拝啓 未来の自分へ
これは、慶應義塾大学体育会ソッカー部の現役活動を引退する際に記したブログの転載です。リクエストがありましたので、改めて紹介させていただきます。
最近は苦しいことがある度にこのブログを読んでいます。今の自分に言い聞かせたい言葉ばかりです。
大変長い文章となっておりますが、お時間のある方は是非お読みください。
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拝啓 未来の自分へ
引退を間近に控えた今、
未来の自分に手紙を書くことにした。
大学4年間で考え抜いたことを、自分に言い聞かせるためだ。
この手紙を読む未来の自分は、どこで何をしているのだろう。
価値観も夢も変わっているかもしれない。青臭い表現を鼻で笑うのかもしれない。でも、こんな考えを持っていた自分がいたということを、どうか忘れないでほしい。
「夢中の世界、努力の世界」
大学サッカー界はいつも「なぜ」に溢れている。
留学に行く友人を見て、サークルで遊ぶ友人を見て、起業した友人を見て、勉強を極めるあの人を見て、この部を辞めていく仲間を見て、ESの「学生時代に最も力を入れたこと」の欄を見て、ホコリを被ってしまった少年時代の写真を見て、そして今の僕は考える。
「なぜ大学サッカーなのか」
僕にとっての理由は、「怪我で途絶えた選手生命を、アスリートを支えることに使いたい」だった。半分本当で、半分嘘みたいな言葉だ。結果を出したいのは本当で、でもこれといったシンプルな動機は、どこを探しても見つからなかった。だから、自分の存在意義を話すMTGでは、本気ではない綺麗事で弱い自分を守っていた。悔しくて、寂しくて、でも何をしていいかわからなくてよく泣いていた。
「なぜ大学サッカーなのか」
この答えを探し続けて4年、結局自分が納得のいく答えは見つからなかった。なぜなら、僕は夢中の世界から、努力の世界へとやってきたからだ。
夢中の世界は時間軸が存在しない。極論、報われる必要なんてない。楽しさがリターンで好きなことをやれているだけで幸せだ。
努力の世界では、「犠牲」を対価に「成功」を手にする取引が行われている。目標を達成するために努力をし、プロセスは常に結果によって評価される。もし結果が伴わない時、なぜ報われなかったのか、という言葉にならない後悔が残ってしまう。努力では辿り着けない領域に存在する才能を見たとき、絶望する。
「好き」「楽しい」という感情だけでやっていたサッカーに、どうせなら何かを成し遂げたい、という感情が伴うようになった。こうして、僕は夢中の世界から、努力の世界へと移り、「あれ、そもそもなんで大学サッカーを選んだんだっけ?」という理由探しを始める。努力の世界で初めて気がついた、ちっぽけな理由。でも、そのちっぽけな理由がたくさんの出会い、学び、景色をくれたことに間違いはない。僕の4年間はそう言っている。
だから未来の自分へ。何か上手くいかなくて落ち込んだときは、思い出して欲しい。何かを成し遂げることではなく、悔しくても諦めたくないほど大切なものがあることが本当の幸せであること。そこに大げさな理由なんていらないということ。
「もし僕の持っているものが僕を意味するのなら、また僕が持っているものを失ったら、一体僕は誰なのか」
高校サッカーの最後の試合をもって、自分の人生からボールとゴールが消えた。その時にこれまでの自分は、スコアボードでしか自分の人生を評価してこなかったことに気がついた。これから人生の幸せをどのモノサシではかればいいのだろう。ピッチの外に出て初めて、キックもドリブルもトラップも、価値を持つのは全てピッチの中だけと気がついた。いつか終わりが来ることが分かっていた世界で、自分以外の誰かに勝つためだけに生きていたから、自分にとって何が幸せか、何が大切か、さえも見失っていたんだ。
今シーズン積み上げてきた勝ち点44
早慶クラシコの来場者数や協賛金
SNSのフォロワーやいいねやリツイート
TOEICの点数や学校の成績
それらが全てなくなった時、私に残るものはなんだろう。
4年前に自分の人生から、サッカーゴールや審判や倒すべき明確な敵がいなくなった時のように、今上述した数字で測れるものが失われた時に自分に残る価値はなんだろう。
だから未来の自分へ。何かに熱中している時は、思い出して欲しい。人生に永遠なんて存在しないということ、そして幸せのモノサシは自分の中にしっかりと持たないといけないということ。
「何かを変えたいなら」
こんな自分を変えないと、と必死に考えた。
大学生になったら、地元を離れて上京したら、慶應に入ったら、自分は変われる。そう思った。でも、入学して気がついた。変わったのは、環境だけだったということ。何かを変えたいなら、真っ先に目を向けるべきは自分だということ。
