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<下流老人 Life Wreck> 青い鳥が消えた でもそれはぼくの鳥ではない

 青い鳥は本当は君のすぐそばにいるんだよ。って言うか。ツイッターの青い鳥のロゴマークがバツ…じゃなくてXに変わったみたいだ。あの青い鳥は良く出来たデザインだったと思う。残念ながら今回のXには全然ワクワク感が無いし、何を意味しているのかもわからない。
 ぼくもツイッターのアカウントを持っているけれど、実際には今のところ長期休止中だ。ツイッターにはいろいろ問題があると思うし、また今後の展開の不透明感もあり、撤退するかどうか様子見しているところだ。
 ツイッターは便利なのだろうと思う。災害など速報性を必要とする情報発信ではとても有用だ。ぼくの場合、命に関わることでは無いけれど、毎週録画して見ているテレビ番組が突然休止になった時、いつどこでそれが放送されるのかとか、その手の情報はツイッターで網をかけたりする。
 たぶん、いろいろな宣伝とか告知にも強力なツールだ。手軽に投稿できるところも良い。ぼくは普段はPCしか使わないが、スマホで簡単に常時情報の受発信をする文化の先駆けだろう。
 しかし無料ユーザーに閲覧制限をかけるとなると、結局こうした利点も無くなってしまう。だいたい、ぼくなどは不要な情報が大量に押し寄せてきて本当に欲しい情報を探し出すのに苦労する感じなので、すでに使いづらい。
 とは言え、それはまだシステム上の問題で、ぼくにとっての本当の問題はそこでは無い。SNSというのは本来コミュニケーションツールのはずだ。自分の思ったこと、感じたことを表明して、それを見た人が反応を返す。しかし、それがいわば人畜無害の話題で何の対立点もない話であればそれで終わるが、何かしら他の誰かの意見や利害と対立する話題の場合、やっかいなことにもなり得る。
 ぼくの場合は世の中のマジョリティーと対立する意見が多いのでいろいろ難しい。それはつまり多くの人の前提とぼくの前提が違っているからで、それを含めないと理解されない。そうすると必然的に長くもなるし、論理性も求められる。
 しかしツイッターはそうした議論をすること、深めていくことには全く向いていない。逆に誤解を生み、不毛な対立を生んでしまう。ツイッターの通知が毎日来るけれど、そのひとつひとつのツイートを見ても、正直何を言っているのかわからないものがほとんどだ。それは多くの人が長い流れの中で発言していることなので、その流れの中にいないと意味が汲み取れないからだ。断片的な言説はとても危険だが、ツイッターは長い話の流れを追いかけるのには不向きな構造になっている。
 もうひとつ、ツイッターをよく使っている人達の多くが、そうした長く論理的な議論をすることに慣れていないせいか、そもそも議論自体が成立しない。こちらの言い分を理解してもらえないだけでは無く、相手の言っていることを理解することもなかなか大変だ。
 議論をする上では、相手の立っている前提を理解することが最も重要だ。それをすっ飛ばしてしまえば、ひとつの言説はただの暴論だったり、決めつけだったり、誹謗中傷にしかならなくなる。
 そんなことを繰り返しても時間の浪費にしかならない。それ以上に、むしろ害悪ばかりが増えていく。
 逆に自分に同調してくれる人とだけ関わっても、それもあまり意味のあることには思えない。まあ、精神的な癒やしにはなるかもしれないが。
 ぼくは別にツイッターやその他のSNSを否定しているわけではない。人によっては有用で必要なツールだと思う。人はそれぞれ、自分に合ったツールやシステムを使えば良いのであって、ぼくはツイッターより固定的なブログの方が向いているというだけのことだ。
 このno+eに来たのもそういうことなのだが、ただもちろん、こうしたサイトとツイッターなどをうまく連携させることが出来れば、それはそれで意味はあると思う。そうしたことを含めて、当分は様子見をしていこうということだ。
 ぼくの青い鳥はなかなか見つかりそうにない。

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