開いた私塾の卒業生の一人が相武鉄道の取締役だったとか…。
一大事業の発端がそれかい!とツッコミたくなるが、田中角栄にとっての上越新幹線みたいなものというか、今でもよく聞く類いの話ではある。
【参考】
http://sobu-erw.o.oo7.jp/01/03/b01.html
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相武電鉄に端を発した「幻の鶴川 -淵野辺 - 上溝鉄道ライン」について個人的に調べた文章はこちら↓