「感想 -君たちはどう生きるか-」#7月第4週の文字日記
はじめに:見に行ってきました。
昨日、宮崎駿最新作「君たちはどう生きるか」を見に行ってきました。
何となく見たいなと思っていたものの特に機会も無いしな、、、とスルーしていましたが、ふと思い立って突然予約しました。
こういう風に衝動的に予定を決めることが稀にあるのですが、大抵満足度が高いので、この手の欲求には逆らわないことにしています。
1.総合的な感想 : カオスな一部/秩序ある全体
んで、感想なのですが、もうとにかく良かったです。
一言で言うなら「ジブリの全部」でした。
正直ジブリは全然詳しくなくて、子供の頃にポニョを見て、学生時代に千と千尋を講義で見たくらいの感じです。それでも、こうもみんながイメージする「ジブリ」全開で来られると、感動を超えて圧倒されます。
説明的でない展開、醜い造形、自然すぎる描写故に全員が嫌な部分を持っているキャラクター設計、そういったカオスの中でもひたむきに生きることを訴えるメッセージ性。
そして何がすごいって、それらで構成される「ジブリ」は完全にカオスであって、一つ一つの繋がりは意味不明なのに、全体を通してのメッセージ性は極めて痛快に伝わってくるということです。
そう感じる理由は人の数だけあると思います。自分の場合は「主人公の一貫性」と「画面の綺麗さ」が特にメッセージを伝えるにおいて大きな役割を果たしていました。
下にそれぞれ書いていきます。
2.主人公の一貫性 : 「正しい」生き方
2-1:自分の悪意を認める、他人の悪意も認める
このカオスなストーリーにおいて、最も一貫した存在は主人公の眞人です。
彼は一貫してかっこいいのです。
もちろん人助けと冒険という分かりやすいかっこよさもあります。
ですが、真に彼に輝きを持たせているのは、それだけではありません。
その冒険の中で、苦しみながらも己の辛い過去を克服し、辛いであろう未来への覚悟を持とうと奮闘する姿勢です。きっと、本人は自覚的にそれを行ってはいません。
それでも、その奮闘の末、表面上優美だけど本質的にグロテスクな独自の理想郷を捨てます。彼が選んだのは、綺麗ではない上に悪意溢れる現世です。
眞人自身が口にだしていましたが、その選択をするには自分を悪意ある存在だと認めなければいけません。同様に、他者も悪意を持つことを認めることになります。
でもその悪意があるからこそ、人は相互に助け合える。人間は「利己的に、利他的になれる」(=自分に利益をもたらす他者の役に立とうとする)のです。
彼はそれを体感として理解しています。自分の欲求や役割を強く持つ青鷺やキリコとした彼の冒険を通じて、です。
この主人公が行った「勇気ある自己・世界への容認」は『君たちはどう生きるか』というタイトルを端的に、かつ最も明快に表しているように思います。眞人の行動は「宮崎駿が考える最も『正しい』=『そうありたかった』生き方なのかなと感じました。
そして、他キャラもそれぞれの人生があり、それぞれがこのタイトルを回収しています。
現世に絶望し、理想郷を作る選択をした塔世界の主である大叔父様。
姉を亡くしその夫と結ばれることになり葛藤する義理の母である夏子。
早くに亡くなることが確定している未来へと飛び立つ決断をした生みの親であるヒミ。
それぞれが、それぞれの人生を選んでいて、それぞれがタイトルを担っていると思います。彼らは、きっと宮崎駿の今まで触れてきた葛藤たちの具現化なんだろうな、と思います。
2-2-1 眞人にとっての「久子の呪縛」
では、そもそもなぜ、眞人がそれを選択するほど現世で葛藤していたのかについて、もう少し具体的に考えます。
結論から言うと、眞人にとっての「辛さ」は間違いなく久子(母親)に関するものです。
眞人は、冒頭シーンの戦火で母親を亡くします。そして母親の死を受け入れられていません。そこが彼の葛藤のスタート地点になります。
