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仏教に学ぶ生き方、考え方「息」
先日から風邪を引き、鼻が詰まって息がしづらい時間が続いています。もう治りかけなのですが、鼻と喉には最後に症状が出るようで、今日の法要はしゃがれ声で御同行様にご迷惑をおかけしてしまいました。
息がしづらいときは、逆に「あっ、自分は息をしていたのだ!」と思い知らされますが、いつもは息をすることなど意識すらしていません。
でも、実はそういう意識をしていないことほど、重要なことがあるんですよね。
昔、お釈迦様が弟子を集めて次のように問いを投げかけられました。
「生きる」と「死ぬ」とはどれぐらいの時間が離れているのであろうと思うか?と。
最初に答えたお弟子さんは、「うちのおじさんは元気に毎日過ごしていましたが、ある日転んで腰を痛めてから歩かなくなり、徐々に元気が、なくなり食欲も失せて、一年で亡くなってしまいました。一年程の時間が離れているのでないかと思います。」
それに対して、お釈迦様は黙って首を横に振りました。
次に答えたお弟子さんは、「私のおばは事故で一週間も立たないうちに亡くなってしまいました。一週間程の時間が離れているのであろうと思います。」
この答えに対しても、お釈迦様は首を横に振りました。
最後に答えたお弟子さんは、「私は今こうやって生きているのは、息を吸ったり吐いたりしているからでございます。もし、吸った息が吐けない、また吐いた息が吸えないときは、生きていくことはできません。生と死の間には一呼吸の時間しかないのではないでしょうか?」と答えました。
その時、初めて目を開いて、大きく頷き、「その通りだ。吸った息が吐けない、吐いた息が吸えない、その時に人は死を迎えるのだよ。それほど、生と死は隣り合わせであるよ。」と言われたのです。
と言っても、今まで息を止めることなく生きてきた私たちは、この息が止まるなんて、にわかには信じられませんよね?でもいつかは吸った息が吐けない、吐いた息が吸えないときが来るのです。そして、死はいつも身近に隣り合っているということをいつも心に留め置いておきたいものです。
☆今日の一句☆
生きていこう
吸う息吐く息
感謝して