今の自分を見てみたらわかる。
やりたい趣味や遊びは、常に『やらなくては』と意識してやるのか?
それとも『やりたいんだ。』と自然となるのか?
この差は大きい。
いつしか、「やりたい。」「こうなりたい」と動き出し。それが、仕事になりやりたい。こうなりたい。の場所に入るが、気がつげはそこでもまた新しい「やりたい。」「こうなりたい。」と先が出てきた。
今思えば、かなり高望みの目標設定ばかりで賢い人からすると、少し考えればわかるだろ?と言う言葉を言われてもおかしくない。
まぁ、「出来る。」という勘違いというか、根拠の無い自信から。
根拠の無い自信と言っても、それまでの道のりはその時出来る全力で取り組んできたと言うコトからきているのだろう。
近づいては離れて。近づいては離れて。
一般的な常識ある方々からは、止められていた。そして、止められる“コト”がわかるようになっていた。
初めは、なぜ止めるの?と思い理由がわからなかった。
だけど、“止められるコト”がわかれば止められる前に、進める準備をしていけば良い。
強引でも良い。だって『やりたいんだ』
子供の頃というか、学生の頃は本当にわからなかった。なぜ自分の考えややる事ややりたい事が反対されるのか。
反対されるとわかり始めた頃、事前準備をする事を学んだ。
『やりたいんだ。』というコトが、気持ちを成長を忍耐を作り、何と言われようと。どんな状況になろうと。と取り組めたのだろう。
やりたい事。趣味でも遊びでも仕事でも良い。
行動する事は、どういう事なのか?を考えてみる。
家族の為だから?やらなくてはいけないから?やりたいから?やってみたいから?
行動する理由はいくらでもある。だけど最後には行動は自ら行う事であり、家族やそれ以外に言われても動くのは、行動として動かすのは自分である事。
それさえ心に有れば良い。
やりたい事なのに、自分以外のせいにしてやらないのは何も残らない。残るのは、『○○のせいで』という事だけ。
やりたいなら、5分でも時間作ってやれば良いんです。
やりたいなら、『やればいいんです。』という言葉はいらないか。
やりたいなら、すでにやっている。やりたいのにやってないのは、本当はやりたくない事。
自分に聞いたりしなくて良い。自分の行動を見てみるとわかる。
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