沢井少年の初エッセイ[’16]
年越しそばというものがある。
詳しいことは知らないが「来る年を、細く長く生きられますように」という想いが込められているのだと言う。なんて日本人らしいのか。
しかし僕は思う。年越しうどんの方が良くね、と。
考えてみて欲しい。希望溢れる来る年の目標を「ひょろひょろと細長く生きること」にする必要はないのではないか。
むしろ目標は大きく掲げて「太く長く生きたい!」と胸を張ったらいいのではないか。
欲深いことを恥じるのが国民性だが、辛いことは少ない方が良いし、色々と図太ければラクに生きていける。こんな甘っちょろいことを言っていると白い目で見られそうだが、べつに構わない。自分の目標くらい好きに言わせてくれたっていいだろう。
それに僕はずっと長生きしたいのだ。やりたいことが決まっているわけではないが、ただただ生きたああい。大変なことも沢山もあるが、それを含めて面白くて面白くてしょうがないのだ。いや正確には、面白がっていると言うべきかもしれない。
「今」には面白い要素はあまり多くない。それは事実だ。同じ日々の繰り返しに近いとも言える。「今」を一つ一つ分けて見れば、自力では太刀打ち出来ない厳しい現実が仁王立ちしているだろう。しかし誰かが変えてくれるわけではない。他でもない自分が「今」をどうやって演出するか、どうやって自分の色に染めていくか、どうやって面白がっていくか、に日々の面白さはかかっているということだ。
【 あなたはそばが好きですか、それともうどんが好きですか 】
そこからまず、はじめようではないか。
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と、僕は中3の頃に書きました。文章の若さに恥ずかしさを覚えますが、基本的に考えが変わっていません。
「誰かがどう考えるか」はひとつの要素であってすべてではないのだから、自分がやりたいことをやればいいじゃないですか。特に若いうちくらいは。