大学一年生はこの間までは高校生、一部昇格を決めたチームも今年までは二部リーグのチーム。
上級生になったから?社会人になったから?ソッカー部に入部したから?一部に昇格したから?それで変わったと呼べるものは自分の一番外側についた名札だけで、中身が一瞬で変わることなんてないんだ。そんなに人生は甘くないんだ。
だから未来の自分へ。役職や立場、環境が変わるたびに問いかけてほしい。変わったのは外側のラベルだけではないのか、自分自身に大きな変化を起こすことが出来ているのか。外側のラベルだけで何かが変わったと思ってしまう自分でいいのかと。
「人を幸せにしない努力」
大学2年の夏。地元・青森からある先輩が東京に遊びに来る時に、アパートに泊まらせてくれとお願いされた。当時の私はよく、仕事の忙しさを理由にプライベートの人間関係を大切にできていなかったと思う。この日も、仕事があるので先に家に帰っていてくれとLINEを入れた。別に大した仕事なんてなかったはずなのに。別日にやることだって出来たはずなのに。深夜、家に帰ると先輩はもう寝ていて、テーブルを見ると1本の高いお酒があった。
そこでやっと気がついた。
こんな後輩にお酒を買っていろんな話をしようとしてくれた先輩の優しさに。
目の前の仕事を消化する安心感と自分を大切にしてくれる存在を天秤にかけて、前者を優先した自分の愚かさに。
「俺を支えてくれる人の為に頑張っていたはずが、気が付いたら頑張れば頑張るほど大切な存在との距離が遠くなっていく」そう思った。「仕事を優先した」なんてかっこいい表現は出来ない。大切な人からの応援を台無しにした僕は、そのお酒を見てただ泣くことしかできなかった。
だから未来の自分へ。仕事と成長、利己と利他の間で迷う時、忘れないで欲しい。自分を支えてくれた存在を忘れた人間が、誰かを支えることなんて出来ないということ。誰かの思いを背負うことのできない人間が夢を叶えた時、残るものは成果だけだということ。
「自分を否定することは、自分を創ってくれた人の想いを裏切ることになる」
これまでは努力は報われると思っていた。
だけど、実際はそうじゃない。埋もれる才能もあって、報われない努力がある。つじつまが合わないことだらけだ。大学に入って、それを痛感した。
何もかもがうまくいかない日々の中で、頑張る意味すら見出せなくなった。別にこれは特別なことじゃない。だってこれまでの成功の多くは、周囲の人のおかげだったから。頑張る環境を整えてくれる人、評価してくれる人、頑張れば報われることを見せてくれた人。その人たちのおかげで、僕は「努力が報われる」と思えていたんだ。上京して、うまくいかなくなった時、
両親、学校の先生、部活のコーチ、近所のおじさん…
「偉そうにして、こいつらは何も分かってない!」と勝手に決め付けていた大人の顔ばかりが浮かんだ。その人たちが、僕の人生の当たり前を支えてくれていたんだと思った。でも、その支えを失った僕は、かっこ悪くて、かっこ悪い自分が嫌で、いつも逃げたかった。
逃げ出そうとした時、たくさんの人が止めてくれた。
逃げ出した時、たくさんの人が追いかけてきてくれた。
失敗したはずの僕に、かっこ悪い僕に手を差し伸べてくれる存在を知って、その人たちが僕に期待しているのは成果ではなく姿勢なんだということを知った。何かを生み出すためではなく、僕らしくいられるために仲間がいるのだと思った。
だから未来の自分へ。何もかもがうまくいかなくて、疲弊し、孤立した時に思い出して欲しい。自分で自分の挑戦を否定するのは、自分を創りあげてくれた多くの方の想いを否定することと同じであること。その応援を受け止めるために、環境や運、失敗した時の屈辱を言い訳にせずに本気の自分であり続けること。
こうして手紙を書きながら、初めて気がついた。
自分の守備範囲を大きく超えてやってきた試練
自分の知っている言葉では表現できない喜怒哀楽
過去の自分では想像もつかなかった景色や学び
が、この4年間に詰まっていたんだということ。
そして、それらがいつまでも色褪せないものであってほしいと強く願う自分に。
未来の自分は、これを読んで何を考えるのだろう。何度書き直しても、納得のいく文章を書くことができなかったこの部員ブログ。だけど、未来の自分へのメッセージなら、素直に表現できる気がした。この4年間をずっと大切にできる気がした。
これから社会に出る。
スポーツ界よりずっと多様で、ずっと不条理な世界だ。その中で、今の僕には、本気で喜べて本気で悔しがれるまっすぐな心を持つ強さはあるだろうか。
あの時間違っていなければ気がつかなかった学びがあり
あの時間違った選択をしなければ出会わなかった人に出会えた僕の人生。
そんな間違いだらけの4年間を過ごして今思う。
世間が決めた勝敗とは無関係に、自分の人生を愛していたい。
胸を張って未来の自分に会いに行きたい。