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相武デルタ探訪④ 相模野の巨人
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相模野に残る巨人伝説(デイラサマ、デイラボッチ、大太郎法師などと呼ばれる)について現地を訪ねた上でできる限り多くの資料を調べたが、共通する点は以下となる。
▪︎富士山を担いで運ぶ途中で相模野に立ち寄った。
▪︎大山頂上の平らな部分は、でいらぼっちが相模川の水を呑むために腰掛けたもの。山の形をデイラボッチに結びつける民話は筑波山、赤城山などにも残っている。
▪︎富士山を縛って運ぶために藤づるを探したが、相模野中を探し回っても見つからず、悔しがって地団駄を踏んだ。
▪︎地団駄を踏んだ跡が沼(鹿沼・菖蒲沼・大沼・小沼)に、歩き回った足跡が「でいらくぼ」に(東林間・矢部・清新)になった。
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▪︎相模野を歩き回った際、ふんどしを引きずった跡が「ふんどし窪」になった(現在の相模原ゴルフクラブ内とその北側)。
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▪︎藤づるを切るための鎌を研いだ場所が「鎌研ぎ窪」となった(現在の相模原沈殿池から南に伸びる窪地)。
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▪︎このような巨人にちなんだ民話・伝説は全国各地に残っている。地名として残っている場合もある(例えば世田谷区代田など)。
近世以前の人々にとって窪地や沼や山の稜線を巨人の痕跡とみなすことはわりと当たり前の感性だったらしい。
そして相模野に点在する窪地や沼にも巨人に関する生きた民話や伝説が人々の間で口承という形で残っていたようだ。
実際『もののけ姫』のデイダラボッチ(シシ神)も沼(お池)に住んでいた。
そんな相模野の窪地や沼は現在ではほとんどアスファルトで埋め立てられており、
相模原市中央区矢部の村富神社近くには地形が平らにならされ地名すら残っていない場所もある(旧「大太久保」)。
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柳田国男が1939年にデイラボッチ伝承を調べるために現在の相模原市南区東大沼に出かけたときですら、村人たちは「まったくそういう話は聴いておらぬふう」だったそうだ(『妖怪談義』「じんだら沼記事」所収)。
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さらに現在では物理的にアスファルトの蓋をされ、加えて宅地化によって住民の動線などの生活様式が変化したせいか、無形のものである民話・伝説はよりいっそう忘れ去られようとしていると感じる。
【参考・引用】
荻坂昇『かながわの伝説散歩』(暁印書館、1998)
荻坂昇『神奈川県の民話と伝説(上)』(有峰書店新社、1975)
『さがみはらの地名 ー村をつないだ道・坂・川ー』(相模原市教育委員会、1990)
『鹿嶋さまの杜は見て来た』(発行:細谷隣、株式会社アトム、2002)
『相模原市民俗編』(相模原市総務局総務課市史編さん室、2010)
座間美都治『相模原民話伝説手 改訂増補』(1978)
柴田昭彦「ものがたり通信/18.ダイダラボッチの足跡」
http://www5f.biglobe.ne.jp/~tsuushin/newpage31.html