以降、常に「母親」というものに囚われ続ける。産みの母親を夢に見続け、新しい継母にも無表情。母親を亡くした激情から逃避するように新居を冒険したりする。
「お母さんそっくりだけど、違う人」かつ「新しいお母さん」である夏子と打ち解ける必要があることは分かりつつ、気持ちの整理は一向につかない。
その葛藤の結果たどり着いた塔世界での体験(キリコとの生活・アオサギとの冒険・ヒミとの邂逅)によって、自分の母親への思いをに整理をつけ、新しい生活に踏み出すことができます。
それがとても分かりやすく書かれているのは、塔世界の産屋での夏子とのやり取りです。
夏子を「母親」として認識している素振りなど全く見せていなかった眞人が、産屋で初めて「夏子母さん」と叫びます。それも夏子に「あなたなんか大嫌い」と言い放たれた直後に、です。
これは眞人が「己の新しい人生への覚悟」を表明した瞬間であり「過去に囚われることを辞める宣言」でもあります。
「夏子母さん」と呼ぶのは、眞人が「分かってはいるけれど受け入れられない」状態から脱したことの端的に表現に感じました。
※もちろん、眞人はそもそも、一歩踏み出すことの必要性を認識していると思います。じゃなければ「夏子さんを助けに行かないと」と塔に躊躇なく踏み込むことなどしません。無意識的に、夏子を助けることが自分を救うことに繋がることを悟っていたように見えます。
ちなみに父親って…?
親なら父親がいるじゃないか。母親ばかりなぜ?と思った方もいるかもしれません。いやしかし、私は眞人が母親に囚われるのは仕方ないと思います。
個人的には眞人があそこまで母親に囚われるのは、父親のせいですらあると思っています。
父親は明らかに、仕事を通じて周りとの差の誇示することに執着しています。そこに眞人への気遣いはありません。眞人が真に求めている愛情とは違う形の愛を提供しているのです。金や名誉という形の愛を。
家族を愛しているのは本音でしょうし、愛ゆえに化け物に立ち向かう実行力もあります。口だけでなく、きちんと愛を体現している立派な父親です。
が、眞人から見れば「父親自身もあれだけ母を好きだったのに、母の妹を愛し、知らない弟or妹を作ってきて、挙句あまり自分の葛藤を理解していない父親」です。あの年齢の子供からすれば、お金に執着し、プライドを満たし、好き勝手生きている口だけの父親に見えても仕方ありません。
その一連は、登校初日に車で登校させた挙句「車で行く転校生なんてすごいぞ」みたいなことを言うシーンに凝縮されています。眞人、「なにいってんだこいつ」みたいな顔してました。私も同じ顔しました。
だから、眞人からすれば家族を愛しているあの態度が欺瞞に思えても致し方ないような気もします。もちろん眞人はかなり精神性が高いので、そういう父親についても一定の理解をしていたように見受けられましたが。
また、男が必ず家族を養う価値観だった時代背景を加味すると、父親も「最愛の妻を亡くし、家族を養いながら自分を保つにはそうするほかない」という感じだと思います。結局、程度の差はあれ全員苦しいんですね。
それでも、父親何なんだと思いますが。ただこれは、お父さんに関する描写があまり多くないことに由来するであろう自分の個人的な感想です。も少し父親が深く描かれていれば印象は変わったかもしれない。
2-2-2 夏子にとっての「久子の呪縛」
実を言うと、「久子に呪縛されている」のは眞人だけではありません。久子の妹である夏子にも同じことが言えます。
姉を亡くしているのに、その姉の夫と結婚することになり、求められて子まで妊娠し、そして甥を連れ子として受け入れなければならない。
そもそも、本当に自分が夫に愛されているのかも、夏子からしたら疑問だと思います。姉への行き場のない愛情のスケープゴートにされているように感じているかもしれない。
