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ニータン、11歳のお誕生日おめでとう

本日12月12日は、我らが最愛のマスコットニータンのお誕生日。

誕生したときはあんなに小さかった…大きかったな、普通に…ニータンも、もう11歳。

時が経つのは早いものだ。

すっかりたくましくなって、自分でバリバリ歩けるように…はなってないな…(笑)

ドジなところはかわらないし、



相変わらず動きはのろまなのかもしれないけど…

僕たちにとっては欠かせない、家族のような存在。


今日は、ニータンについての忘れられない思い出を、誕生日祝いと一緒に綴っておこうと思う。

2015シーズン J3降格

最近、アビスパ福岡の強化部長に柳田さんが就任したというニュースが話題になった。

まさかのJ3降格という結果になった、2015シーズンを思い出し、眩暈をおぼえたサポーターも多かったのではないだろうか?

あの年、チームの目標はJ2優勝だった。

前年のボランチの主力、末吉と伊藤やキャプテンの高木和、ストライカーの林らがチームを去ったものの、

14年に途中加入したダニエルや新加入の兵働、2人の外国人ストライカー…名前はエヴァンゲリオンと無理なんとかだったかな…そして何より復帰したさんぺーこと三平和司の存在がその目標を現実的なものとサポーターを過信させた。

ところが開幕から全く歯車が噛み合わず、

田坂監督が解任され、柳田氏がスライドして強化部長から監督に就任することに。

若手を抜擢し立て直しを図るも、有効な策は見つからないまま21位でシーズンを終え、

町田ゼルビアとのホーム&アウェイの入替戦に臨むことになる。

結果はご存知の通り。

鈴木孝司(現セレッソ大阪)はトラウマとして君臨し続けているし、

降格が決まり、呆然と立ち尽くす選手やサポーターの姿は鮮明に記憶に残っている。

…当時を思い出すと、為田の単独突破と鈴木義宜や松本昌也の成長、秘密兵器のまま終わったパウリーニョくらいしか希望がなかった。


そんな苦しいチーム事情の中でも、ファン・サポーターを変わらずに癒し続けたのはニータンだった。

(本来、マスコットとチームの勝敗は切り離して考えるべきだ。チームが大敗を喫しようと、マスコットは来てくれたファンやサポーターを楽しませることに全力を尽くしている。それでいいと思う。)

そんなニータンが、J3降格が決まったときにこんなことを言っていた。

マスコットにこんなことを語らせるのは、クラブの責任逃れでしかないのかもしれない。

でも、僕たちはこのニータンの言葉を素直に受け取った。

それはニータンが、

2008年の誕生から、いきなりやって来たナビスコカップ優勝というクラブ史上最高の瞬間も、

その翌年に訪れたJ2降格・経営危機も、

2012年、昇格プレーオフを勝ち抜いての昇格も、

その翌年、ほとんど勝てずに決まった降格も、

嬉しいときも、悲しいときも、辛く苦しいときも、どんな時も僕たちと一緒に、大分トリニータというチームと歩んできたから。

ニータンでなければ、僕たちにもう一度前を向かせることはできなかったのだ。

そしてニータンは続ける。

悲しいし、辛いけれど、それも今日だけで終わり。
前を向いて、できることをやる。

ニータンは知っているのだと思う。

悲しいことや辛いことがあった後でも、前を向いて頑張っていれば必ず楽しいことが待っていることを。

僕たちは、ニータンにそれを教えられた。


その後のチームのV字回復もご存知の通り。

ニータンが言ったとおりに、1年でJ2に戻ることも出来たし、今はJ1で戦っている。

そしてニータンはと言うと、降格してからもずっと変わらず、スタジアムに来る人たちを癒し、元気づけ続けている。

ニータン、いつも本当にありがとう。

これからもずっと一緒に。

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