フリーペーパー【八戸フォトジャーニー】のゲスト作家として参加します!
ご挨拶
はじめまして!
この度、フリーペーパー【八戸フォトジャーニー】のゲスト作家として参加させていただきます奥山大と申します。普段はYouTuberとして活動していて、「全力」をコンセプトにさまざまな角度からの動画作りに挑戦しています。
さて、今回私がゲスト作家として参加する八戸フォトジャーニーとは、2018年創刊の青森県八戸市の写真をまとめたフリーペーパーです。次号の八戸フォトジャーニーでは、下記のゲスト作家様4名が参加すると聞きました。
分かります。このゲスト作家4名の並びを見て、皆さんが感じていること。それは…
「この並びになんでお前??????」
ですよね。いや、本当にそうですよね…
ということで、きちんと自己紹介をさせていただきます。
自己紹介
もともと僕は、高校を卒業するまでの18年間を八戸市で過ごしました。八戸駅の近くにある、三条小学校、三条中学校に通っていたので、東北新幹線が開通する前の八戸駅もちゃんと知っています。(東北新幹線開通が今から約20年前の2002年なので、僕が5歳の時ですね。かなり幼少期の記憶なので嘘だと思われても仕方ないのですが、改修前の八戸駅の記憶もうっすらあります(笑) )
その後、八戸高校に進学。「八高生」というTHE・優等生の肩書きを得てからは、理想と現実のギャップに苦しめられました。「授業の予習も宿題も多すぎて勉強アレルギーになりそう…」と泣いた16歳の私を慰めてくれたのはいつも、あの高校の近くのお店たち。今はなき大杉平のスーパー「みなとや」をはじめ、根城にあるすき家・熊八珍・びっくりドンキーの包容力を私は一生忘れることはないでしょう。
もう少し話すと、両親は八戸よりさらに田舎(八からいくつか数字を引いた町とそれよりもっと奥の村)の出身ということもあり、親戚一同から南部弁の英才教育を受けて育ったので、方言は全て聞き取れます。ただ、日常的に話す機会がほとんどないので、聞き取り、読み取りは出来るけど、話すのはそんなに…という、まるで日本の英語教育みたいな状況に陥っております。
せんべい汁も大好き、一人暮らしの手料理のエースは源タレ一択、月一で八戸沖で上がった鯖を食べ、関東の友人には「なかよし」を積極的に普及しています。要は何を申し上げたいかというと…
「僕、八戸大好きです!!!!!」
ってことです。八戸大好きアピールです。
ただ、
大学進学のタイミングで上京して以降は、ほとんど帰省しておりません。もう一度地元で生活するビジョンも、今のところは持てていません。
実はこれが、今回のお仕事をいただいたことと結構関連しています。せっかくの機会なので、お付き合いいただけると嬉しいです。
今回の背景
私が地元八戸を離れたのは、慶應義塾大学に進学したことがきっかけでした。いわゆる「上京」というものです。「ほとんど帰省しない」「地元で生活するビジョンを持たない」という価値観がつくられたのは、この大学進学がきっかけでした。
そもそもなぜ慶應義塾大学を選んだのか。周囲からそう尋ねられた時は、「え、だってカッコいいじゃん(笑)」とか、「まあ、ノリで決めたかな(笑)」などと答えを濁しています。なんか、そっちの方が肩の力が抜けてるのにちゃんと結果が残せる天才、みたいな雰囲気を醸し出せるので(笑)
ただ、本音では、これまで大好きだった八戸というあまり濃密な場所からの逃走が1番の目的だったような気がします。当時の私は、小さな世界で全てが完結する居心地の良さ、温かさに甘える自分に嫌気が差していたからです。
私の地元は、今では珍しいくらいに一生を地元で暮らす人が多いと思います。僕の両親もそうでした。先祖代々同じ土地で過ごし、同じ街で結婚して、自分と同じ学校に子供を通わせる。どこに誰が住んでいるか、その人が何をしているかも、お互いが全てを知り尽くしている。そういう距離感が当たり前の街でした。
だからこそ、ここは私の街で、そしてこの土地の子供である私の存在意義は、この土地が肯定してくれる。「自分は何者か」を悩むのが現代人の常ですが、そんな悩みなど1mmも感じさせてくれないほどの、血縁、地縁に恵まれた人生だったのだと思います。
ただ、その素晴らしさが、逆に高校生の僕の進路選択の悩みとなっていました。まるで、すごろくのように、自分のキャリアプランが全て目に見えてしまうように思ったからです。実際、僕の高校でも基本路線は3パターンぐらいで、「頭が良ければ東大」「そこそこなら東北大」「医者か先生なら弘前大学」という感じ。それらがダメならその時考えましょうね。あとは例外ですよね。みたいな感じ。