でも、眞人と違って夏子は大人です。眞人のように押し黙って逃避をすることは出来ません。さも受け入れたふりをしないといけません。
序盤で眞人を大切にするのも、愛情よりは負い目でしょう。「姉さんに申し訳ないわ」のセリフがそれを物語っています。
眞人も、それを察知しているからこそのわだかまりもあったでしょう。それを言われた瞬間に「早く良くなってください」と見舞いを切り上げましたし。
だから、産屋での「あなたなんか大嫌い」という夏子の言葉も多分本音だと思います。「あなたさえいなければ悩むことも減るのに」というもの。ただ、それが眞人のせいではないことも重々承知だからこそ言わなかった、言えなかった、言ってはいけなかった言葉。
塔世界まで逃避してもなお、「現実の苦しみの象徴」としての眞人が追いかけてきたその時に、限界に達して吐いてしまったのだと思います。
そんな自分の言葉に対峙してもなお、当の眞人が、苦しみを受け入れ、覚悟を決めて「夏子母さん!!」と叫んだのを見て、夏子も救われ、そして新しい生活への覚悟を決めたのでしょう。
母さんと呼ばれた次の瞬間には、産屋の暴風を受ける眞人に「眞人さん逃げて!!」と甥を本気で救う意思を見せています。
苦しみの中に生きている者同士が手を取って生きる様子を、親子愛の形で痛烈に表現しているように感じます。
本当はこれに関連して、ヒミがラストシーンで見せる「眞人を産めるなんて最高じゃないか」と現世(過去)に戻るシーンについても感想を書きたいのですが、長くなりすぎるので元気があれば別の機会にします。
3.カオスを下支えする画面の美しさ
こうしたキャラクターたちは、カオスの権化のような塔世界で冒険します。
それに説得力を持たせるのが、ジブリの誇る「圧倒的な美しさ」です。
ジブリの絵の凄さは正直いわずもがななので、とても短く書きます。
カオスを表現するのは非常に難しいです。気持ち悪いと美しいを両立させるのは到底出来ません。それを両立できるものこそを「アート」と呼ぶと思っています。
ジブリは私の中で完全に「アート」です。
食事や人間の動き、造詣部分については言うまでもないのですが、背景にもとにかく気持ち悪さと美しさを感じました。
大叔父様のところに着いた時、油彩で書かれたような背景にゾッとしました。白いけど白くない、でも白い。その色合いにおじいさんが積み木をこつこつしている。怖すぎ。でも綺麗。
説得力のある画面が展開されるので、目まぐるしいキャラクターの葛藤や生き様が深く発揮されているような気がします。ストーリーの下支えとしてとても効果的に機能している。
あと、水彩で書かれたような背景に動くキャラクターを馴染ませるのがうますぎる。これはぞっとするというよりあまりにも感心しすぎて見入ってしまった感じでしたが。
塔世界=幻想的だけどグロテスクというのは、きっと宮崎駿の「創作は美しいけど本当にしんどい」という思いがそのまま出ているんだろうな、とも思いました。だからこそ、食べて生きなければいけない現実が、見かけ以上に美しいことを知れるんだろうとも。
繰り返しになりますが、幻想的でグロテスクな世界を美しく表現できるジブリの画力、恐ろしいね。
さいごに:本当に良かった。
最初に、この映画を「ジブリの全部」と言いましたが、それはひいては「宮崎駿の全部」であり「宮崎駿の人生」なんだろうな。
人間が生きる上で、人生と向き合う上で必要な葛藤を物凄く凝縮しています。宮崎駿の世界に圧倒される感じ、マジで良かったです。
絶対マザコンだしね。宮崎駿。それを惜しげもなく出してるの凄すぎる。
もう一回観に行こうかな。
ちなみに、私の好きなラジオチャンネルがこの映画の感想を公開しています。とてもとても良いのでぜひ聴いてみてね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?