仏教に学ぶ生き方、考え方「混ぜる」
カレーライスを食べるとき、カレーとライスを混ぜてから食べますか?それともカレーとライスを混ぜずにスプーンに乗せて、口に入れてから味わうほうでしょうか?
私は食べ物全般そうですが、ほとんど混ぜるということをしません。
それはなぜかというと、理由は至って簡単で、混ぜると味が均一になって、食べ始めから食べ終わるまで、ずっと同じ味になってしまうからです。
同様にコーヒーを飲むときもまずはブラックで、そして砂糖を入れていただき、最後はミルクも入れていただきます。そうやって味変を楽しんでいるのです。きっと欲張りなのでしょうね。
それは食べ物に限らず、何かするときでも、自分なりの順序とか、手順に従ってしたいほうです。仕事にしても旅行にしても、そうすることで、過程も楽しめるのです。
親鸞聖人は、三十五歳で法然上人の念仏の教えが弾圧されて、越後に流刑になっています。その後、流刑は放免となったのですが、何故か京都には戻らずに関東に赴いたのです。
一説には師匠である法然上人が土佐の流刑地で亡くなったので、京都に帰って法然上人と再会するという願いが潰えたからとされています。
でも足跡を辿ると、途中の長野までは帰ってきて、そこから関東へと方向を変えているのです。
京都にそのまま帰ってきて、街の人々に混ざり合っていればまた違った人生になっていたでしょう。
でもあえて都の雑踏に混ざることをせず、当時は田舎で地方であった関東に赴いたのは、もしかしたら「新たな人々」と出会い混ざり合って、念仏の教えを広めようと考えられたのかもしれません。
そして関東の二十年間の出会いと経験をもとに晩年は京都に戻り、本格的な執筆活動をされます。
まさしく一度だけの人生でいろいろな場所でいろいろな人々と違った人生を味わわれたのです。
ということで、人生をカレーライスやコーヒーに例えて考えることはあまりにも乱暴ではありますが、いろいろな人生の場面で今の自分を味わいながら生きていくのは楽しいものだなと思っています。
そして過去の経験が、今の自分の人生を味わい深くしていただいていることに感謝ができれば、なおさら幸せだなと感じます。
☆今日の一句☆
混ざらずに
味わいつくす
人生なり