#21 【夫婦関係】普段、妻と接する私は「恋人or夫婦or父母」モードのどれか考えてみた
こんばんは
フクロウです。
最近は、すごく微々たるものですが、夏の暑さも和らぎ(?)始めているような気もするのですが、いかがでしょうか。
妻と接する時の自分とは
今日は、普段、夫婦として妻と接する中での自分の人格?キャラクター?〇〇モード?について考えたことを書きたいと思います。
そして、人格?キャラクター?〇〇モード?と書いたのは、どの言葉が一番的確なのか、自分でもわからないため、伝えたいニュアンスに近い言葉を選んでます。
何となく、〇〇モードが的確な気がします。
ではなぜ?自分の〇〇モードについて考えたのか・・・
それは、恋人同士の頃の妻と、夫婦となってからの妻とでは、自分の接し方や自分のキャラクターって変わってきているなぁと感じたからです。
どういうこと?って思った方に説明します。
大きく分けて3つのモードがあると思う
恋人同士の頃って、相手のことが好き好きとなっている、いわば恋人モードです。
恋人モード
・とにかく好きを伝えたい!
・好かれるようなことをしてあげたい!
と、「自分の好き」を起点に相手とのコミュニケーションを取ろうとする、恋人モードでの自分がいたと思っています。
では、一方で夫婦となった(まだ子供なし)頃はというと・・・
恋人モードの強化版である夫婦モードであったと思います。
夫婦モードとは、お互いに愛を誓い、死ぬまで一緒に過ごせる、心を許し合った仲で、
夫婦モード
・何事も一緒に行ったり
・一生、その相手しか愛さないとか
・お互いの活動が夫婦生活に影響したり
と、もちろん好きなことは変わらないのですが、「特別な共同体」としたコミュニケーションへと変化したような感じがします。
そして、これで終わりかと思いきや、子供が生まれると・・・
日常のほとんどが、父母モードになると思います。
父母モードとは、文字通り、父親、母親となり、責任感も増し、子供を生活の中心に据えることで
父母モード
・何事も親は後回し、子供を優先したり
・子供の将来こそが、父母の夢になったり
・父と母は子供の前ではそれぞれの役割を演じ、お互い「好き」で惹かれあった姿をなるべく見せなくなったりとか
とまぁ、上に記載したように、「子供」を起点としたコミュニケーションとなるわけです。
これまでは、なんだかんだ「自分の好きを伝えたい」、「自分たち夫婦は・・」といった、自分(達)を軸に据えてたのですが、子供とはいえ、急に「他者」を軸に据えて、私たち夫婦のコミュニケーションが進むように・・・いや、コミュニケーションを取らねばならぬようになったのです。
また、特に日本人は、子どもの前で親同士のハグやキスを見せなくなるし、むしろダメとか、いやらしいとかってイメージがあるように私は思います。(もちろん、そうでない方も多くいると思います)
え、なんでよ?
更に、子どもを中心にそえたら、とたんに相手の好きな部分はみえなくなり、嫌なとこばかりが見えてくる。そんな感じもあるかもしれません。
え、なんでよ?(2回目)
子どもは大事。これ自体、大抵の夫婦は同じ思いのはずなのに・・・なんか、とたんに、子どもを添えない(介さない)と妻とコミュニケーション取りづらい時がでてくる気がします。
夫婦関係に影響大だと考えています
いや〜この変化は、お互いに好きで結ばれた夫婦にとって、辛い人には辛いよね・・
なぜか?
私が考えるに、妻とのコミュニケーションに絞って言えば、もはや「子供」が軸になっているので、子供に対して何か行動を起こす役割の私が、「私の好き」を軸に妻に何かをすることや、「私たち夫婦」を軸に夫婦だけで一緒に何かを行うことの重要度が恐ろしく低くなるためです。(妻のために何もやらないと言っているわけではありません。あくまで優先度や重要度です)
それをやってしまうと、「子供」の存在がその時は無しとなるのです。
さらに人によっては、子供が何より大事なのでだから、夫婦だけで何かするとか、夫(妻)だけ友人と旅行に行くことに対して、違和感や嫌悪感を感じてしまう方もいると思っています。
たとえばですが、これがセックスレスの一因にもなっているのかなと思います。
文字通り、夜の営みは夫婦だけの行為ですから、上記の理由で夫婦のどちらか一方が嫌悪感を抱いていたり、重要度が下がっていると、行為自体に拒否反応は出てきますよね。
ただ、よくよく考えると、夜の営み自体は、夫婦だからできる特別な行為で互いに愛を伝える行為なので、なんら悪いことでもなんでも無いのにです。
このように、「子供」が軸となってしまうと、本来の目的を忘れ、これまで問題なかったことに対して、過剰な拒否反応が出てしまうこともあると考えています。
ただ、私が言いたいのは、べつに「子供」を軸にそえること自体が悪いと言いたいわけではありません。
少し極端かもですが
子供軸に固執しすぎるあまり、夫婦としてのコミュニケーションが減少したなかで、一生、父母モードで30年、40年と一緒に夫婦として生活できますか?ということです。
もう少しわかりやすくいうと、子供が大事だから、私達夫婦の好きや夫婦時間は、後回しね!みたいな感じで30年、40年と夫婦としてやれますか?てことです。
もちろん、双方合意であればよいでしょう。しかし、私はせっかく好きで惹かれ合った仲なのだから、それも一生つづけられたら素敵な夫婦なのにと思ってしまうわけです。
夫婦を続けるためには、いろんなモードで妻とコミュニケーションをとるべき
だから、私は、以下のように考えます。
上記では3つのモードをあげましたが、もっとあるかもしれません。
恋人モード、夫婦モード、父母モードは、恋人期間が終わったからとか、子供ができたらから、といった理由で決して捨てる必要はないと考えています。
つまり、子供がいる今でも、子供がいないところで時間作って、恋人モードで妻と接しても良いと思いますし、その方が、お互いに心身ともに満たされそう気がします。
どうでしょうか?
稀に、自分たちは親なのだからといって、子供をシッターさんに預けて、2人で旅行することもNGみたいに考えている人もいますが、私は全然いい
と思います。それで夫婦の仲がよくなった方が、子供に対しても絶対良い影響があると思っています。
実は、私自身の親の話ですが、母親が父親に対して、毎日のように父のあげ足をとって怒っているのを見て、両親が仲が悪いことがものすごく嫌でした。
私は、親同士がちゃんとコミュニケーションをとっていて、仲が良い家庭の方が、子供も嬉しいし、子供も親に対してもなんでも話せるようになってくれるんじゃないかなと考えています。
最後に
うまく、まとまっているかわかりませんが
我が家のように子供が生まれると、いやでも「子供」が中心といったコミュニケーションとなります。
それ自体は悪いことではありません。
ただ、子供が中心という理由で、夫婦お互いの想いや考えを問答無用で捨てる必要はなく、大変かもしれませんが、それらを実現した方が、結果的に良い夫婦関係を築けると思うのです。
ちなみに、私は父母モードがほとんどですが、恋人モードで妻と接しているときが、一番好きです(笑)
子供が中心となるあまり、夫の行動が目にあまるとか、夫から「2人でデートしたい」とか、仮あったとしても本当に今そぐわないのか?実は良いこともあるのでは?といった視点は持ったままで良いのではないかなと思います。(ただし、明らかにダメなことも見極める必要はあります)
世の中の父母は、たまには誰かに子供を預けて、遊びや旅行に行ったって「子供のことを考えていない」とか「母(父)親のくせに」とか、という声が上がることもしばしばありますが、それはもう古いと思います。
それではまた
グッバイ