自分の中にある選択
自分の中にある答え。
小さな選択の連続。
自宅から一歩外に出れば、そこから始まる選択の連続。
小さな紙くずが落ちている。拾うのか?拾わないのか?
そして、近年急激に増えたマスク。
マスクが落ちている事はもう珍しくない。
マスクを拾うも、拾わないもどちらも正解。
ゴミだからとマスクを拾う。
ゴミだけど、ウイルス対策としてみたら拾わない。
どちらもこの理由が有れば正解だ。
ゴミを拾う事だけが正解なら、マスクを触れないで取る方法はある。となる。
その時、その時の理由が何かしら存在する。
どれも正解だけど、本心はどうだろうか。そして、その時に優先しなければいけない物はなんだろうか。
小さな選択の連続から始まり、その選択を自らしていかなくてはいけない。
目的。目標。
これに向かっている時、その時の選択と行動はそれでいいのか?
その時は良き選択なのかもしれない。
だけど、それが目的や目標には近づかない選択ならどうだろうか。
目的、目標が決まれば、自らの中にある正解とは別に目的、目標に向かう為の正解が出てくる。正解というか、向かうべき姿勢が見えて来る。
今出来る。出来た。これを継続していても目的、目標へは近づくのだろうか。
近づかないのであればどうだろうか。
その正解も自分の中にあり、それでいいので有ればそれも正解。それで良くないので有れば、何かをプラスしていかないといけない。
ゴミは、目の前の選択。目的、目標が決まれば遠くに続く選択。
人は、「出来なくなる。」に向かいたいのか。「出来るようになる。」に向かうのか。今より下に?今より上に?
どちらにせよ選択はある。
どっちに向かうのか自分で決めて、しっかりと向かえる、近づく選択を。