そこから最も遠く見えたのが、慶應でした。慶應は私立でいろんな学部があるし、一般受験も、推薦も、内部進学も、帰国子女も、お金持ちもいればアスリートもいるし、ガリ勉もいれば芸能人もいる、といった、そんな多様性への憧れがありました。その中で、自分はどう思われるのか、自分には何が出来るのか。そんな風に、自分を試してみたいという挑戦が大学進学のモチベーションでした。
実際に上京してみると、地元の温かさに甘えていた私は、しんどい思いもたくさんしましたが、それ以上に新たな出会いや環境への魅力の虜になってしまいました。こんなにすごい人がいるのか、こんなに面白いものがあるのか。深い絶望と強い希望を同時に味わい、もっと強くなりたい、成長という想いが芽生えました。
正直これは、地元では味わえない感情でした。「上京してお前は変わってしまった」と思われたら、もうその通りなのかもしれません。それでも、少なくとも今は、目の前の挑戦に集中したい。そう考えると、帰省してまた地元の温かさに甘える日々に戻るわけにはいかないと思ってしまいます。
結果、上京してから7年の間、帰省したのは4,5回程度です。直近3年は一度も帰省していません。お世話になった人に挨拶ができないのは本当に申し訳ないことだけど、今はこうするしかないのだと思っています。
一方で、長い時間をかけてつくられ、そして受け継がれてきた社会資本を僕の代で簡単に手放してしまっていいものだろうか?と思うことがありました。匿名性の高い東京で過ごすからこそ、地元の「ただ、そこにいる」だけで肯定されるアイデンティティの尊さに気がつくからです。
その時間をかけて醸成され、受け継がれてきた社会資本は、簡単に再現出来るものではありません。それを分かっているからこそ、自分の代で安易に手放してしまうことへのもったいなさを感じていました。自分の故郷に想いを馳せるたびに、自分以外に代替不可能な義務を放棄してしまってはないかと。こんなことを書くと、本気で地元を盛り上げようと必死に動いている皆様には鼻で笑われてしまわれそうですが、そんな大袈裟で自意識過剰な僕をどうかお許しください…
そんな時、高田様からお声がけいただき、フリーペーパー【八戸フォトジャーニー】にゲスト作家として参加させていただくことになりました。このような素敵な機会を頂戴できたことを、本当に嬉しく思っております。
この機会をきっかけに、地元八戸に対して東京から出来ることをコツコツやっていこうと思っておりますので、「よく分からないけど、なんか面白そうな奴だな。まあ、長い目で見てやるよ」という方に応援していただけるととても嬉しいです。(お仕事待ってます!!!)
最後に
あの時は「魔法」に見えたもの、あるいは、あの時は「奇跡」に見えたものが、長い年月を経て、科学的に原理が証明されたり、自分の中で説明できる事象になったりすることはよくあると思います。そういう意味においては、この世に魔法や奇跡は存在せず、あるのは科学と必然だけなのだと言ってもいいのかもしれません。
それでも、「本当に奇跡なんじゃないか」と確かに思う瞬間があります。画面の向こう側で奇跡のようなスーパープレーを見せるアスリート、イヤホンから奇跡のような歌声を届けてくれるアーティスト、想像を超える芸術作品をつくる画家や詩人。
ただ、その中の誰1人として、魔法を使っているはずがありません。血の滲むような努力の上にまるで奇跡のような一瞬が待っていて、その瞬間だけにフォーカスが当たるからそう見えるだけだからです。それを消費する側の私たちたちが、「魔法を使う才能を持っている」という前提を勝手に想像しているだけなのです。
しかし、そうは思っていても、私たちは日常に「奇跡」を求めています。スポーツを観るのも、新しい歌を聴くのも、本を読むのも。あるいは、ご飯を食べたり、写真を撮ったり、何気ない会話をする日常の中でさえ、自分の心を動かす「奇跡」のような一瞬があるのだと信じてしまうのが我々です。
そんな魔法のような一瞬を、(文章や、動画や、音声や、写真など)コンテンツの形に囚われずに、多くの人に届けていきたいと思ってこれまで活動してきました。大好きな故郷・八戸という文脈で、それを実現できることが嬉しくてたまりません。
八戸フォトジャーニーは、そんな瞬間が、写真と文章で表現されている素敵なフリーペーパーです。みなさん是非ご覧ください!