ほうれん草のバター炒めとして
三連休の中日、オフィスカジュアルに身を包み、僕はいつも通勤に使う電車に乗っていた。ただし、向かう先はいつもと逆方向。気持ちはいつもより幾分か晴れやかだ。
高校生たちと「キャリア」について話し合うワークショップの会場に向かっていた。社会人になって初めてのボランティア活動だ。
詳細を書くことはできないが、様々な事情で進学に悩みを抱えている生徒が全国から集まり、第一線で活躍する大人たちと交流しようという趣旨のイベントだった。
「働き始めて少ししか経っていない僕にキャリアのことなんて話せるのだろうか」という気持ちは大いにあったが、運営されている方々の「ぜひに」という声に甘え、「力になりたい!」という勢いに任せて参加することにした。こういうフットワークは軽くありたい。
役割とサムズアップ
ワークショップでは、様々なプログラムが用意されていた。そのなかで僕に与えられた最も大きな仕事は、ある男子高校生と1時間じっくりと話すことだった。
初対面の高校生と1時間か。
大人として間違ったことは言えないし、かといって生温い言葉でお茶を濁すのもダサい。なかなか痺れる役回りだなーと思った。
とりあえず大人のお面を被って、その時間を迎えることにした。失敗しないことを念頭に置いた防御戦術である。
けれども、シャイな彼からぽつりぽつりと吐露される悩みや焦りは実に真っ当で、お面を外から溶かされ、ついには胸が締め付けられていた。
ああ、分かるよ……。分かりすぎてしまう……。生きてきた時間も、見てきたものも全然違う。他者を理解しようなんて、受け手の勝手な思い上がりなんだけど、「分かるなあ」と唸らずにいられなかった。
社会のこと、家族のこと、大人になること、働くこと。十数年生きただけで「さあ決めてみろ」って言われても無理な話だよね。僕もまだ全然分かってないし、たぶん誰も正解を出せてない。
沢山聞いて、喋って、少しだけ偉そうなことを言ったら、あっという間に時間が経った。首が痛くなるほど頷いた。
プログラム終盤の発表の時間、彼は僕の話を引用し「大事にしていきたい考えに出会えた」と言ってくれた。
そして帰り際、控えめに笑いながら、握手を求めてくれた。嬉しかった。掛ける言葉に悩んで、結局「気楽にいこう!」とサムズアップしたら、彼も返してくれた。さらに笑っていた。
去る背中を見つめながら、彼の人生に幸せが訪れることを心から祈った。どうか、高く強く飛んでくれ!
反省にロールモデル
生徒が帰った後、大人たちは反省会を開いた。
今日の運営のこと、担当した生徒のことなどを報告する、年齢もバックグラウンドもバラバラな大人たちの声はどれも愛に満ちていて、素敵な空間だった。
三連休の中日に、こういうイベントに参加する大人であり続けたいな、と思うと同時に、僕が大人になるまでの間、見えないところで大人たちは何度反省会をしていたんだろうと考えたりもした。
この会の内容も明かせないのだけれど、「ロールモデル」という言葉が繰り返し登場したことが印象的だった。
様々なエリアから集まった高校生の話を総合すると、教育の地域格差は顕著だと感じざるをえなかった。それは進学校が少ないとか、塾・予備校が周囲にないとか以上に、大人像の選択肢が少ないという事実によるものだった。
大都市圏から離れるほど、「大学に行った方がいいと言われるし、実際行きたいけど、周りに大学を卒業した人がいないからどうしたらいいか分からない」「知っている仕事が少ないから、自ずと職種が限られる」「相談できる大人がいない」といった声が大きくなる。
ここで僕は、大人という存在がいかに若人たちにとってのロールモデルであり、選択肢であるかを思い知った。
有名とか、憧れられるとか関係なく、大人たち一人ひとりが彼らの人生の可能性になる。
いやはや、僕の人生はどうだろうか。んー、ロールモデルになるには程遠いな。
ファミリーレストランでいうところの「ハンバーグ」とか「マルゲリータ」とか、そんな花形にはまだ手が届かない。
いまはほうれん草のバター炒めになりたい。
頼むひとは頼む。メニューのバリエーションとして必須。そして、ちゃんと美味しい。
みんな、僕はね、ほうれん草のバター炒めになりたいんです。
一人暮らしの小部屋で、ボソッとつぶやいてみた。ここ笑うところですよ。
純情のボウリング
翌日、高校で働いていたときの生徒たちに誘われ、久しぶりにボウリングをした。
ワークショップのことを引きずっていたから、何となく心が堅いまま電車に揺られていたけれども、待ち合わせ場所の男子高校生4人は「沢井さーん!会いたかった!」ととにかく嬉しそうだった。僕の悩みなんて、この子たちには杞憂だなって気付いて、無駄な力がスーッと抜けた。
彼らはあまりに高校生のど真ん中を生きていた。
クレーンゲームに無駄金を注ぎ込み、ボールがガターに入って不貞腐れ、僕が彼女と別れたと聞けば気まずそうに黙り込む。
そんな純情をいつまでも忘れないでくれよ、と思いながら、一緒に買ったアクエリアスを飲んだ。
4ゲームを終え(多過ぎ)、帰り際「ねー沢井さんプリクラ撮ろーよー!」って聞こえたあたりで、ふと「あー、僕はこの子たちに、大人になるってことが存外悪くないことを伝えたい」と思った。
そしてこの先、僕より若い人たちが、一度たりとも世界に絶望しないでほしいと思った。きっかけはちょっと変だけど。
僕が大人として何ができるかは、正直まだ見えてこない。
だからこそ最善を尽くす。真っ当に、楽しく、努力を積み重ねて生きていく。
若い人たちにいつ会っても、胸を張って「人生っていいぞ!」って無理なく言えるように、僕はほうれん草のバター炒めとしてレシピを更新していきたい。
ただし、気楽にね。「プリクラ撮らねーよ!」と逃げながら、自分にそう語りかけた。
最近、同じことばっかり言ってる気がする。